第2話 詠唱魔法、無詠唱魔法
さて、もう言わなくても分かるだろうが、エレンとはつまり、現代日本から転生した俺のこと。
エレン・アトカーシャ。2歳。男。
それが今の俺だった。
どうやらアトカーシャ家とはメルフィア王国という国の貴族らしい。
住んでいる家のある街はアトカーシャ家の領地らしく、一応貴族の中でもそれなりの地位にあるらしかった。
しかしこの幼い身では情報を集める手段が限られている為に、それ以上の事は知る事が出来ずにいる。
それはさておき、この世界で最も重要な要素となるのは、間違いなく“魔法”だろう。
先程母親――レイラ・アトカーシャが見せた『光玉』の魔法は極々一般的で簡単な魔法だ。
それこそ誰でも扱えるレベルの魔法で、攻撃力はまったく無く、ただ辺りを照らすだけの機能しか持たない。
無論攻撃用の魔術も多数存在しているようだが、それはどうでもいい。今重要なのは魔法そのものの存在である。
魔法という不可思議なものが存在しているならば、俺の“転生”という推論も現実味を帯びてくる。
まあ例えそれが本当だったとしても、元の世界に大した未練は無いので今更戻るつもりもないのだが。
強いて言うなら元の世界の両親の墓参りが出来なくなることだが、それは住職さんが何とかしてくれると思う。たぶん。
おそらくあの状況では元の体は無事では済まないだろうし、もし体ごと転移しているとしても行方不明として扱われる筈だ。時間が経てば、そのうち死亡認定されるだろう。
ならばもう元の世界に戻る理由はない。
何より、俺はこの世界に興味が湧いていた。
中世ヨーロッパの様な町並みと文化。
街の外には“魔物”と呼ばれるモンスター達が跋扈しているらしい。
未開拓地には古代文明の遺産の象徴である洞窟や遺跡が大量に眠っているとか。
そして何より魔法の存在。
知らず、俺は見知らぬ生活、見知らぬ生物、そして見知らぬ世界への期待に胸を躍らせていた。
この世界を自分の足で回ってみたい。日を経る度に、そんな願望を心の中で膨らませていた。
「じゃあエレンちゃん。もうすぐ晩御飯の時間だから、呼びに来るまで遊んでいてね」
目の前の母親はそう言うと、俺を離して部屋から出て行った。
仮にも貴族の妻である為に、やるべきことはいくらでもあるらしい。
貴族、それも領地持ちの貴族となれば子供の世話は使用人任せでも可笑しくはないのだが、母親の性格を考えればさもあらん。ありがたいことだ。
母親の足音が離れていき、周りに人気が無いのを確認する。
今は安全だと判断し、先ほど母親がしていたように両手の掌を上に向ける。
「光よ、玉となりて我が道を照らせ。『光玉』」
すると先ほど母親が使った時と同じように、光の玉が掌から浮き出てくる。
大きさは幾分か小さいが、まあ2歳にしては上出来すぎるほどだろう。
俺はこうして魔法の練習を日課にしている。
どうやら魔法とは魔力を元に発動させるものらしく、その魔力は各個人が持つものらしい。
一歳ごろに初めて魔法を使った時は、『光玉』を一日に三回発動させるだけで魔力が空になっていたが、それから一年ほど経った今では一日に五十回使ってもまだ余裕がある。
魔法を使って魔力を消費させ、そして時間と共に魔力が回復するたびに、自分の“総魔力量”というのだろうか、それが増えているのを僅かだが感じ取れる。
後々の為にも魔力が多いに越したことはないだろう。
そう思い、毎日魔法の練習をしている訳だ。
まあ今のところ、これ以外の魔法は使えないんだけど。というか知らない。
とりあえず魔法のレパートリーは少しずつ増やすとして、今は魔力量を増やそう。
さて、一度出していた光玉を消す。
今度は無詠唱での魔法使用の練習に入る。
元の世界にあったマンガでは無詠唱魔法とかなんやらがあったので、それが出来ないかと思い立ったのが発端。
母親や使用人が魔法を使っている場面にちょくちょく出会うが、その際は詠唱を欠かしていなかった。
もしかすると無詠唱は不可能なのかと不安だったのが、以外とあっさり出来てしまったのが二ヶ月前。
魔法はイメージが重要な要素らしく、何も考えずに詠唱しても魔法を使う事は出来ない。
それを理解している俺は、掌を上に向けた状態で、先程の光玉を強く思い浮かべる。
体内に渦巻く魔力を意識し、それを掌に向けて流れさせるイメージ。
掌に集まった流動する魔力を一つの球体に固め、一気に魔力を光に変換し放出する!
「くっ……!」
しかし無詠唱にはどうやら弊害があるらしかった。
詠唱有りの時に比べて、数倍の魔力の消費。
一気に魔力が消費されて、体にガクンと疲労感が落ちてくる。
しばらく光玉を維持していたが、汗が垂れてきたのを合図に光玉を解除し、そのまま床に座り込む。
「はあ、疲れた……」
思わず独り言を呟くが、実際これは結構キツイ。体力の無い2歳の体には相当な負担だ。
恐らく、母親や使用人達が無詠唱で魔法を行使しなかったのはこれが原因だろう。
確かに詠唱の手間は省けるが、『光玉』程度なら大して時間はとられないし、なによりこの魔力消費量と反動、そしてイメージを正確にする必要がある故の難易度の高さ。
やっぱ便利なものにはリスクがつきものなんだなあと実感。
ふと窓の方を見ると空が赤みがかってきていた。
そろそろ夕飯の時間か。
「エレンちゃーん、ご飯よー」
そう考えた瞬間、ドアを開けて母親が顔を出していた。
良い匂いが漂ってくるが、はてさて。