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孤独霊 四

 海はもう、オレンジ色に染まっている。コウと遊んでいたら随分と時間が経ってしまったが、仕事を始めるまでの暇つぶしにはなった。

「そろそろ戻って、相談した方が良さそうだな」

 呟く芹香に頷いて、藤堂は先を歩く。フナムシを避けさせる為だ。

 足下の悪い岩場を歩いていると、自然と無言になる。ゴムサンダルが立てる間抜けな音が、潮騒に紛れて聞こえていた。一歩踏み出す度に足を避けて行くフナムシを眺めながら、藤堂は欠伸をかみ殺す。昼間の太陽に体力を奪われ、既に疲れていた。

「藤堂、ありがとう」

 歩きながら肩越しに振り返ると、芹香は視線を落としていた。しかしその目は、どこか嬉しそうにも見える。

「何が?」

「嬉しかった。……気にしてくれて」

 嫌にならないか、と聞いた事だろうか。むしろ失礼な質問だったと、藤堂は少し後悔していた。それが嬉しいというのも、彼にはよく分からない。

 彼女は寂しかったのではないだろうかと、藤堂は思う。そうでもなければ、嬉しいとは思わないだろう。

「一人だったの?」

 意味の分からない問い掛けだと、藤堂は言ってから気付く。しかし芹香は息を呑み、また足を止めた。図星だったのだろう。

 一人だったと言うなら、藤堂もそうだった。友人はいたが、それと向き合う事が出来なかったから、同じようなものだろう。芹香の方が、遥かに重い孤独ではあったのだろうが。

 眉根を寄せて俯く彼女の表情が、藤堂には痛々しく見えた。立ち止まって少し振り返り、そっと手を伸ばす。

 芹香は驚いたように目を見張り、自分の手を見た。藤堂の指が手の甲に触れると、彼女の指先が、少し動く。今は一人ではないと、言ってやりたかった。しかし藤堂は不器用すぎて、口では上手く伝えられない。

「あー、いた!」

 前方から聞こえた大声に驚いて手を離し、顔を上げると、浜辺で遊んでいた筈の三人がいた。人差し指をこちらへ向ける明に嫌な顔をして、藤堂は芹香を振り返る。彼女は顔を赤らめて俯いていた。

「探したんだから!」

「済まん、先に下見をと思ってな」

 芹香が謝ると、明は不満げに唇を尖らせた。隣のゆなも藤堂を睨んでいるが、少し後ろをついて来る渚は、しきりに足下を気にしている。彼女も虫が駄目なのだ。

 今頃探しに来たという事は、散々遊んでいたのだろう。早めに戻らなくて良かったと、藤堂は思う。あの場に残っていたら、遊び飽きたゆなにまつわりつかれ、今より疲労していたに違いない。

「どうでしたの?」

 渚は足下と芹香を交互に見ながら、そう問いかけた。左右に首を振り、芹香は来た道を振り返る。

「よく分からん。なんとなく、気配はあるようだが」

「死体があるんじゃねえかって話してたんだよ」

 藤堂の言葉に、渚の表情が硬くなった。明は腕を組んで首を捻る。

「やっぱり、そうなのかな……でもそうだとしたら、実害が出ててもおかしくないんじゃない?」

 三人揃って目の前まで来たところで、ゆなが藤堂の横に立ち、腕を取って胸に抱き込んだ。紺色の生地が熱を吸収したせいか、やけに熱い。日焼けした肌がひりひりと痛んだが、不毛なやりとりをするのも嫌なので、何も言わなかった。

 訝しげに事故現場の方を見る渚は、芹香のパーカーを着ていた。身長が違うせいか少し大きいようで、肩から落ちかかっている。

「この辺りでバスの転落事故があったそうですけど、遺体は全て回収されているそうですわ。当然この辺りは、五年も前に除霊済みですから……」

「その五年の間に何かあったとか?」

 藤堂が聞くと、渚は落ちかけたパーカーの肩を引き寄せながら、首を横に振った。

「それも調べましたけど、この辺りでは何もありませんでしたの。あるのは窃盗事件だとか詐欺事件だとか、霊とは関係のない事ばかりでしたわ」

「平和なのは良い事なのです。そんな事より藤堂さん」

 藤堂は答えなかった。ゆなは構わず、夕陽に照らされて煌めく海を指差す。

「素敵なシチュエーションだと思われませんか」

「全く」

「ひと夏のアバンチュールを今すぐここで」

「ないから。つうか意味分かんない」

 ゆなには、仕事をしに来たという意識がないのだろうか。彼女は普段から頭が沸いているとしか思えないが、暑さのせいか、今日は余計に沸騰している。そもそも中学生とはいえ、若い娘が男の腕を胸に押し付けたりはしない。

 その胸も、ないから誰も咎めない。ゆなが幼児体型だから、問題ないだろうと誰も止めてくれないのだ。お陰で藤堂は、いつでも暑苦しい思いをしている。

「またまた、そんなに恥ずかしがらずに。絶好のシチュエーションですよ。スク水ですよ」

「分かった、砂ん中埋めてやる」

「きちんと盛ってください。特に胸の辺りに重点的に」

 渚が大きな溜息を吐き、意見を求めるように明を見た。明は首を傾げたまま藤堂と芹香が来た方を見ていたが、やがて頷く。

「よし、行ってみよう!」

 言うが早いか、明は事故現場へ向かって歩き出す。藤堂はゆなと顔を見合わせて、肩をすくめた。こういう時の明は止めても無駄だと、全員よく理解しているから、何も言わずについて行く。

 西日は未だ、岩場をオレンジ色に照らし出している。夕方になれば暑さも和らぐかと思っていたが、相変わらず湿気も多く、日差しは容赦なく全身を焼く。手の甲で汗を拭いながら、藤堂は岩に足を取られてよろけるゆなの腕を掴んだ。

 ゆなは相変わらずの無表情を保ったまま、藤堂の手を両手で握り直した。彼女も疲れてはいるのだろうが、全く顔に出ない。しかし歩いている内、徐々にその表情が硬くなって行く。

「これはなんでしょうか」

 ゆなの問い掛けに、目の前を歩いていた渚が振り返って、首を捻った。優美な曲線を描く金髪が流れ、頬に掛かる。

「何か感じますの?」

 ううむと唸って、ゆなは辺りを見回した。つられて視線を巡らせるが、藤堂の目には岩場しか映らない。

 ゆなは勘がいいのだと、いつだったか明が言っていた。事実今も、仮にもプロの陰陽師である渚より先に、異変に感付いた。強力な霊媒体質であるにも関わらず今まで無事だったのは、そのせいもあるようだ。

 その分悪霊の影響を受けやすいから、あまり現場に近付けるのも良くない。しかし当の本人が留守番を嫌がるから、置いて行く事も出来なかった。

「空気重いよね」

 先頭を歩いていた明が、肩越しに振り返ってそう言った。芹香も同じ事を言っていた筈だと考えながら、藤堂は振り返る。しんがりでついて来ていた芹香は、困惑したような表情を浮かべていた。

「何か籠もっているが、悪意ではないな」

 何がどう籠もっているのか藤堂には分からなかったが、ゆなが頷いたので、何も聞かなかった。

 つまり、何かいるが悪霊ではない、という事だろうか。悪霊がいる場所にはすぐにそれと分かる程嫌な空気が漂っているようだから、ここに何かいるのだとしても、確かに悪霊ではないのだろう。

 なら、何がいるのだろう。目を凝らして見ても、霊視眼鏡越しの視界には、岩場しか映らなかった。プロの除霊屋が三人集まっても見えないのだから、防災用品頼りの藤堂に見える筈もない。

「邪気でもないし……悲しい?」

 明の言葉は疑問形だったが、問い掛けではなかった。霊の悲しみがこの場に籠もっている、という事だろう。

 なんにせよ、退治屋としては日本一と評される芹香が分からないのだから、藤堂に分かる筈もない。彼は早々に思考を放棄し、足下にいたフナムシを爪先で避ける。妙に虫が多かった。

「あれが事故現場かしら」

 渚が指差した先に、ガードレールが見えた。確かに崖にはなっているが、道路からは逸れた位置にあり、あんな所へバスが突っ込むとは到底思えない。引き寄せられたのではないかという芹香の推測は、あながち間違ってもいないのだろう。

 真っ直ぐ崖下へ向かっていた明の足が、突然止まった。怪訝な表情で振り返る彼女の視線の先には、潮溜まりがある。大きな岩が点在する地面だが、所々に砂地があった。

 窪んだ潮溜まりで、アオサが揺れている。何かいたのだろうかと藤堂が怪訝に眉根を寄せると同時に、ゆなが彼の手を引いた。藤堂は促されるままに、一歩後ろへ下がる。

 芹香は睨むような鋭い目つきで、岩場の陰を見つめていた。夕方であるせいか、藤堂自身の心境的なものからか、やけに影が濃く見える。黙り込んで首を捻っていた渚がふとパーカーのポケットを探り、取り出した白手袋を芹香に渡した。

「確かに何かいるね」

 呟く明には視線を合わせず潮溜まりを見つめたまま、芹香が頷いた。藤堂は目を凝らしてみて、ぎょっとする。

 潮溜まりから、何かが飛び出している。アオサから枝が生えたかのような奇妙な光景だったが、半透明のそれは、僅かに動いていた。風に揺れている訳ではないのだろうし、動きから考えるに、枝でもない。

 青白くはあるものの、それは確かに、人の指だった。小枝のように細い中指と人差し指だけが水面から突き出ており、第一関節から先だけが、緩慢な動きで時折曲がる。手招きしているような動きだった。

「悪霊ではないな」

 芹香の呟きに、藤堂は驚く。気味の悪い光景だから、悪霊なのだとばかり思っていた。

「楽な仕事で結構ですわ。メイさん、送って差し上げて……」

 言いかけた口の形はそのままに、渚が海の方へ視線を移した。あら、と呟いて、今度は明を見る。明は怪訝な面持ちで、辺りを見回していた。

 彼女達は、何に気付いたのだろう。藤堂がそう考えた矢先、岩場の陰からまた一つ、透けた手が伸びてきた。岩石から腕だけが見えているという光景は、不気味ではあるが間抜けにも見える。昼間だったら、誰かが遊んでいるとしか思わなかっただろう。

 再び服の裾を引かれて振り返ると、ゆなが崖下を指差していた。藤堂はつられてそちらを見て、思わず顔をしかめる。

 そこには青白い人の腕が、何本も絡み合って浮かんでいた。どこから伸びているものか、一塊になってしまっているせいで、確認出来ない。藤堂は寒気を覚えて、半袖のパーカーから伸びる腕をさする。

「悪霊じゃないけど、必死になってる。早く警察に連絡して、遺体見つけてもらわな……うわ」

 明が驚いた声を上げて、その場から飛び退いた。ローファーを履いた足下から、青白い腕が伸びている。

「ちょ、ちょっと待っててよ……あーもう!」

 苛立たしげに怒鳴り、明は足を掴もうとする腕を、手にしたバットで殴った。藤堂は呆れる。あのバットは霊体に触れられるのだろうかと疑問に思ったが、恐らく当たったのはバットの中身の方だろう。

 呆れた目で明を見ていた芹香が、絡まった腕の塊が徐々に近付いて来るのを見て、困ったように眉根を寄せた。近付いて来られようとも、悪霊でないただの浮遊霊に、危害を加える訳には行かない。しかし段々と近付いてくる腕の塊を注視していた芹香は、不意に顔をしかめて白手袋をはめた。

 藤堂の背筋を、寒気が這い上がる。気味が悪いせいではなく、明らかに周囲を覆う空気が淀み始めている。しかし浮遊霊がいるぐらいで、霊感のない藤堂に分かるほど空気が変わる事はない。携帯を取り出しかけていた渚が表情を硬くし、明が身構えた。

 芹香の手袋の甲に書かれた細かな文字が、淡く光った。破魔の念が込められた呪文がびっしりと書かれた、幽霊退治用の手袋だ。しかし使用者に害意がなければ、霊体に対して危害を加える事はないのだと言う。ただしあの手袋がなければ、入れ墨のない芹香は、霊に触れる事が出来ない。

「中身が変質している。渚、ゆなを」

 渚が頷いてゆなの前に立つのを確認すると、芹香が腕の塊に手を伸ばした。白手袋を嵌めた指先が触れると同時に、絡み合った塊が解け、芹香の頭を掴もうとするかにそれぞれの掌が開く。彼女が顔に伸びてきた手を払いのけると、道を開けるかのように霊体の腕が離れて行き、中から灰色に変色した腕が現れた。

 藤堂は以前、あれと似たようなものを見た事がある。悪霊になるとどこかしら変質するというが、腕だけではさほど変化が見られないようだ。確かに内部の腕は、悪霊と化しているのだろう。

 顔の周囲を霊体の腕に覆われても、芹香は首を捻るだけだった。腕の方もそれ以上何かしようとする訳ではないから、敵意はないのだろう。

「なんだ? 同化して……」

 言いながら蠢く霊体の腕を掴もうとしたが、灰色に変色した腕が動くのを見た瞬間、芹香はその場から飛び退いた。今の今まで大人しかった半透明の腕達が、逃げた彼女に迫る。鼻先に触れる寸前で青白い手を払いのけ、芹香は一旦塊と距離を置いた。

 一度離れはしたものの、霊体の腕達は尚も芹香の眼前へと迫る。悪霊化したと思しき灰色の腕は動かないものの、流石に掴まれてはまずいのだろう。明が芹香の前へ飛び出して、バットで腕を打ち返した。

 跳ね返された腕は、しかしすぐに明へ向かって伸びる。もう、と苛立ったように言って、彼女は更にバットを振った。その背後で、芹香は眉間に皺を寄せたまま、絡み合った霊体を見つめている。

「悪霊化しかけているなら、私達の仕事ですわ。警察を呼ぶ前に、粗方片付けないと」

 言いながら、渚は近付いてきた霊体の腕を札で叩いた。依頼があったのだから、全て警察に任せる訳にも行かないのだろう。ここまで来てタダ働きは避けたかったから、藤堂は内心ほっとする。

「あの数浄霊すんの?」

 見る限り、あちらこちらから湧いて出てきた霊体は、少ない数ではない。塊になっているもの以外にも、岩陰から飛び出す腕は数十あるだろうか。尚も次々と這い出して来る青白い腕を見て、藤堂は顔をしかめる。

 こういう場合どうするのか、藤堂は知らない。陰陽師に退治屋に浄霊屋と揃ってはいるが、三人で片付けるのは厳しいものがあるだろう。何より、浮遊霊は抹消してはいけない決まりになっている。

「さすがにしんどいよこれ!」

 怒鳴った明の後ろから、芹香が手を出して半透明の腕を一本掴んだが、別の腕が迫って来た為、すぐに離す。霊体も、それ以上追おうとはしなかった。離れれば何もしてこないようだが、これでは手の出しようがない。

「悪霊だった方がまだマシだったな。中身だけ破壊出来ればいいんだが、同化しているとなると難しいか」

 ふうむ、と黙り込んでいたゆなが呟いた。視線を落とした藤堂を見上げ、彼女は霊体の塊の方を指差す。

「あっちの方が悲しそうです」

「は?」

 怪訝に問い返すと、渚も首を捻った。しかしゆなの返答を待つ藤堂とは違い、彼女は塊の方を見て目を細くする。霊視しているのだろう。

 しばらくそのまま霊体を見つめていた渚は、ふと、驚いたように細い眉を上げた。

「何かを守っているの?」

 今度は藤堂が首を捻った。ゆなは曖昧に頷いたが、霊感のない藤堂には、よく分からない。

 腕だけの霊というのは、気付いて欲しがっているのではなかったのだろうか。腕達の動きを見る限り、渚の言う通り、それ以上近付けまいとしているようではある。矛盾しているように思えて、藤堂は首を捻ったまま頭を掻いた。

「じいやさんは手を出せませんか?」

 ゆなが問うと、渚は眉尻を下げて首を左右に振った。

「傷付けてしまうかも知れませんわ。メイさんに任せておかな……」

「もーしつこい!」

 なんとか灰色の腕だけを露出させようとバットを振り回していた明が、苛立たしげに叫んだ。同じく腕を避けながらかき分けていた芹香が、ああ、と呆れたようにぼやく。怒りっぽい明には、彼女もよく困らされている。

 その場から飛び退いて一旦塊から離れた明が、バットの先端に近い部分を握った。力を込めて引っ張ると、中からは銀色に輝く刀身が現れる。紛れもなく、日本刀の刃だ。

「ひっぺがす!」

 明が怒鳴ったのと腕の塊が勢いよくほどけたのは、ほぼ同時だった。

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