第一章 政治というもの
「この国は腐りきっている」
そう気づいたのは、何年も前のことだった。
この国とは、自分――ルクレツィア・ボルジアが女王を務める、フランス共和国。
自分は、元々バチカンの枢機卿の娘だった。それが、紆余曲折の政略結婚のすえ、先代の老王の側室になった。
王妃を病気でなくしていた王は、この国の現状を嘆いていた。
「大臣には賄賂がはびこり、街には犯罪と貧困。この国はもう、死んでしまった。一体、誰がこの国を救ってくれるのだろうな」
悲しそうにそう言った王は、結局私に手を出さなかった。
「この国と娘を、頼んだ」
死の間際、王は私の手を握りながらそう呟いた。
王の子供は、王妃との間にできた娘が一人いるだけ。それもまだ十にも届かない歳だ。暫くは自分が摂政として女王をしないといけなかった。
政治の蓋を開けてみて、まず驚いたのは役人の不正だった。
この国は、主要大臣を上流貴族が担当し、下級役人を官僚が、上級役人をエリート官僚と貴族が担当している。
しかし、現在は腐った政治が――否、政治すら行われていなかった。大臣の殆どは賄賂と脱税に躍起になり、上級官僚はその大臣に袖の下を渡して出世をものにする。辛うじて政治が生きているのは、昔からの大臣や、志を持って行政に参加した若い下級役人ぐらいだ。
財政難に軍費の圧迫。脱税収賄横領は日常的。財布が寒くなれば、連鎖的に生活は悪くなる。警察の動きが鈍くなったために治安が乱れ、火事や犯罪が発生する。消防システムや盗賊対策、交通整備もおろそかになり、防火や医療品の調達もできない。結果発生するのが暴動だ。軍が出動し、また財政を圧迫する。軍費を懐に入れるものも出てきて……。もう助かる道はなかった。
やることはやった。税制改革、違法官僚の摘発、公共事業、開拓の奨励。
しかし、改めた税が収まるのは大臣の袖。そうなれば公共事業もただの出費にしかならない。官僚を摘発する者も官僚、賄賂の流れをよくしただけだった。そんな官僚が開拓の指揮をするわけもない。
すべては、この国の政治体制が問題だった。
王にできるのは、議会への参加と発議、一部の軍・行政を動かすことだけ。かつて中途半端に起こった共和革命により、議会は立法権、司法権、行政権とほとんどの軍権を持ってしまった。権力が一ヶ所に集中しているため、それをくつがえすこともできない。
権力の集中は、カリスマが正しく政治を動かすのならば善く動いていくが、一旦腐敗してしまえば立ち直ることはない。
遠からずこの国は滅ぶ。そう確信した、夏の日だった。
「オルレアンにて革命家の煽動による暴動が発生しました。現地警察が対処していますが、分が悪いようです」
自分の副官の、よく通る声が大会議場に響く。
会議場は、大きなドームの形をしており、柱には聖人達の彫刻をこしらえ、部屋の中央に円卓が、出入り口の反対側に玉座があり、部屋の端には来賓用の傍聴席が用意されていた。
「……国軍第三師団にまかせる。采配は師団長に一任、掛かる費用も人員も殺しも最小限に抑えろ」
国軍の第五師団までは王の管轄だ。これなら大臣たちも口出しできない。いやそもそも――
――こいつらに何かを決めるやる気があるのか?
会議場には、二十人ほどの大臣達が、円卓を囲んで座っている。女王である自分は、形式上身分が上なので上座に座っていた。
しかし、その円卓で何かを話そうとする姿は見えない。
議論する気のある大臣は数名で――財務、法務、歩兵軍、海軍、内務――、彼らは円卓の向かい側を向いても無駄とわかっており、必然的に議論は女王の私とすることになる。
その五人の大臣や私の椅子は木製で、格好も軍の制服や家の紋章以外に飾りの見つからない服である、それに対し、情報大臣は指にはめた大粒のダイヤの指輪を自慢げに撫で、その隣の軍需大臣が鼻で笑い、黄金で装飾した自分の椅子を見せつける。豪華に着飾り、宝石を身につけた十数人の大臣は、自分の手元を見るか、隣の誰かに宝石を見せつけるか、はたまたうたた寝をしている。
一体お前たちはなんなんだ。何者なんだ。政治家か? 動物園のパンダか? ブタか ?いや、ブタだ、ブタに違いない。それ以外ならなんなんだ、ウジか?
「――そして、かねがね提案しておりました税制改革の内容ですが、お手元の資料に詳しくは載っております」
会議の終盤、四十半ばの比較的若い財務大臣がそう言いながら、重要な部分を説明していく。それを聞くのも数人だけだ。
「――その場合の経済効果は、上流層においてはやや減少しますが、貧困層における生活水準を引き上げ……」
「いけません、いけませんぞ!」
財務大臣の言葉が、椅子の宝石を眺めていたはずの軍需大臣に遮られる。
ふむ、あいつが会議に参加するとは珍しい。いやしかし、この税制改革に間違った部分はないはずだ。上流階級の商人を優先している暇はないし、スラムでは餓死者が出続けている。
「その改革では、長年の国の品位と騎士の誇りが――」
ああそうか。たしか、大臣の賄賂の出元には貿易商なんかが多くいたな。そいつらのためか。
軍需大臣は、まだ宮廷の仕入れがどうの、財務大臣は伝統をわかってないなどと訳のわからないことを言っている。
「以上のことから、税制変更はするべきではないと思いまする!!」
軍需大臣がそう言って、財務大臣は悔しそうに座る。
普遍的な国とは違い、財務省は軍需省に頭が上がらない。歯向かうものなら、軍需品のかさまし請求で財政圧迫するし、最悪は暗殺者を放ってくる。同じような理由で軍部も逆らえない。逆に、国を建て直そうとしているこちらが暗殺でもしようものなら、民意が着いてこない。
全く、隣国バチカンのチェザーレ公が羨ましい。あそこは厳格な独裁、神権政治だが、国は栄え、文化も高い。
隣の国に現実逃避して、丁度会議が終わった。
「あんのクソハゲ供! 貯蓄するぐらいなら散財しろ!」
枕を壁に投げつけたあと、床に落ちたそれにボディーブローを決める。
「荒れないでください、女王陛下。仮にも王族なんですから」
先ほど自分が脱ぎ捨てたドレスを拾う優男風の副官――クライス・イルスタントが呆れた溜め息を出す。
イルスタント家は、長くボルジア家に仕えてきた家系で、クライスも私が幼少の頃から世話をしてくれた執事でもあるし、『学院』で共に勉学に励んだ幼馴染みでもある。
「荒れないわけがないだろう!? 今少し損をするだけで十年後には税収と給料が数万倍になるんだぞ!!」
そう言った自分の格好は部屋着――と言えば聞こえがいいが、麻の下着一枚である。まだ暑い時期なので、胸と下半身が隠せればいい。
「経済が普通に回るだけでいいんですけどね」
ただでさえ先の十字軍の出費が痛いのだ。全く、発案者のスペインの前王には憎しみすら覚える。(もっとも、その王も亜人種との戦いで戦死したのだが)
「……この部屋も、殺風景になったな」
「いいじゃないですか、動きやすくて」
自分の部屋、仮にも女王の部屋であるはずここには、ベッドとテーブル、備え付けの暖炉以外に何もない。
先々代の国王の時までは、調度品や芸術品が多数置いてあったらしいが、先代がすべて売り払い、私の代では日用品も限界まで削った。ただ石材のだだっ広い空間が広がるだけである。
「水道と土でも持ってきて自活でもしようか。農法研究も兼ねて」
「やめてください。費用対効果が釣り合いません」
冗談にも本気で返すのは昔からだ。
ただ、王族が部屋で畑を作らないといけないほどまでに、この国は貧しいのだ。
「それをあの豚供は……」
またふつふつと怒りが上ってくる。
「――女王様」
そこで、急にクライスが事務的になる。その手には、魔電信石――遠距離会話用の魔法道具があった。
「財務大臣のペセタ様から連絡です。『ティータイムにゲームをしましょう』」
「――わかった。『チェスではなくポーカーを。ジョーカーをきちんと揃えて』」
はい、とクライスが電話先に伝える。
暗号会話。その時々で文句は変わるが、その意図を読みとる程度には双方頭がいい。
「じゃあ、合言葉を言わないとな」
続いて、息を小さく吸い、喉に集中を込める。紡ぎだす言葉には――
「『いつかの契りを叶えにいこう。あなたの元へ、逢いにいこう』」
――魔法をのせる。
途端に、部屋の壁の一つが割れ、通路が現れる。暗く、湿った石の通路だが、人がしばしば使っている様子や、掃除をした後が見える。
「いくぞ」
「はい。どこまでも」
その先に、クライスと自分、二人して進む。
この通路は、何代か前の君主が作った、密会用の……包み隠さず言えば、愛人との逢い引き用の部屋に続いている。
この秘密の入り口を開けるには、合言葉を一定の魔法の種類や強さで言う必要があるが、それ自体の発動は簡単だ。
しばらく暗い通路を歩いて、石造りの小部屋に辿り着く。
そこも、先々代までは付きのレースのベッドやら宝石類や如何わしい薬品がおいてあったが、全て売り払い、今は円卓と椅子が置いてあるだけだ。
その円卓を、先ほどの会議のように、しかしその心意気は正反対に、何人もの人間が囲んでいた。
「――全員揃ったか?」
「シャルル海軍大臣が演習で欠席。オルレアン公とハルクフ商工会長が遠方への視察で欠席。『学院長』とリシュリュー夫妻は仕事です」
返答したのは、先ほどの財務大臣ペセタ。それでも、部屋には十人弱が集まっている。
自分は開いていた一席に座り、クライスはその後ろに控える。
「それじゃあ、ペセタ。始めてくれ」
財務大臣に呼び掛ける。
ペセタは立ち上がり、みなを見渡した後で、
「では話し合いましょう。この国を変える方法を」
その集まりの名を復国同盟と呼ぶ。
メンバーは、若手官僚や将校、国内外の有力者を中心に二十数人。それぞれが扱える人員、兵員の数は、王軍を主として一万弱(ただし、民兵や予備員を含むため、質的数は八千ほどだ)。議会側の戦力の半分ほどだが、戦うとなれば負けない自信はある。
この集団の目的はこの、フランス共和国の建て直し。言論、文化、経済、政治の各方面での改革を起こそうとしている。
それぞれに思惑はあれど、改革を目指している。
各々の主張は、
「局地攻撃により戦術的勝利を拾い、議会派の軍を各個撃破すればいい」
と言うのが法務大臣フィリップを筆頭とした武力強行派。
「バチカンや神聖ローマ、スペインから支援を受け、それでもって会戦を仕掛けるべきだ」
と言うのは武力穏便派、今は不在の『学院長』ルドルフ。
「法の抜け目を探し、合法的に議会制度を変える」
それが、女王である自分を主とする政治改革派。
「まずは経済を立て直し、磐石な市場を築いてからことを起こすべし」
少数ながらもそう言うのが、商工会長ハルクフ。
比率を言えば、順に3:2:4:1と言ったところ。
何にせよ、現在は組織としてまだ完全ではないため、支援者集めと指揮系統作りを頑張っている状況だ。
「――兼ねてより提案のあった、特定条件下での危機管理対策について話し合いたいと思います」
中盤、今回の議長であるペセタが話を持ち出す。
「まず、前回までの内容をまとめますと、万が一この密会の存在が露見した場合、各人は封地・所属組織に呼び掛け決起することが決定されました」
如何に隠密的に国を変えるかが重要であるこの会で、存在の露見は計画の破綻を表す。ならばいっそ相討ちになってでも議会派を壊滅させ、後の処理を国民にまかせるという対処法だ。
「次に、何かしらの理由があり、議会を武力制圧する、または我々がされた場合の責任ですが……」
「――私が取ろう」
一瞬言うのを躊躇ったペセタの言葉を自分が引き受ける。
「勝とうと負けようと、責任は女王である私が取る。勝てば、それまでの圧政の責任者として、負ければ謀反の責任者として、自害だろうと陵辱だろうと受けてやるさ」
革命を起こすなら、それは地域の有力者をリーダーとした市民による武装発起だ。女王のクーデターは、遠からず市民に倒される。自分はあくまで政府の人間。民衆はそれを受け入れないだろう。
「……」
その言葉に、全員が沈痛な表情をするが、止める者はない。
最小限の犠牲で成功させる人材を選んだ。彼らにとっても、これは最善の方策だ。
「……では次に、王女様のことですが……」
小さくため息の音が。
「どうしましょう?」
はっきりとため息の音。
王女、ラセッタ=ユリクラス=エカテリンブルグ=エカテリーノ=イル=フランク=ブルボン姫――ことラセッタ姫、八歳。その肌の白さから、市民からは『白雪姫』と呼ばれる少女だ。アホみたいに名前が長いのは、母方と父方の名字を繋げた上、地名を付け、それぞれが尊敬する聖人の名前を付けたからだ。
本人の性格は、よく言えば天然。悪く言うとバカ。バカか大バカかと言うと大バカである。
「もし戦闘が起こったら、巻き込まれるのは必至だからな。どこかに避難させたいのだが……」
都市から近いところに避難させれば、暴動を見て「まあお祭りかしら!」と言って参加しかねないバカだし、遠いところに避難させれば迷子になって二度と戻ってこなくなるバカだ。(迷子で移動した最長距離は、母の実家のロシアではぐれ、地中海・シラクスの城塞で観光客と遊んでいるのを一週間後に発見した時だ。スキピオも真っ青の行軍速度だった)
「それなら、わたしめに心当たりがあります」
手をあげたのは陸軍指南役のグラスト教育長だ。
「神聖ローマのヘッセンの森に、七人のドワーフが住んでいます。異民族故に戦火にも巻き込まれないかと」
疑似亡命、しかも異民族か。安全は安全だろう。が、
「ドワーフはその……大層好色家と言う。そんな奴等に姫を預けて大丈夫なのか?」
「ご安心を。彼ら七人は好色家である以前に――男色家ですから」
ふと、ドワーフらしい筋骨隆々の体で、彼らがナニかをしている様子が浮かんだ――姫が違うものに目覚めそうな気がしないでもない。
「……まあいいだろう。背に腹は代えられない」
多数決でそう決まり、残り二、三の決定をした後、会議はお開きとなった。




