第二十章 ただそれに従順
空で、竜と天使が舞い踊る。
「右から回り込んで」
ヴァレンシュタインが、竜に囁きかけると、小さく鳴いたユランが大きな翼を羽ばたかせ、反時計の旋回軌道をとる。
速度が乗った瞬間、
「『Get out from my sky!《俺の空から出てけ!》』」
自分達が一瞬前まで居た場所を、高速の光の弾丸が通過した。
「危ないなぁ……」
呑気に言えている分、自分はまだ落ち着いているのだろう。
ユランが、旋回の流れで敵へと接近する。その距離百メートル。
――攻撃準備……。
右手に意識を集中。現れるのは緑の魔方陣。
使うのは、肉体強化と、初級転移魔法。肉体強化は言わずもがな、転移魔法の方は、短時間で物体が元々の場所に戻ってくるため、本来は書類のやり取りなどを行う魔法だ。そして、無呪文で成立する故に、すぐに発動する。
手に呼び出したのは、背中に背負ったハルバード。
それで何をするのかと言えば、
「……」
ハルバードを持ち上げ、槍投げのように振りかぶる。
「――オッッラァァア!」
そしてそのまま投降。ハルバードは真っ直ぐ敵に向かう。が、その結果を見ずに腰のレイピアを転移魔法で取り、二本連続で投げつける。
大一、小二。計三本の剣が天使の輪に傷をつけようと突進する。
「『……効かねぇなぁ!』」
だがそれは敵へ至る前に、相手の放った光球に落とされる。
――やっぱ無理か。
だけど、
――狙い通り。
次の瞬間、地上へと落下の最中だったハルバードが、淡い緑の光に包まれて、消えた。ならどこに行ったのかと言えば、
「次弾準備……」
右手に、重量級の剣があった。
転移魔法の効果が切れる――その結果として、剣達は魔方陣の在った場所、つまり自分の背に戻って来る。あとはもう一度呼び出せばいいだけだ。使う魔法は初歩の初歩であるために、使う魔力も取られる手間も少なく済む。
そして、その呼び出し・投降のサイクルが産み出すのは、
「無限剣撃……とか言ってみたり」
無論、三本でそれをやるわけではない。
「『刃を持ちうる下僕たちよ。さあこの手に終結せしめよ』」
中級転移魔法。遠くの物体を、自分の場所まで持ってくる。
来たのは、誰の物とも知らない槍。投げる。
次は、少し刃こぼれのした斧。投げる。
最初に投げたレイピアが戻ってきた。投げる。
メイス、欠けた矢、レイピア、尖った枝――投げる。
連続投射で連なった武器達が、一直線にジャンヌへと向かう。
「『うざってぇ』」
顔をしかめた相手の呟き一つで叩き落とされるが、
「攻撃ができないだろう?」
意地悪に笑う。
弱かろうとうざかろうと、それは致死量の攻撃であり、防御の動作を展開するしかない。結果として敵は攻撃の暇を奪われる。
もともと勝てない勝負、どう長引かそうと自由だ。
武器を、遠くから見れば線に見えるほどの密度で投げつけながら思考する。
自分は、傭兵団長であって、並外れた強さを持っているわけではない。力ならウィルガンドの方が強いし、スピードは先ほどの事務官にも劣る。戦闘力のほとんどをユランに頼っているのが現実だ。(そうとは言っても、前線で団長が戦闘をするなんてことは滅多になく、指揮能力があればいい。じゃあ今はなんて馬鹿げた状況なのだろう!)
だから、どうしてそんな自分と、目の前の戦闘狂が戦いたがるのかがわからない。ウィルガンドの方に行けば良いものだし、恐らく革命軍陣営で最高の戦闘力を持つ、魔女ハイルデカルドもいる。
どうして、たいして強くもない自分と戦うのか、そして、
「なんで、仕事の邪魔ばかりするんだよ!」
憂さ晴らしのように、ハルバードを天使目掛けて投げつける。
――前の時だってそうだ!
地方軍の演習の相手をしていたら、演習内容を無視した一騎打ちを仕掛けてきた上、戦闘区画を飛び出し、付近を破壊しながら森の中へ移動していき――
どうやって切り抜けたのかと聞かれれば、
――逃げながら、森の中に巨大魔方陣を書いて、ちょうど中心を飛行していたヤツに拘束魔法掛けて、あとから来た団員に催眠魔法掛けさせたんだっけ。あとは逃げ際に掠り傷を与えたぐらい。
我ながらよく機転を利かせたと思う。魔力も、ルクレツィアより少し豊富というだけで、強みになるわけではない。
ジャンヌを恨み、またメイスを投げつける。
五十メートルほど離れた相手の方はというと、絶え間無く続く剣撃を防ぎながら、苛立ったような、期待するような顔をこちらに向けていた。
「『ふざけんなよ……』」
何をふざけるというのか。狂っているのはそちらだろうに。
「『これがてめぇの本気かよ!? これが、俺をはじめて傷モノにしたヤツの攻撃かよ!?』」
「はじめて傷モノ」なんて、なんだか自分がオトコとナニかしたみたいじゃないか。いかがわしい。
それよりも、彼の言葉に感じたのは、違和感。
――はじめての傷? 俺が前に与えたのが?
そんな訳がない。
そもそも、何故、男のジャンヌが『聖処女』などと呼ばれているのか。
まず『聖』は、信仰の対象、大天使のウリエルを表している。
『処女』とはつまり『何者にもその血を汚されたことがない』。ようは、戦闘において一度も負傷したことがないという意味だ。最初に言い出したのは、ジル・ドレとかいう聖職者らしい。なんともけったいな。
それを、自分が傷をつけたというのなら、彼から『処女』を奪ったということになり……
――うわ、なんか俺、男相手にすごいことしてるな。
浮かんだ薔薇薔薇しい想像を横へやり、思考をやり直す。
――俺が初めてな訳がない。だってあいつは……
続けようとして、しかし敵の側に光球が出現し始めているのに気づく。
――どうやってやってんだよ!?
剣を投げる傍ら、目を凝らしてみれば、左手で防御の魔法障壁を連続展開し、右手で光球のための魔方陣を描いている。
――両手と背中に三個魔法出しながらまだ追加で魔方陣を作るのかよ! しかも片手!?
あまりにも法外な相手の技術と魔力に絶望する。防御の魔法は、基本的に、どんな攻撃であっても一度しか耐えず、今のような状況では連続で発動する他ない。その上、面で防御する以上、平面認識を作るために両手を使わなければならない。しかし相手は……
「恨めしくて羨ましいね、その力!」
「『言うなよ、照れるじゃねぇか』」
光球が飛んできた。
「ユラン!」
相棒が一声嘶いて、身を翻し、宙返りをする。
重力が反転し、頭が揺さぶられるが、その頭上を、地面を空の風景にして光球が高速で過ぎ去っていく。
「『まだまだまだまだァァァアアアア!!』」
だが、天使がそれで満足するはずもない。
回避させられたために途切れた無限剣撃を、逆の流れで埋めるように、光の束がこちらに襲い来る。
「無茶苦茶でいいから避けて!!」
言われたユランは、返事をする暇も貰えずに回避を差し迫られた。
時にまっすぐ、時に変化をつけて襲ってくる光球を、回転し、身を捻り、急上昇急降下し、ユランは避けていく。避けきれない光球は火球を吐き出して相殺する。
――……酔いそう。
胃からあがりかけた苦いものをなんとか飲み込む。
乗り手には関係なく、ユランは一発も掠りさえせずに回避していく。
「それを活かさないとね!」
反撃だ、と右手に剣を呼び出す。
「ッラァァァア!」
投げる。先程と同じように、武器を呼んでは投げ、投げては呼んで。
しかし、違うのは、相手が防御するのではなく、光球でもって相殺してくることだ。
鋼と光がぶつかり、爆発を奏でる。
コースを変え、タイミングをずらし、相手を翻弄するように投降するが、無為にも光球に落とされるだけ。
――これじゃ埒が明かない!
攻撃を変える、とユランの耳に口を近づける。
「体勢整えて加速して」
自分の方は、投げる密度を濃くし、敵に隙を作る。
竜と天使のちょうど間で爆発していた剣群は、徐々にその爆発位置を天使の方向に近付けていく。
ユランがジャンヌの真正面に来たところで、
「――突っ込め」
突撃を命令した。
ジャンヌは、迫る剣と竜に対して、恍惚とした笑みを浮かべた。
――おもしれぇ、おもしれぇぜ傭兵王!!
相手が仕掛けてきたのは、突撃。恐らくは決死だろう。
――こんなことする奴はお前が初めてだぜ!
今まで、こちらを恐れて距離をとって戦う人間はいたが、わざわざ『最強』と吟われる自分に肉弾戦を挑む奴はいなかった。
――てめぇは俺をいつだって昂らせてくれる!
前回の戦いもそうだ。
森の中に巨大魔方陣を展開――それがどういうことだかわかっているのだろうか。
即興で魔方陣を作るのは誰だってできる。現に、今自分が指で空中に書いて光球を出しているのがそれだ。
だが、それを自然地形のなかでやるとなれば話が違う。
魔方陣は、発動する方向に対して図形が描けていなければならない。ただの平地であれば、一定の距離で区切り、作図するように書いていけばいい。しかし、森や山であれば、地面に起伏があり、岩や木といった障害物がある。それらで生まれる歪みやズレを計算に入れ、魔方陣を書いていかなければならない。
普通、そんなことを個人がするなんてことはありえない。何人もの数学者が何ヵ月と計算し、何日か掛けて書き、発動する。
――その計算を、奴は一人で! 逃げながら! ものの数十分でやりやがった!!
普通はやらない――だから予想せずに、まんまと罠にかかってしまった。
――今度はそうはいかねぇ!
今、ヴァレンシュタインは、竜とともに特攻を仕掛けてきている。ドラゴンの突進でこちらを撃ち落とすか、すれ違い際に切りつけるのが目的だろう。
――なら、それまでにこっちが落とすまで!
光球の発射頻度を増やす。
しかし、竜が時折体を捻り、また、剣をぶつけさせて、光球が処理される。なら……
――防御魔法!
光球を撃つ傍ら、左手で新たに魔方陣を生み出し、防御の障壁を展開する。
――ぶつかりに来やがれ!
一発しか防げない防御、それは逆に一発は必ず防げるということだ。竜の体当たりだろうと難なく防ぐ。
だが、突進すると思っていた竜が、突然口を開け、その喉に赤い炎をちらつかせる。
――火球で処理する気か!
運悪く、光球が途切れたタイミング。そこに、竜の火炎が来た。
防御障壁と混じりあって爆散し、視界が煤煙に包まれる。
――煙幕で紛れて突進される!
我ながら下手を打った。相手に付け入る隙を与えるとは。しかし、
――目が見えなくても、タイミング合わせて殴りゃいい!
竜の速度はわかっている。距離も大きさも。なら、それが飛び込んで来る瞬間に拳をぶつけてやればいい。
右拳に筋力と攻撃力強化。なに、たかがドラゴン。『最強』の自分に殴り飛ばせないわけがない。バハムートでも難なく行ける。
右の腕を振りかぶり、飛び込んでくる標的を待つ。
――三、二、一……!
全力で突きだした。瞬間的に音速を超えた右腕が、空気との摩擦で火花を散らす。
しかし、
――来ねぇ……!?
腕が伸びきり、力が抜けきっても、煙の中から相手の姿が現れることはない。
――計算ミスか!?
有り得ない。それは自分の才能と能力において断言できる。
――なら、なんだ!?
疑問の思考を巡らせた、その一刹那のあと、煙から飛び込んで来たのは……
――人間一人!?
双つの長剣を眼前に構え、空中を跳ぶヴァレンシュタイン。位置はこちらより少し上だ。
一瞬視界を下に動かせば、急降下していく黒竜の姿が見えた。
――竜の背から跳んだのか!?
恐らくはバックステップで跳び、勢いを殺している。故にタイミングをずらされた。
――おもしれぇぜ、お前は!
地面から百メートル離れた所で空中に身を放り出すなんて正気の沙汰じゃない。空中浮遊なんてことは、膨大な魔力を持った人間にしか不可能だ。(例えば俺のような)
――お前の方がよっぽど無茶苦茶だぜおい!
無茶苦茶だが、
――やべぇぜ俺!
全力でパンチングしたせいで、体勢が崩れている。相手がこのまま自由落下していけば、それは自分の首を跳ねるコース。
このままいれば殺される。そして、回避しても避けきれない。だからこそ、
――全力で避ける!
体を捻る。パンチの姿勢だったために、腰がおかしな形に曲がる。それでもまだ敵の射程内だ、と仰け反る。
ヴァレンシュタインは、合わせた双剣を×印に切り開く。その切っ先が自分の顔を丁度斬るコースであり……
――まだ避ける!
光輪が膨張した。
足の、飛行のための推進魔法を、一瞬だけ高出力にし、体が強烈なGとともに横跳んだ。
剣先は、横顔スレスレの場所を通過し、しかし虚空を斬った。
――避けた!
緊張的な安堵もつかの間、回避運動の反動で体が無差別に回転し、視界が揺れる。だが、
――逃がさねぇ!
完全な自由落下に入り、隙だらけとなった傭兵王の背中を睨み付ける。
相手も、その隙を認識しきっているようで、焦った表情で振り返り、にらみ返してきた。
――光球発射ァァ!!
左手が乱雑に五芒星を描き、光の球を発射した。それはそのままヴァレンシュタインに向かい、
「―― !」
が、とも、ぎ、とも聞こえる、音にならない呻きがヴァレンシュタインの口から生まれ、爆発の攻撃を食らった相手は、その勢いで高速落下する。
「死ぬか!?」
この高度から落ちれば、命なんて木屑のように砕け散る。
半ば期待と、残りは「惜しい」という気持ちで叫ぶ。が、その期待は裏切られ、損失はなかったことになった。
轟。
風を切る爆音が下方から響き、ついで黒い影が通りすぎる。
「竜か!!」
黒竜が、主人を受け止めようと、さらに急降下した。
竜は、ヴァレンシュタインを腹で受け止め、その勢いを横に飛んで逃がそうとする。だが、
――低いな。
急降下を繰り返したせいで近づいたパリの建築物、その教会。不恰好に高い教会の天辺にある、小さな塔。
竜がそこに左翼をぶつけ、体の主軸がぶれ、立ち直そうとしたせいで高度が下がり……
――ぶつかる。
家々の屋根で竜の巨体がバウンドする。一回、二回、三回。
レンガの屋根を些か吹き飛ばした後、途切れた街並みの先にあった公園の噴水を破壊して止まる。
――勝った……!!
死んではいないだろう。だが、戦闘不可程度には傷を負わせた。相手のダウンでゲームセットだ。
――一瞬は危なかったが、こっちの無傷・完全勝利だ――!?
そう思った矢先、右頬を何か水分が伝う。
雨か、と思ったが、空は快晴の夜空。嬉し涙や汗でもない。
その水気を、舌を伸ばして舐めとる。
――鉄の味……!
血の味がした。
何かに奮える左手を、右頬に這わせれば、斜めに傷が生まれ、そこから少しの血が出ているのがわかる。
――二回目。
「最高だぜ、傭兵王!」
唇が弧の形に曲がる。
「お前は強くねぇ、だが、最高に最高だ!」
己が相手に求めるのは強さではない。どんな強さでも、自分が本気を出せば簡単にねじ伏せられる。(つまり今は本気じゃない)
なら何が欲しいのか。
それは「意外性」であり「刺激」であり「成長」だ。
戦いの中で柔軟に戦術を変え、こちらが体験したこともない刺激をくれる。
それが、傭兵王・ヴァレンシュタインだった。
「一度目もそうだ、てめぇは俺を最高に興奮させてくれた! 今もそうだ! 狂ってるとしか言えないぐらいありえない刺激をくれる!」
竜の腹の上で、相手が聞いているのかは知らない。だが続ける。
「お前は俺を『汚した』最初の人間だ! 誇りに思え!」
「違う!」
――相手は聞いていたのだ、と認識した。
叫び声が、竜の腹から聞こえた。目を細めれば、腹の上で、竜の手を押し分けて立ったヴァレンシュタインの姿が見える。
「何が違うよ?」
「俺の攻撃がはじめてな訳がない!」
アァ?、と思わず苛立った呻きが出た。他の人間に俺が負けたというのか。
「はじめてな訳がない、だって、お前は、ジャンヌ・ダルクは……」
ふと、懐かしい気配を感じた。
「処刑されたはずなんだから……!」
――天使は口角を上げ、バカにするように笑った。
次は二時間後




