第二十八章 ティータイム
「前に進めません! 女王!」
前でこちらを守っている団員の声が些か乱暴に響く。
「わかってるそんなこと!」
それに、同じく乱暴に返答する。
フランス王宮の形を説明するなら、コの字が鏡を通して二つあるような形、だ。
東側、正しい形の「コ」は、大会議場や国立図書館、議事録や法令の原案が収められた書物庫などが入った立法府。
西側の、左右逆の「コ」は、王族の執務室や各省庁の仕事場、宮内省の施設が入った行政府。
王宮突入班が立ち往生していたのは、その正面入り口入ってすぐの大エントランスだった。
立ちはだかったのは、宮廷魔術師の一団。クィルドリフの姿が見えないが、統率の乱れない攻撃を仕掛けてくる。
エントランスの二階部分、吹き抜けの階段の先に、柵や彫像をバリケードにして陣取った相手は、その影から魔法による遠距離攻撃を放ち、足止めしてくる。こちらはなんとかそれぞれが強化盾で防いでいる状態だ。
「どうするモンタギュー!?」
横に控えていた騎士団の事務官に問い掛ける。
「このまま強化盾を構えてゆっくりと前進して、接近戦に持ち込みます!」
自分、戦闘職じゃないんですけどね!、とモンタギューが叫ぶが知らない。そんなのこっちも同じだ。
強化盾とは、バチカンで開発された装備で、鉄製の大きな長方形の形をした盾だ。ローマの重装歩兵をイメージしたらしい。そこに、魔法の効果を埋め込み、物理防御に加えて魔法の攻撃にも耐えられるようにした。
――作戦内容は良い。いずれ敵に近づき、倒すことができるだろう。だが、
「完了までにどれくらい掛かる!?」
「ここだけで三十分は取られます!」
遅すぎる。
行政府だけで一体幾つの戦闘をしなければならないのか。
――そして、それが終わる前に、クライスを見つけられなければ――
最悪の結果を想像して、喉の奥に嫌なものが込み上げた。
――早く、より早く終わらせなければ……
そのために、こんなところで立ち止まっている訳にはいかない。
「盾を貸せ!」
近くの空いた兵に言うと、はあ?、と困惑が返ってくる。その盾を返答の前に奪い取った。
「あんた、何する気だ?」
「私があいつらぶっ飛ばしてくる」
「「ハア!?」」
モンタギューと兵士が同時に叫んだのを後ろに置いて、盾を持ったまま前列の防御要員達を飛び越えた。
盾を前に構え、姿勢を低くし、足を強化してダッシュする。そして、
「『王は頂きに立ちて全てを見通す』」
小声で呪文を呟く。
すると、目に写る視界は盾の裏だが、脳裏に、色のない景色として周りの光景が入ってくる。それも、一方向からのものではなく、立体的に奥行きのある画像として。
――バチカンの王族魔法、『探知』!
魔力を大気に流して反響させ、その反射で周りの位置関係を調べる――どういう理論でやっているかは全くわからないが、出来ればそれで十分だ。
盾に魔法攻撃の衝撃が来るが、走りを邪魔する前に、防御魔法が守ってくれる。
盾越しに把握した、階段上の相手の人数は三人。いける、と呟いた。
「『王の前に立つと――』」
そこまで唱えて、もう己は王ではないことに気づく。
――魔法は想像力、なら、呪文を少し改編しても許容範囲だ。
「『――敗れた王の前に、無慈悲にも立ちふさがるというのか』」
光ったのは右手。魔方陣が手の先に出現し、盾の裏を照らす。
「『なら、私はそれを打ち破ろう』」
強化した足で床を押し出し、跳躍する。一足で二階へと跳び上がった。
「『その先に私の大切なものが待ち構えているのだから』!」
右手に万の力がみなぎる。
魔術師達の間に着地すると同時に、魔術師が二人塊っていた左側に盾を投げつけた。突然の突撃と投降に相手はひるむ。
その隙に、右手側にいた敵一人の方を向き、右手を振りかぶった。距離は三メートル。
――行くッ!
そちら目掛けて、赤い絨毯の上に右足を踏み込んだ。
一瞬のうちに一メートルが消える。だが、
「『狼藉者を穿て』!」
呪文を叫んだのは宮廷魔術師。生まれたのは小さい光の弾丸。
やはり、戦闘と魔法のプロである宮廷魔術師。突然の攻撃に対応してきた。
放たれたのはエネルギーの塊だろう。即席で作られたために威力は小さく、エネルギーを打ち出すだけの魔法は難度が高いために、大した強さではないだろう。だが、人に当たれば命の一つや二つは軽く持っていく。だから、
「ッ!!」
右手をそれに喰らわせる。
魔法を秘めた両者がぶつかり合い、光を炸裂させる。
手に、前へ行こうとする己の力と、押し返し、あわゆくば壊してしまえという相手の力が掛かり、刺すように冷たい痛みが駆ける。
「『自分の手で道を切り開け』!」
――だから、呪文を上乗せした。
負けた光の弾丸が掻き消え、自分はその勢いで敵を殴りに行く。
二歩目を踏み込み、呪文を唱えた後の隙のできた魔術師の懐へと入り、三歩目で、
「――ッラァァア!」
鳩尾に拳を叩き入れた。
カ、と魔術師は血と唾液の入り交じった息を吐き出す。そして、そのまま力を受けて廊下を転がっていった。
――まずは一人!
視線を反対側に動かした。二人の魔術師がちょうど盾越しに、ひるみから立ち直っているところだった。
「『だから――』」
そこに突進する。
「『私が行くまで待ってろクライス』!!」
そして、盾ごと階段下に殴り飛ばした。その先からは、味方の驚く声が聞こえる。
「モンタギュー! 上がってこい!」
敵は全員撃破だ、と言おうと階下を振り向いて、
「後ろだバカ!」
鬼の形相で盾と一緒に飛び込んできたモンタギューがいた。
一体なんだ、と思い、モンタギューが跳んでいく方向、自分の左、正面入り口から右を見れば、そこには、
「『王の道を――』」
口を血だらけにしながらも魔法を繰り出そうとする、最初の魔術師がいた。
――相手の魔法で、拳の威力が弱まったか!?
魔術師は、モンタギューの盾で殴打され、壁に打ち付けられる。
だが、そうは言ってもモンタギューは事務官。中途半端な打撃はさした効果を与えず、二人はそのまま殴り合いの喧嘩にもつれこんだ。
文系職業の二人が、廊下を転げ合い、絨毯を鼻血で汚す。
助けに入ろうと思うが、混戦状態で混ざることができない。
どうする、と焦りの汗を垂らして、
「この野郎がッ!」
先ほど話していた兵士が階段を駆け上がり、二人をまとめて押さえ込んだ。
そしてそこからモンタギューを引き離し、魔術師のマウントポジションを取って拘束する。
モンタギューは顔を血塗れにしながら、赤絨毯の上に息を荒げて寝転んだ。
そこに簡単な回復の魔法を掛けに行く。
「……お前、事務官だろうが」
「あんた、国家元首でしょうが」
お互い馴れないことをやった。
モンタギューの手を取り、体を引き上げて立たせる。
「――行くぞ」
返事を聞かずに走り出した。
向かったのは、かつての自分の居室、女王の部屋だった。
エントランス二階から左側に一直線、突き当たりを右に曲がり、廊下の角をもう一度右。左手三番目の扉。
敵はいない。それなら好都合。
――クライス……!
何を言ってやろうか、何をしてやろうか、何をして行くのか。
何よりもまずは、
「ブッ飛ばしてやる!」
扉を殴り開けた。
――そこには何もなかった。
「え……?」
誰もいなかった。
石造りの部屋にあったのは、ほのかに湯気の上るティーセットとテーブルだけ。元々あったベッドやテーブルはなく、恐らくは処分されたのだろう。
屋根はハイルディの魔法のお陰でなくなり、沈みかけた月が伺える。
――どこに、行った……?
クライスは殺されようとしている。なら、一番初めに革命軍が乗り込むであろう女王の部屋にいるはずだった。
「おいてかないでくださいよ、女王!」
後ろから聞こえるモンタギューの声が、どこか遠くにあった。
部屋の中央へと進み、ティーセットを見る。
飲み掛けの紅茶の横に、保温用の器具と共におかれた緑茶のカップ。飲みやすい温度の熱気が上る。
――一緒にいたいなら……!!
腹の底から沸き上がった、名を付けられない感情に、奥歯を噛んだ。
――どこだ! どこにいる!?
半壊したバルコニーへと向かい、視界の開けた中庭を見渡す。その正面には、屋根がなくなった立法府の大会議場の中を上から遠目に見ることができるようになっており、
「見つけた……!」
その中に、ただ一人で会議場を歩く小さい燕尾服の人影を見た。
「行くぞ、モンタギュー! ついてこい!」
え、と事務官の呟きを背に、自分は助走をつけ、
「ッリヤァァア!」
バルコニーから飛び降りた。
――淑女としてはややはしたない移動だな。
礼より実利だ、と考える。
「あんた国家元首だろうが!」
なんでそうバカやるんだよ!――愚痴の叫びが頭上から降ってきた。知るかそんなこと。
目の前には、まだ戦いの続く中庭が広がっている。宮廷魔術師と、盾持ちの兵士達が戦う光景だ。自分の降りた場所は、兵士達の陣の中央。指揮を執れるような位置だ。
――ああ、もういつまで働けばいいんだ。
目の前の作業に溜め息をつく。
――だが、あいつに会うまでは、
「いつまでだってやってやる!」




