第二章 亡命者
「外に出る用意をしろ」
秘密会議室を出るなり、クライスにそう告げた。
「街にいく、ついてこい」
「お忍びで、ですね。わかりました、外套を用意します」
テキパキと服が用意される。一般的なロングスカートに、目立たない色の上着と外套。
自分の方は、もしもの時の魔法杖と、メモ用の羊皮紙とベンをポケットに入れる。
「場所はどこに?」
財布や押印、国印までもったクライスに聞かれる。お前は大取引か雇用契約でもする気か。
「実地調査だ――貧民街に行く」
湿った、淀んだ空気が肌を撫でる。
「いつ来ても、ここは酷いな」
城下町のはずれ。木の建物は朽ち、レンガ造りの壁には苔が蔓延り、何かが腐ったような匂いが蔓延する。
貧民街――どの国にもある、社会の最下層。最下層でありながら、支配カーストが存在し、奴隷や負債者が下層。悪徳権利者や商人、奴隷商が中層に位置し、上層には――役人が居座っている。
……ここでも、腐った役人を見ることになるのか。
社会の最下層であるが故に、社会の縮図を表していた。
「搾取される市民の上に権力者が並び、税金がそこから徴収される」
支配は同時に金の流れを表す。
「その上、金を巡って売買春や殺し、盗みが発生するわけだ」
「そういう考察はこの状況をなんとかしてからにしません?」
泣きたくなるようなクライスの声。
「現実逃避しているんだこっちは」
――なんでまたこんなことになっているんだか。
周りを見渡すと、ボロボロの衣類を身に纏ったゴロツキ達がナイフや短剣をもってこちらを囲んでいる。
場所は、貧民街に入ってからすぐ。遠く、北東には王宮の屋根が小さく見え、視線を反対に動かせば、城下町を囲う城壁が迫っている。
「路地に入って五秒でからまれるとは、治安が悪すぎるな。治安部隊を突入させても根本的解決にはならないし……」
「だから現実見てください!」
「てめぇらなにグタグタ言ってんだァ!」
ゴロツキのリーダー格が叫ぶ。言葉はゲルマン系の訛りだ。大方、神聖ローマの内乱から逃げてきた難民だろう。綺麗にすればどこかの騎士にでも見える体格だ、勿体ない。
「兄ちゃん、大人しく金目の物とそこの姉ちゃん置いて逃げてくれないか? こちとら手荒な真似はしたくないんだわ」
どうやら女王だとは気付かれていないらしい。知名度が低いのを喜ぶべきか悲しむべきか。
「お断り致します。こんなところで逃げれば従者の、ひいては家の恥です。やりたければまずは僕を倒してからにしてください」
なかなか男らしい、クライスがローブの下で戦闘体制をとる。
「ヘヘッ、そうこなくっちゃなぁ。面白いじゃねぇか」
ゴロツキリーダーは腰の鞘から長剣を抜き出した。
「では――行きますッ!」
言って、クライスが突進する。ただし、丸腰で。
「なんだ兄ちゃん――」
しかし、何かを口元で呟き、ゴロツキが構えた剣に応じるように――
「――魔法使いか」
金属音を打ち鳴らせた。
「ええまあ。端くれです」
クライスが子供のように悪戯っぽい笑みを浮かべ、後ろに飛び退く。
「うそこけ、あんな短時間でこんな上級魔法使ってるじゃねぇか」
クライスが使ったのは、魔力の集中によって指の先に剣を出現させる魔法。その上級編だ。硬度は一般的な大剣に相当する。
「お前ら、下がってろ。ここは俺とこいつの一騎討ちだ」
リーダーが部下を下がらせ、臨戦態勢を取る。
「――来いよ」
「――お望みどおりに」
魔法使いが地面を蹴り、剣士が刃を振るった。
――キィーン!
甲高い金属音が通りに響く。
魔法の刃が汚れたマントに切れ目を入れ、鋼の刃が身分を隠すフードを切り裂く。
何度も刃同士がぶつかり合い、片方が攻撃してはもう片方が防御し、その隙をついて攻守が逆転する。そして、もう一度それを繰り返す。
――ゴロツキのくせに中々やるじゃないか。
執事は主人の世話をすると供に、身辺警護もすることとなっている。
それはイルスタント家も例外ではなく、クライスも幼少の頃から、料理や作法の傍らで魔法戦闘術も学んできた。
仮にも枢機卿の元娘で、フランスの現女王である自分は、暗殺者などに命を狙われる可能性も高い。執事の戦闘力もそれ相応のものだ。
しかし、相手はそれと互角。あるいはそれ以上の強さだ。
――難民は難民でも、落武者か没落貴族、放浪騎士か。
神聖ローマの内乱で、多くの領主が倒され、難民と落武者が生まれた。その多くが隣国であるこのフランスに逃げ込んだ。(東のポーランドと北のスカンジナビアはエルフ主体の国家で風当たりが厳しく、南のハプスブルグはバルカン方面にいざこざを抱え、他に国境を接するベネルクスは神聖ローマと仲が悪い)
そういった者達が犯罪者に身を落としており、フランスの治安を脅かしているということもある。
――対処はしたかったが、どうしようか。いっそ、復国同盟で雇い入れて、武装決起や治安維持の部隊にするか?
バチカンの「学院」に魔法の試験運用要員として貸し出しても難なくパスするだろうし、地方領のヴェローナからは戦闘指南の依頼が来ていたはずだ。アイルランド帝国やスペインの亜人種への対抗戦力でもいい。
目の前では、剣が打ち合い、時折魔法の残光が視界を揺らす。
この男と同じ力量のものが何人もいるなら、防衛の懸念はなくなる。
「もっとも、今の復国同盟にそんな資金力はないし、必要性もそこまでないから、雇うわけがない」
独り言のように喋る。まるで、自分が安全安心な、闘いの外にいるかのように。
「まして――」
右手に魔力を集中する。取手を掴むように右手を上にあげて、
「――大将同士の一騎打ち中に、婦女子を後ろから捕まえようとしている連中なんてな」
後ろから伸びてきた太い腕を捕まえた。
「たかが王族と思って舐めてくれたらしいが、こちとら王家秘伝の魔法をいくつも習得していてな。特にバチカンは探知系とパワー系に優れているんだ」
笑いながら首を捻り、後ろを見ると、奇襲を見破られた屈辱に表情を歪ませる大男がいた。そいつに、満面の笑みで無言の侮蔑を送る。
相手は出した手をなんとか戻そうとする。が、
「弱いな」
自分の手に光の輪と紋章が浮き出る。
小さく現れたのは、バチカンの国章。鷲に二つの鍵を交差させた紋章だ。
それを確認して、口を開く。出るのは呪文の言葉。
「『王の前に立つと言うのか』」
筋力ではない力が腕にあふれ、男の手を離さない。
にんまりと笑いながら握力を強くする。
そのまま手を捻り、
「『頭が高い』!」
――大男を地に叩きつけた!
「ガァッ!?」
男がビクビクと痙攣し、気絶する。
「卑怯者は相応の罰を受けると思え!」
自分の宣言で、大将二人がこちらを見た。無論、次に目に入れられるのは倒れた大男で……
――いかん。目立ちすぎた。
「てめぇ!」
その姿に、黙って一騎討ちを見ていたゴロツキ達が叫ぶ。
「やるか?」
「ちょっと! 女王陛下は戦闘苦手なんだから下がっていてください!」
対してこちらは、鍔迫り合いから抜け出したクライスと供に、手に魔力を籠める。
「……」
なんとも言えない静寂が生まれ、両陣営が硬直する。
「―― !」
双方がジリジリと睨み合い、
「ッ!」
申し合わせたようにどちらも飛び出し、
「――やめろ!」
――男の声に止められた。
「……誰だ?」
声の主は、突如として対峙の間に現れた男。どこかの屋根から飛び降りたのだろうか、姿は着地の姿勢を保っており、その両手にはそれぞれ一振りの長剣。腰には左右一つずつレイピアを携えている。
「こんな街中で戦うんじゃねぇよ。人様に迷惑じゃねぇか」
深くフードを被った男は、何故か話す方向をゴロツキに向ける。
次に、今度はこちらの方を向き、一礼した。
そしてそのフードを取り、
「仲間が迷惑をかけました――女王陛下」
汚い路地裏。そこを、四人の男女が歩く。
「わかりますよ。戴冠から日が浅いといっても、その筋の人間が見ればね」
二人は、クライスと自分。残りは、ゴロツキのリーダーと、途中で戦闘に乱入した、今集団の先頭で案内をする男だ。
スラムを案内する男は、先程とはうってかわって穏やかな口調。
「申し遅れました。自分の名前は――」
「傭兵王、ヴァレンシュタイン、だな」
相手が言おうとした言葉を引き取る。
「あ、ご存知でしたか」
「その筋の人間ならな」
そう言うと、小さくヴァレンシュタインは笑う。
傭兵王――国内が二つの勢力、三つの地域に分かれて内戦中の神聖ローマにて、戦いあっていた傭兵をまとめあげ、一大勢力を作った男だ。武勲の噂は聞かないが、こと政治と統率力においては名高い功績を収めてきたと聞く。
しかし、なぜそんな奴がこの国に? 何でも、神聖ローマ政府側についたと聞いたのだが……。
「雇い主と連絡がつかなくなりましてね。しかも敵に包囲されましたから、契約切って逃げてきました。前金は十分もらいましたし、死人はでませんでしたし」
汚い路地の、しかし気を付ければ他よりも整備された道路を歩く。
「この整備は……」
「流石に酷い汚れ方でしたから、慈善事業も兼ねて整備させてもらいました。暫くはここを中心に仕事をする予定です」
――その整備を、国ができればな。
先程のゴロツキは、傭兵団の副長ウィルガンドと、それが率いていた子分で、貧民街の警備らしい。
「全く、あんたらも王族ならそれらしい格好してくれよ。フード被って、しかも媚薬の臭い出してりゃ奴隷商だと思うだろうが」
ウィルガンドは、見た目は人間だが、人狼と人間のクォーターらしく、鼻が利くそうだ。秘密部屋の匂いが自分達についていたため、それを勘違いしたらしい。
一つ路地を裏に入って、居住区と見られるエリアに差し掛かる。服装はみすぼらしいが、活力的に動く主婦や清掃員、子供たちの姿が見える。
「――傭兵のおじさーん」
そのエリアに入った途端、数人の子供にヴァレンシュタインが囲まれる。
「みんな、今日はお客さんがいるから、遊ぶのはまた今度だよ」
えー、と文句をいいながらも、子供達は親元に戻っていく。その親の何人かがヴァレンシュタインに会釈をし、傭兵王はニコニコと手を振って返す。
「傭兵王が、『おじさん』とはな」
「恐縮です」
苦笑いをしながらも、通りを歩いていく。
話に聞くと、ヴァレンシュタイン達の傭兵団は、一つの街として移動しているらしい。そのコミュニティの中にいるのは、商売を担当する者、事務を担当する者、教育を担当する者。まるで国や会社のように機能している。もちろん家族や親戚がおり、子供がいてもおかしくないのだが、
「さっきの子供は?」
「いろいろですよ」
国籍、身分、種族。色んな意味を含んだ質問は、そのまま返された。
「戦争で両親を殺された女の子もいれば、跡継ぎ争いのいざこざで家を追われた男の子もいます。バルカンから逃げてきた人狼や、北欧の故郷を追い出されたエルフ、シルクロードからやってきたドワーフ。捨て子に貰い子、うちの傭兵の子供もいます。もちろん、この貧民街の『弱者』もね」
耳に痛い話だ。
「何故?」
養っているのか。得は何もないのに。
「……俺たちが『作った』子供だからですよ」
こちらを見ずに傭兵王が呟いて、その張りつめた横顔にこちらの顔が気まずくなる。
「神聖ローマの内乱で『生まれた』子達はもとより、先の十字軍も、欧州が勝っていればこの子達は『生まれ』なかった。異族もそうです。バルカンの領土権、北欧の神間戦争、中国の不況。もっと綺麗な解決方法があれば、この子達は『生まれ』なかった」
また寄ってきた子供の頭をヴァレンシュタインは撫でる。そして苦笑いと共に手を振って子供と別れる。
「その責任を取るのが、俺たち軍人の、大人の使命じゃないでしょうか」
どこか遠くを見つめるように、傭兵王は呟く。
「――できれば、それを傭兵からではなく、大臣の誰かからそれを聞きたかったな」
後ろについてきていたクライスが、苦い顔をする。
「その責任を取るためにも、改革を進めませんとね、女王様」
クライスがこくりと一つ頷いたところで、ヴァレンシュタインは立ち止まる。
「さあそれでは女王陛下」
場所は、少し開けた広場。その中央には事務デスクが置かれ、そこにヴァレンシュタインが座る。
「この薄汚れた貧民街に何のようでしょうか?」
ついで出てきて傭兵王の横に控えるのは、事務官らしい女性。その横にはウィルガンドが控え、周りには重装備の衛士が何人も立ち――
『囲まれたな』
『そうですね、路地にもわんさか。ちゃっかり子供は避難させています』
思念に魔力を乗せた通信――テレパスでクライスと会話する。
『向こうも警戒しているんだろう。曲がりなりにも、私達は政府の役人で、相手は不法入国者なんだからな』
こちらがどんな伏兵を用意していても、対処できる布陣だろう。
「ただの実地調査だ。国政を行う者として、貧民街の調査は欠かせないものだろう?」
言うが、警戒の色は消えない。
「では何故、女王とその執事だけなのですか。国のトップが簡単に出歩けるわけがない。まして貧民街になんて」
『何かある、と疑われているな』
『はい。多分、その『何か』がわかるまで帰してくれないでしょうね。最悪、偽物とされて、或いはコミュニティの障害として、殺されるかもしれません』
実際の話として実地調査なのに、どう対処したものか。
ないなら、嘘でも作ればいい。
「――仲間を探している」
ただし、それは真実を孕み、利益のある嘘。
「この国を立ち直らせてくれる仲間を」
何も本当に嘘はつかない。相手の取り方でどうとでも取れる発言。曖昧さは罪じゃない。
「復国同盟……ですか」
「知っているのか?」
「諜報部が拾ってきただけですよ。まさか本当にあるとは思いませんでしたけど」
相手の受け取り方で、どうとでもなる真実を言う。
「私達はこの国の改革を目指している。武力的にせよ、法的にせよ、味方は多い方がいい」
「そのために、傭兵団の力を使いたいと?」
頷かない。ここで肯けば、この話はこちらが持ち出したことになり、それはこちらが譲歩する側になってしまう。それに、私は嘘を言うことになる。このことは復国同盟では話してもいないし、早急に欲する訳でもない。
相手は、じっとこちらを見つめたまま動かない。
――こっちと同じことを考えているだろなあ。
「――わかりました。話に乗りましょう」
結局、先に折れたのは相手だった。
仕方ないだろう。こちらには「国家権力」という切り札がある。
「では、雇用内容と報酬は何ですか?」
「報酬は、この国の滞在許可を全員分だそう。なんなら税免除もつけようか?」
見返りがないのなら、と相手は苦笑する。借りをくれるような相手じゃないだろう。
「逆に、こちらが傭兵団に頼むのはひとつだけだ」
報酬の少なさ、ひとつという言葉にヴァレンシュタインは首をかしげる。
「傭兵団は私達、復国同盟を最優先の顧客として扱い、かつ国内の各地を転々と移動してもらいたい」
なるほど、とやられた、の中間の表情が傭兵王に浮かぶ。
「傭兵団を、経済効果の道具として使う気ですか?」
経済効果――傭兵がいることによって、消費が発生する。消費には生産が必要だ。生産により、業者に利益が落ちてくる。なら、生産は何から生まれる? 労働。労働で物が作られていく――なら労働は? 人、即ち傭兵だ。
金を配るのが救済ではない。物を与えるのが慈悲でもない。ただ、金という水がよく流れるようにしてやればいい。
「おう、旅費ならこちらが出そう。こちらが依頼を出さなければ自由行動。民間からの依頼を受けてもらってもかまわない。報酬はその時の契約で依頼主と決めてくれ」
顎に手をあて、目の前の男は考え込む。
「移動は半数でもいいでしょうか?」
「残りは何をするつもりだ」
ふっ、と傭兵王が立ち上がる。
「ここは、廃れてはいますが元々、商工業が盛んな区画でした。また、街道も近く、交易の目もある」
そこまでで、相手の思惑を理解する。
「――つまり、この区画を開発したいと?」
「ご名答。やはり女王陛下は賢明ですね」
開発。ようは先行投資だ。貧民街の成長に投資し、将来的に利益を回収する。傭兵のすることじゃないな。
「よし、わかった。なら、報酬にこの区画の行政権をつけよう。見返りはなしだ」
「何故?」
ここで何故、とくる辺りが、頭がキレるというかあざといというか。
「政治腐敗が進んでいると言っただろう。腐った役人より泥臭い傭兵の方が頼りがいがある。具体的な権利は、区画の最高責任者だな。内務大臣は身内だし、下端役人は好きに首を切ってくれ」
無論、税は国に直接納めてもらう。そうすれば相手にもこちらにも悪くない話だ。
「では、それぞれの交換材料の整理をしてもよろしいですか?」
こちらが頷くと、女性事務官が羊皮紙を取り出し、羽ペンを走らせる。
「傭兵団は、任務の優先受理権と、貧民街の統治義務、国内移動義務を」
「フランス王国は在住権と、統治権を」
中央で握手を交わし、羊皮紙にサインする。
「取引成立だ」
また、改革へと一歩進んだ。




