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孤独霊 三

 事故現場までの道中、会話は少なかった。足下の悪い岩場だから、そちらに神経を注いでいないと、足を取られて転びそうになるのだ。そうでなくとも藤堂は元々口数が少ないし、芹香も無理に話題を作ってまで話そうとする方ではない。お互い分かってはいたから気まずさはないが、藤堂はその分、余計な事ばかり考えていた。

 こんな時代に生まれ、退治屋として生きる彼女達は、何を思って仕事をしているのだろう。明も渚も芹香も、幼い頃から、除霊屋になる為の教育を受けて来たのだと言う。生きている今より、死後の世界でどう過ごすかに重きを置く人間が多数を占める、こんな時代だ。そんな人の為に働く事を選んだ彼女達は、現状をどう思っているのだろうか。

 実際のところ、そこまで深く考えてはいないのかも知れない。明はただ迷える霊を救いたいのだと言うし、渚は家を継がなければいけないから、陰陽師になったのだと聞いた。自分の事で精一杯な部分はあるだろう。

 ただ、少なくとも藤堂は、虚しいのではないかと思う。死ぬ為に生きる人の為に、仕事をする。世の中全体に言える事ではあるが、そう考えると、馬鹿馬鹿しくもなる。だから死後に幸福を求めるのだろうか、とも思う。悪循環だ。

「空気が重いな」

 え、と呟いて、藤堂は足下に落としていた視線を、先を歩いていた芹香に向ける。目と鼻の先に芹香の頭が見え、慌てて立ち止まった。

「え?」

 改めて問い返すと、芹香が振り返って目を丸くした。距離が近かったから、驚いたのだろう。

「え?……あ」

 どことなく上擦った声で呟き、芹香は慌てて藤堂から離れた。それから足下に視線を落とし、小さく悲鳴を上げる。普段は落ち着いているが、今日は挙動が忙しなかった。

 つられて足下を見ると、小さなフナムシがそこら中で這っていた。岩場だからいるだろうとは思っていたが、ざわざわと集団で這い回る様子は、確かに気味が悪い。

「虫嫌いなの?」

 事務所にゴキブリが出た時も、芹香は怯えていた。藤堂が何の気なしに問い掛けると、彼女は僅かに顔を赤らめて俯く。

「……似合わないと思うだろう」

 顔をしかめて、芹香は呟いた。藤堂は首を捻って片眉をひそめ、立ち止まったままの彼女を追い越す。一歩踏み出す度に、フナムシがサンダル履きの足を避けて行った。

「別に」

 短く返すと、芹香は眉根を寄せて藤堂を見上げた。暫くその後頭部を見つめていた彼女は、ふと足下を見て、慌てて藤堂の後を追う。

 異形の悪霊を見ても眉一つ動かさなかった様子から考えれば、意外だとは思うが、似合わないも何もないだろうと、藤堂は思う。好き嫌いに似合う似合わないがあるものか。

「で、どうなの」

 肩越しに振り返って問うと、芹香は落としていた視線を上げて藤堂を見たが、すぐに逸らした。藤堂には、彼女がよく分からない。

「気配はあるんだが……悪いものじゃない。被害があるとは言っていなかったから、悪霊化はしていないのかも知れん」

「そんな事あるの?」

 目を逸らしたまま頷いて、芹香は海へ視線を移す。涼やかな横顔と銀の髪が日光に照らされ、輝いて見えた。芹香の切れ長の目が、懐かしそうに細められる。

 綺麗とは言い難い海だが、耳の奥をくすぐる潮騒は心地よかった。心なしか、暑さも和らいだように感じられる。

「浮遊霊が完全に悪霊化するには、人の多い町中にいても三四年はかかる。事故で亡くなった方の霊が、浮かばれずに残っているとするなら、まだ悪霊化はしていない筈だ」

 生返事をして、藤堂は手近な岩に腰を下ろした。もう砂浜から、大分離れてしまっている。道理で疲れている訳だ。

 藤堂は持っていたペットボトルの蓋を開け、中身を一口飲む。もうかなり温くなっていたが、水分は汗をかいた体にじんわりと染み渡る。

「事故死した人が丸々残るなんて、あんの?」

「なかなかある事じゃない」

 言いながら、芹香は岩の上を注意深く観察した後、藤堂の隣へ腰を下ろした。虫がいないか確認したのだろう。

 砂浜の方を見ると、海遊びに興じる人々が小さく見える。風は湿気を帯びているし、腰掛けた岩も太陽に熱されていたが、人がいないだけで少しは涼しく感じた。

 藤堂はパーカーのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。煙と一緒に吸い込んだ磯の香りが、喉を通り過ぎて鼻腔を満たした。

「供養もされているだろうし、普通は成仏する。そもそも転落した原因が怪しいから、引き寄せられたのかも知れんな」

「バス丸ごと?」

「運転手の霊感が強かったのかも知れん。たまにあるんだ」

 霊が現世に滞留してしまう原因としては、霊自身に未練があった事や、供養されなかった事が挙げられる。また、元々その土地にいた霊が引き留めてしまう事もあるのだと、藤堂は明から聞いた。引き寄せられた挙げ句、引き留められてしまったという事だろうか。悪霊というのは、全くもって迷惑この上ない。

 腰掛けた岩に上って来ようとするフナムシを手で払いながら、藤堂は横目で芹香を見る。彼女は長い足を抱えて、ぼんやりと海を見つめていた。引き締まった白い足を見て、これで蹴られたらそれは痛いだろうと、藤堂は思う。既に二回ほど踏まれているが。

 少し視線を上げると、胸の谷間が目に入った。白い肌に汗が浮き、玉となっては流れて行く。谷間へ吸い込まれるようにして落ちた汗を見て喉を鳴らしたところで、藤堂はさりげなく視線を逸らした。

「……なんで手なの?」

 藤堂を見上げ、芹香は首を捻った。顔を正面に向けたまま、藤堂は返答を待つ。尻の座りが悪かった。

「知らないのか?」

 うん、と答えると、芹香は困ったように眉根を寄せた。そんな顔をされても、知らないのだ。

 仲間内では零感と馬鹿にされる藤堂は、数ヶ月前まで、霊とは無縁の生活を送っていた。誰もが霊感を持って生まれ、日常的に幽霊を目にする時代に、無縁と言うのもおかしな話ではある。しかし藤堂は、霊に迷惑をかけられた事もなかった。幸運だったというよりは、守護霊がいるお陰なのだろう。

「生きている人に気付いて欲しい霊は、手を出すんだ。海から霊の手が出てきて引きずり込まれるという昔の怪談話、よくあるだろう。今はあまりいないが」

「ああ……あるな」

 船幽霊と呼ばれるような霊の事だろう。夏の海水浴場付近にはよく、船幽霊に注意、と書かれたポスターが貼られている。

「あれは霊の気付いて欲しいという強い思いが、引っ張られているように錯覚させるからだ。遺体が発見されていないと、見つけて欲しくてそうしたり……」

 そこで芹香はふと、顎に手を添えた。藤堂の胸を嫌な予感がよぎる。

 誰もが霊感を持っているのだから、浮遊霊が気付いて欲しいと生身の人間を引っ張る事は、まずないだろう。つまり現代で腕を出す霊は、遺体が発見されていない霊だけという事になる。

「……あの記事、遺体が見つかってねえとかは、書いてなかったんだよな?」

「それはなかった筈なんだが……」

 言葉尻を濁し、芹香は顔をしかめる。藤堂の背を嫌な汗が伝う。

 見つけて欲しくて手を出すなら、遺体がこの辺りにあるのだという事になる。確かにそう流行っている海水浴場ではないが、それでも人は来るだろう。発見されない事があるものだろうか。

 しかし発見されていない遺体があるのだとしたら、除霊屋は立ち入るべきではない筈だ。遺体の捜索なら、警察の仕事だろう。

「警察に連絡して、帰った方がよくね?」

 藤堂も異形の悪霊は見慣れたが、流石に死体を見るのは御免だ。そう提案したが、芹香は首を横に振った。驚いてその顔を見ると、微かに笑みを浮かべている。

「もう少し、ここにいよう」

 芹香は足下に好ましげな視線を向けていた。怪訝に片眉を寄せると、彼女は笑みを浮かべたまま藤堂を見上げて、岩の隙間を指差す。そこでは小さなカニが、忙しなく歩き回っていた。

 カニを見たいのだろうか。そう思ったが別の事に思い当たり、藤堂はパーカーのポケットに入っていた黒縁の眼鏡を掛ける。度は入っていないが、霊感のない人間でも霊が見えるようになるという、防災用品だ。

 レンズ越しの視界に、岩の上にしゃがみこむ少年が映った。年の頃は小学校低学年程度だろう、半透明の彼は、藤堂の守護霊だ。

 コウは岩場を歩き回るカニを、目を輝かせながら見つめていた。カニの動きに合わせて、小さな頭が動く。

 彼が何故幼くして霊となってしまったのか、藤堂は知らない。そもそも彼には霊感がないから、つい最近まで、自分に守護霊がいる事さえ知らなかった。守られているのだという実感は、今もない。

「コウも、遊びたいんだろう」

 優しい声に、藤堂もつられて笑みを浮かべる。とうとう立ち上がってカニを追いかけ始めたコウの姿を、いとおしくも思う。休みもなく毎日働いていたから、少しは疲れも取れた。

 ぼんやりとコウを眺めているのにも飽きて、藤堂は視線を上げて海を見る。この雄大な自然に、どれほどの人が呑み込まれたのだろう。そう考えると、海辺に出る霊が減らない理由も分かる。

 生前の罪を暴く幽世において自殺は大罪とされており、自殺者はどんなに丁寧に供養をしても、現世に留まってしまう。それでも自殺者が完全にはいなくならないのは、悪霊の仕業とも言われている。しかし藤堂には、そうは思えない。

 死後の幸せばかりを願うこの世の中では、生きる事に疲れてしまう人も多いだろう。実際、自殺者は昔より減っているが、鬱病を患う人は増え続けているという。自殺志願者も跡を絶たず、自殺にならないよう、合意の上で互いに毒物を盛るケースもあると聞く。

 自殺幇助や殺人の罪に問われるのではないかと藤堂は思うのだが、大体が無事に成仏してしまうのだという。あの世の判断基準が、藤堂にはよく分からない。

「なあ、虚しくならない?」

 傾き始めた日が、海に反射して煌めいている。水平線を眺めていた芹香は怪訝に首を捻り、藤堂を見上げた。唐突すぎたと、彼は少し後悔する。

 けれど、なんでもないと言って引く気にはならなかった。聞いておきたかったし、彼女がどう考えているのか、知りたかった。

「どいつもこいつも死ぬ為に生きててさ。そんな人助けんの、虚しくならない?」

 芹香はゆっくりと瞬きして藤堂を見つめた後、抱えた膝を引き寄せた。膝頭の間に顎を乗せ、彼女は少し俯く。

 デリカシーがない、と言う祐子の声が、脳裏に蘇る。まさしくその通りなのだ。考え込んだ末に口から出るのは、場の空気を悪くしてしまう言葉ばかりだ。

 内心冷や汗をかく藤堂を知ってか知らずか、芹香は微かに笑った。恐る恐る横目で見ると、彼女は困ったような笑みを浮かべている。

「あなたは?」

「は?」

「あなたは、そう思うのか?」

 間抜けな声で問い返すと、芹香は笑うでもなく言い直してくれた。藤堂は眉間に皺を寄せて、顎を掻く。

 確かに藤堂も今は、除霊屋なのだ。しかし実際に彼が除霊をする訳ではないし、自分の視点で考えた事もない。気になっていたのは、彼女達は嫌になってしまわないのか、という事だった。だから問い返されて考えてみても、なんとも思わないとしか答えられない。

「……いや」

「私には、これしか出来る事がない」

 じわりと、胸が痛んだ。芹香の横顔が悲しげに見えたせいもあるが、その声が、寂しそうに聞こえたのだ。

「虚しくなるも何も、これが仕事だ。割り切らなければ、やって行けない」

 これしか、出来ない。その言葉を彼女がどんな心境で発したのか知る由もないが、辛いのではないだろうかと、藤堂は思う。

 退治屋になる為に育てられたのだと、本人の口から聞いた事がある。死んだ母親のようにならない為に、どんな霊にも負けないようにと。そこに彼女自身の意思があったのかどうかさえ、藤堂には分からない。ただ少なくとも、自由意思はなかったのではないだろうか。

「お前は?」

 芹香は視線を落としたまま、僅かに眉を上げた。藤堂はほとんど単語しか喋らないが、彼女を含めて、同僚達はよく意図を理解してくれている。

「……私」

 問い掛けではなく、独白のような口調だった。俯いていた頭を起こし、芹香は再び藤堂を見上げる。色素の薄い彼女の目が、光に透けて茶色く見えた。

「私は……」

 戸惑ったように揺れる目を見て、彼女も不器用なのだと、藤堂は思う。友達と呼べる人が、果たして彼女にいたのだろうか。自分の感情を吐露出来る人が、いたのだろうか。

 いたのだとしたら、こんな反応は見せないだろう。藤堂のように、友達はいても何も話さないのとは訳が違う。

「堤?」

 出来る限り優しく、声を掛けた。言いたくないなら目を合わせずに何も言わないだろうと、藤堂は思う。芹香は大きく瞬きをして、眉尻を下げた。

「……だから私は、浄霊屋に憧れていたんだ」

「霊の為ってこと?」

 小さく頷いて、芹香は藤堂から目を逸らした。傾きかけた日が彼女の横顔を照らし、眩しく見せる。

 虚しくならない、という訳でもないのだろう。それなら霊の為に浄霊屋にと思っても、芹香はそうはなれなかった。その心中を完全には理解出来ないが、複雑であっただろう。

「だがな、私がした事で、助かったと言ってくれる人がいるから」

「稼ぐ為だけじゃ就けねえだろうしな、こういう仕事」

「親の為に就く人もいるが……必要とされる限りは、虚しいとは思っていられんからな」

 膝に手を着いて立ち上がると、しつこくカニを追いかけていたコウが見上げてきた。しかしすぐにその場にしゃがみ、その手がカニに伸びるが、触れようとすればすり抜ける。

 コウは悲しそうに眉を下げて、藤堂を見上げた。何と言ったらいいのかも分からず、藤堂は彼に向かって片手を伸ばす。ふてくされたように唇を尖らせたまま、コウは藤堂に駆け寄って、その腰に抱きついた。

 抱きつかれても、藤堂の腹には何の感触も伝わってはこなかった。ただ、透けたコウの体が触れている箇所だけ、少しひんやりとする。それがもどかしくも、悲しい。

 芹香は目を細めて笑い、立ち上がって藤堂に近付く。彼女が膝に手を着いて屈むと、コウは藤堂の腹に埋めていた顔を上げた。

「藤堂にカニを見せたかったんだな?」

 コウの顔を覗き込んで、芹香は優しく問い掛ける。少年は大きく頷いて、藤堂を見上げた。

 コウが向けたあどけない笑顔に、藤堂の胸が詰まる。死の意味さえ理解出来ない少年が、何故こんな目に遭うのだろう。死者を救いたいと言う明や芹香の気持ちが、今なら分かる。

 小さな頭を撫でてやろうとして手を上げたところで、藤堂はためらう。この手も結局は、すり抜けて行くだけなのだ。

「撫でてやるといい」

 屈んでいた芹香が身を起こし、藤堂に微笑みかける。西日に照らされていなくとも、藤堂はその笑顔を眩しいと感じただろう。

「感触は伝わらなくとも、体温は伝わる」

 藤堂は黙ってコウに視線を落とし、その頭を撫でた。無論少し冷たいと感じるだけで、藤堂の手にも感触は伝わってこない。撫でると言うよりは、頭のある辺りをさすってやる、と言った方が正しいだろう。

 それでもコウは嬉しそうに破顔して、その場で飛び跳ねた。案の定彼の頭は跳ねる度に掌をすり抜けて行ったが、藤堂は芹香と顔を見合わせて、笑った。

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