第0-2話 邂逅、そして
彼の両親の命日であるその日、彼は亡くなった両親がまだ赤ん坊だった彼を連れて登ったという山に来ていた。
手掛かりは残された写真。幼い彼と彼を抱いた両親、そこには山の名前が書かれた木の看板が一緒に写っていた。
ここにくる前に両親の墓参りを済ませた彼は特に何をするでもなく、ただその写真に写っていた場所に来て黄昏ていた。
彼の眼下には青々とした森が広がり、顔を上に向ければ雲一つ無い青空があらゆる方向に果てしなく続いている。
その青空のさらに上方、彼の真上にはこの焼けるような暑さを生み出している太陽が、悠然と浮かんでいた。
「俺は、ここに来たことがあるのか……」
彼はそう呟くと、不意に胸が少しだけ締め付けられる様な感覚を覚える。
当然だが、彼は別段この場所に思い入れがある訳では無い。以前来たのはまだ2歳になる少し前だったのだから、記憶に無いのも無理は無い。
ただ彼が両親と一緒に見た風景というものを一目見ておきたかったのだ。
その風景は特に見栄えするものでは無かったが、彼は自分の心の空白部分が、ほんの少しだけ色を取り戻したような気がした。
およそ一時間、彼はその場で風景を眺めていたが、小腹も空いてきたしバイトの時間も迫ってきたので、そろそろ山を降りようと思った。
荷物を纏め、数歩動いたその時、前方の一つの小さな人影が彼の視界に入った。
最初はただのハイキング客だろうと特に気にはしなかった。
しかしその人物との距離が縮まり、顔が徐々にハッキリ見えるようになってくるに連れて、それに比例するように彼の心臓の鼓動は早くなっていった。
「まさか……どうしてここに……」
彼は自分を落ち着かせる為に目の前の現実を否定する。
だが彼に気づいていないのか、そもそも彼を誰か分かっていないであろうその人物はどんどんと彼との距離を詰める。
チラリチラリと見えるその人物の顔は、彼の記憶の中のとある新聞記事を想起させた。
孤児院に保管されていた彼の個人情報を収めたファイル。学校関連の用事で必要になり、彼がそれを閲覧した時一枚の古い新聞記事が挟まれているのを見つけた。
何気なく手に取ったその新聞記事には、彼の両親が殺された事件について書かれていた。
思わず目を見張った彼は、一字一句見逃さないよう注意深く記事を読んだ。
そして一番彼の気を引いたのは、タレ気味な目の上に生える太い眉、大きな鉤鼻の下にある鱈子唇、そして左頬から顎にかけて残る切り傷の痕が印象的な、犯人の顔写真だった。
彼はその顔を完全に記憶した。
もし見掛ける事があっても何かするかは分からない。だがむざむざ見逃す事だけは絶対に避けたかった。
写真を見ても顔を思い出す事は出来ないが、確かに自分を産んで愛情を注いでくれた実の両親を、自分勝手な理由で殺したこの人物を許せなかったが故に。
自分の人生を変えたこの人物を、憎むが故に。
そして今、彼は立ち止まって目の前の人物の顔をまじまじと見ていた。
“ソイツ”は懲役20年の実刑判決を下された筈だった。
だが今、確かに彼の目の前には“ソイツ”がいる。
写真とは違う髪型をしていたが、その顔のパーツは新聞記事に載っていた写真と全く同じ物だった。
そして彼が視線をその人物の顔の左側に集中させた時、彼は確信すると同時に“ソイツ”に向かって駆け出していた。
無我夢中だった。彼の脳内は憎しみに支配され、ただ“ソイツ”を叩き落とす事だけを考えた。
「な、なんだお前!いきなり何なんだ!」
「黙れッ!落ちろ!落ちろぉ!」
彼は“ソイツ”を崖の際まで追い詰めていた。
怒りに支配された20歳近くの若者と、最近まで刑務所ぐらしだったであろう壮年期を過ぎた男とでは力の差が有りすぎた。
一応転落防止用の柵があるにはあったがせいぜい1メートル程しかなく、このまま行けば“ソイツ”が落ちるのは目に見えていた。
「クソッ、クソッ!早く落ちろよ!死ねよぉ!」
「離せ!な、何だよお前!」
「お前のせいで、お前のせいで!」
彼には最早何も聞こえていなかった。
“ソイツ”のせいで彼は親の温もりを知らずに育ち、孤児院での惨めな生活を強いられた。
憎かった。殺したかった。
今殺さなければ、“ソイツ”はいつまでも自分の中で存在し、憎しみを生み出し続ける。
彼は早く呪われた運命から抜け出したかったのだ。
そう焦るが余り、彼は“ソイツ”が自分の服を握り締めていたのに気が付かなかった。
“ソイツ”の体が傾き、地面から浮いた瞬間、彼は不思議な安堵感に包まれた。
(やっと呪縛から解放される――)
そう思ったのも束の間、彼は“ソイツ”共々崖から落下していた。
崖の高さは数十メートル。下には木のクッションがあるが、この高さから落ちてはあまり意味は無い。
(あれ……? どうして俺、あんな事をしたんだろう……)
(どうしてこんな事になったんだろう……)
彼は自分が死ぬと分かると、不思議と冷静になることが出来た。
そして彼は、つい先ほどの行動を後悔していた。
話を聞けば生前の両親は、友人や近隣の人達に、事ある度に幼い彼を笑顔で自慢していたという。
彼が病気で熱を出した時は、一晩中付きっきりで看病をしてくれたという。
それほど自分を大切に思っていてくれた両親が、今の自分の行動を知ればどんな顔をするだろう。
そう思うと、彼はとてもやるせない気持ちになった。
(生きたい……)
両親の敵とはいえ、人を殺そうとした者が願っていい事ではないのは分かっている。
しかし彼はどうしてもそう思わずには居られなかった。
(生きたい……!)
無理な願いだとは分かっていた。
けれど、このままでは死ぬに死にきれなかった。
「生きたい――!」
そして、地面に激突する刹那。
彼の視界は真っ白に染まり、優しく温もりに全身が包まれるのを感じた。
「――――次のニュースです――発見されたのは現在仮釈放中の――また16年前に起こった――――被害者の遺族である――行方不明――警察は事件との関連を――――」
なんか頭悪い会話文ですが、頭に血が上ってるとこんなもんじゃないかなーと。