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孤独霊 二

 パラソルの下では、祐子以外の全員が芹香に視線を注いでいた。貧乳を気にしている渚は顔を引きつらせ、明は熱の籠もった視線を向けている。藤堂は明の目を見てぞっとした。

「済まん、遅くなった」

 芹香が謝ると、明が黙ったまま首を横に振った。何故かまだ待っていた祐子が、芹香の頭のてっぺんから爪先までを見て、楽しそうに笑う。

「あんた、たくましいわねぇ。何その腹」

「うるさい」

 言うほどでもないと藤堂は思ったが、芹香は気にしているようで、両腕で腹を隠しながら吐き捨てた。ゆなは両手を合わせて拝んでいる。

 藤堂は倒れ込むようにシートの上へ腰を下ろし、灰皿に煙草の吸殻を押し込んだ。額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、ペットボトルを取る。少し日陰から出ただけだというのに、もう背中が汗ばんでいた。

「じゃあとりあえず、しご……」

「遊ぶのです」

 藤堂の言葉を遮るようにして宣言したゆなが片手を挙げると、明が立ち上がった。バットは置き去りのままだから、彼女も仕事をする気はないのだろう。

 のんきなものだ。仕事で来ているのに、何故最初から遊ぶ気でいるのかと、藤堂は呆れる。彼にはそもそも、遊ぶ気も仕事をする気もないのだが。

 呆れて一拍置いて、藤堂は我に返った。遊びに来た訳ではない。これ以上、暑い中待たされたくもない。

「いやいやちょっと待て、なんで遊ぶんだよ仕事だろ」

 依頼人の所で借りてきたビーチボールを両手で抱え、ゆなが首を傾げる。明と渚は、きょとんとして同時に藤堂を見上げた。

「だって、遊んで行ってくれって言われたから」

「仕事は夕方からと言ったじゃないの」

 聞いていなかった。行きの車の中で何やらはしゃいでいたのは記憶しているが、藤堂の頭には入っていなかったのだ。藤堂は縋るような目で祐子を見たが、視線を逸らされた。

 肩を落とす藤堂の顔を覗き込み、ゆながビーチボールを彼の目の前に掲げた。藤堂は思わず身を引く。

「藤堂さんも遊び……」

「嫌だ」

 ゆなが言い終わる前に拒絶すると、芹香が苦笑した。不満げに唇を尖らせて立ち上がるゆなの肩に手を添えて、芹香は彼女を促す。

「二対二で丁度いいだろう。ほら」

 背中を軽く叩かれると、ゆなは名残惜しげに藤堂を振り返りながらも素直に従った。明と渚は藤堂に手を振ってから、ゆなと芹香について行く。

 待っていなければならないのだろうか。さっさと仕事を終わらせて帰る気でいた藤堂は、大きな溜息を吐いて頭を抱えた。そんな彼を見た祐子が、隣に腰を下ろしながら朗らかに笑う。

「いいじゃないのおとーさん。遊ばせてあげなさいよ」

「あんなデカい娘四人も持った覚えないけど」

 疲れきった声で吐き捨てると、祐子は宥めるような手つきで藤堂の背中を叩いた。

「まーまー。可愛い娘を見守ってあげるのも、保護者の仕事よ」

「だから娘じゃねえから。つうかアンタ戻んなくていいの?」

 煙草の空き箱を握り潰して新しいものを開けると、祐子が横から一本くすねて行った。ちらりと見はしたが咎めもせず、藤堂はパーカーのポケットからライターを取り出す。しかしそれも祐子が取り上げて、まず自分の煙草に火を点けた。

 掌をかざして風避けにしながら、祐子は藤堂に火を差し出す。彼は渋い顔をして、顔を近付けた。

「ヒマそうな藤堂君に付き合っててあげる」

「そりゃ有り難えな」

 感情の籠もらない声で返しながら、藤堂は黄色い声を上げる従業員達に視線を移す。渚が既に疲れた顔をしている以外は、楽しそうに歓声を上げていた。昨日の時点ではあまり乗り気でなかった、明と芹香が一番はしゃいでいるのは、一体どういった了見だろう。

 長袖を着込んでいた明は、流石に暑いのか袖を捲っていた。ビーチボールの動きを目で追うその表情は真剣そのものだが、渚が疲れた声を上げると、朗らかに笑う。

 明が動く度に制服のプリーツスカートが翻り、セーラーカラーが風を孕んでふわりと持ち上がった。スカートから太股が覗いても、短い裾から白い腹が覗いても、いやらしさは全く感じない。

 無邪気な少女そのものの姿に、藤堂は薄汚い自分が嫌になる。逐一比較して落ち込んでしまうのは、歳をとった証拠だろうか。

「元気ねーお子さんは」

 羨ましそうに、でもどこか楽しそうに、祐子が呟く。彼女も、同僚と一緒に遊ぶようなたちではないのだろう。

「高屋敷死んでっけどな」

 感慨深げな祐子の声に、藤堂はタバコの煙を吐き出しながら、そう返す。渚は藤堂以上に体力がないので、来たボールは明に任せきりだった。

 長いパレオが風に揺れ、金髪が繊細に煌めく。しなやかな手足が、時折思い出したように明が取りこぼしたボールに向かう以外、渚はあまり動こうとしなかった。明と芹香に合わせていたら、渚もゆなも身が保たないだろう。

「渚ちゃんも体力ないわねえ」

「アイツは箱入りだからな。あんまり体動かして遊ぶ事も、なかったんじゃないの」

「でも楽しそうじゃない」

 疲れた様子ではあるものの、渚は祐子の言う通り、笑顔を浮かべていた。楽しそうと言うよりは、嬉しそうに見える。高屋敷のあの大きな家に籠もって、ずっと陰陽師になる為の勉強ばかりしていたというから、喜ぶ気持ちは分かる。

 明、渚と向かい合うのは芹香とゆなだったが、こちらも芹香ばかりが楽しそうだった。しかしゆなの頬も僅かに上気しているから、無表情ではあるが、彼女なりに楽しんではいるのだろう。

 明が緩いサーブを打つと、ゆなが折れそうな程細い腕を出して、ボールを上げる。ゆなが取れるように、ちゃんと手加減してやる辺りが明らしい。

 上がったボールを追って跳んだ芹香の胸が、弾むように揺れた。ついさっき見とれていたというのに、今はそんな気にならない。見事なものだと考えながら、藤堂は従業員達の姿を微笑ましく見守る。笑い合う彼女達を見ていたら、憂鬱な気分も晴れた。

「たまには外で遊ばせねえとダメだな」

 室内飼いの犬の話でもするような口振りだった。タバコの煙を噴き出し、祐子は目を細くして笑う。

「キミもね」

「俺はいい」

 打ち込んだボールが砂浜に沈むと、芹香とゆなは、両手を合わせてぱちんと鳴らした。芹香のあんな満面の笑みを見たのは、初めてだろう。

 芹香が同僚として働くようになってから、まだそう長く経ってはいない。それでも以前よりは、表情が柔らかくなった。似たような生い立ちの渚がいるからか、明がしつこいからか。定かではないが、藤堂はその変化を嬉しくも思っている。

「……可愛いよね、あいつ」

 呟いた藤堂を意外そうに見て、祐子は灰皿に吸いさしの煙草を押し込んだ。

「何よあんた珍しい、どれが? 渚ちゃん? メイちゃん?」

「や……ウン」

 深く考えて発した言葉ではなかったので、曖昧に濁した。何が祐子にとって意外だったのか、藤堂にはよく分からない。

 朴念仁の自分でも、そのぐらいは考える。言い訳のように心中独り言ちながら、藤堂はあぐらをかいていた膝を片方立て、そこに肘をつく。思わず口を突いて出た言葉が今になって気恥ずかしく思えて、顔を隠すように、掌の上へ頬を乗せた。

「芹香ね、友達いなかったのよ」

 藤堂は思わず、どきりとする。しかし顔には出さず、視線だけを祐子に向けた。取り繕うまでもなく、祐子は藤堂など見てはおらず、灰皿に溜まった煙草の吸い殻をビニール袋に捨てていた。世話焼きなのだ。

「高校まで学校には行ってたみたいだけどさ、小学生の頃から、あの会社で勉強してたんだって。学校終わったら、会社に直行するみたいな生活よ」

「そりゃ体力もつくわな」

 何の気なしに口を挟むと、祐子は呆れた目を藤堂に向けた。彼は視線を合わせず、首を捻る。

「あんたって人の話真面目に聞けないワケ?」

「真面目に聞いてるけど」

「論点違うのよあんたの返事は……ま、そんなんだったからさ、今友達出来て、嬉しいんじゃないのかな」

 渚も同じようなものだったようだが、退治屋になる子供というのは、皆そうなのだろうかと、藤堂は考える。だとしたらそれは少々、問題があるのではないだろうか。

 仕事が出来ればいい訳ではないはずだ。稼げるに越した事はないにしろ、子供が遊ぶ時間もない程勉強しても、いい事はない。渚にはあの執事がいたからまだ良かっただろうが、芹香は本当に、一人だったのだろう。

 芹香の心中など、藤堂には知る由もない。ただ彼女が不器用な理由がそこにあるのではないかと思うと、痛々しくも感じられた。

「アタシあの子が鳳にいた頃、笑ってるとこ見た事なかったの。冷たそうな子だなって思ってたけど」

 いつの間にか火の消えていた煙草を灰皿に捨て、藤堂は新しいものに火を点ける。幽霊避けに吸う人が多いから、最近は禁煙区域など滅多に見かけない。嫌煙家も喧しいが、統計データには敵わないようだ。

「笑うと可愛いのよね。ね、藤堂クン」

 突然話が逸れたので、藤堂は驚いて目を丸くした。祐子は彼の顔を覗き込み、にやにやと笑みを浮かべている。明言された訳でもないのに、図星を突かれた気分だった。

「……いや……うん」

 気恥ずかしくなって目を逸らすと、祐子は高らかな笑い声を上げた。近所のおばさんにからかわれている気分だ。

 砂を噛む足音にふと視線を上げると、目の前に芹香がいた。藤堂は思わず息を呑んで身構えたが、会話は聞いていなかったようで、彼女は額の汗を手の甲で拭いながら、パラソルの下に入る。白い頬が上気して赤く染まり、口元には微かに笑みが浮かんでいた。

「お疲れー」

 軽い調子で労う祐子に笑いかけて、芹香はパーカーを脱いだ。薄い背に浮いた肩甲骨と背骨のラインが、藤堂の目には輝いて見える。背筋を伝う汗の滴が煌めき、ショートパンツの裾から僅かに覗く引き締まった尻の曲線さえ、眩しかった。

 これで声を掛けられない方がおかしい。近寄りがたい雰囲気はあるが、友人もいなかったというのが、藤堂には信じられなかった。

「若い子は元気でいいわねえ。あんたも、もっと遊んでればいいのに」

「変な形の石を探すんだそうだ。私はあまり直射日光に当たると、肌が痛くなるんでな」

 見ると、残った三人は下を向いて波打ち際を歩いていた。大方ゆなの提案なのだろう。

「また変な事するな、アイツらも」

「それが楽しいんでしょ。いいじゃないの、遊ばせとけば」

 芹香がシートの上に腰を下ろすと、祐子は入れ替わりに立ち上がった。藤堂は銜え煙草を手に持ち替えながら、ふと彼女を見上げる。

「そういやアンタ、この辺の噂知らない?」

 祐子は首を捻って藤堂を見下ろした後、芹香に視線を移す。レジャーシートの上に無造作に転がしてあったペットボトルを拾いながら、芹香は視線を受けて顔を上げた。

「知らないのか」

「知らない。依頼の件?」

「夕方から夜にかけて、この辺りの岩場に手の大群が見えるそうだ」

 胡散臭そうに鼻を鳴らして、祐子は腕を組んだ。無理もないだろうと、藤堂は思う。

 人の多い場所に出るような霊は既に除霊されているケースが多く、噂を聞きつけて退治屋が行ってみたら解決済みだったという事が、よくあるようだ。この海水浴場もそう新しくはないようだから、除霊されていてもおかしくはない。

 けれどここの場合は、噂が流れ始めたのがごく最近だと言うし、単純に依頼者の数が多かったから、訝りつつも請けたのだ。除霊屋の依頼料というのは、被害の規模や霊の状態を考慮して計算されるから、被害を受けている依頼者の頭数が多ければ、金額も増える。連名の場合は、謝礼金も多少上乗せされる。

「手の大群ね……よく聞く話だけど、そういうの大体見間違いって言うじゃない」

 藤堂は知らなかったが、芹香は頷いた。

「夜の海は危ないと、相場が決まっている。恐怖心が見せる幻覚とはよく言うが、どうも怪しいんでな」

「お前調べたの?」

 ああ、と呟いて、芹香は渚のカゴバッグからクリアファイルを取り出した。挟まれた紙には見出しと日付が書いてあるから、オンラインニュースの記事を印刷したものだろう。

「噂が流れ始めたのが、去年の春頃だったようだ。同時期にこの辺りで、バスの転落事故があった」

 藤堂は記事を覗き込みながら、胡散臭そうに鼻を鳴らした。

「そんなもん、とっくに供養してんじゃねえの?」

「そうだろうな。しかしこれが妙でな」

 言いながら、芹香はファイルの中から一枚紙を抜き取る。それもやっぱり、ニュース記事だった。

 藤堂はニュースどころかテレビ自体を観ないので、バスの転落事故があった事も知らなかったが、大々的に報道されていたのだろう。ドライバー達は恨まれるのが怖くて乱暴な運転もしないし、かなり気を遣っているから、大きな交通事故は滅多に起きない。

 そんな現代で、しかも道路も充分に整備されたこの都会で、そんな事故が起きた事が、藤堂には意外だった。だから大きく報道されたのだろうが。

「事故が起きた時、状況から見て不審な点はなかったそうだ」

「この辺、バスが事故るようなカーブもねえしな」

 ふうんと鼻を鳴らして、祐子は腕を組んだまま首を捻った。

「ヘンな話ね。それ、どの辺なの?」

「転落現場が、この辺りの岩場の崖下だと言うんだ。とりあえず行ってみるが」

 芹香はちらりと腕時計を見て、ファイルを元通りバッグにしまった。それからおもむろにペットボトルを掴んで立ち上がる。藤堂は彼女を見上げて、怪訝に片眉を寄せた。

「行くの?」

「ああ。下見なら、昼間の内がいいからな」

 生返事をして、藤堂は傾けていた首を戻す。しかし視界の端に背を向ける芹香が映ると、あ、と呟いた。

 肩越しに振り返った芹香に、待てとばかり掌を向けつつ片手で煙草に火を点け、藤堂は立ち上がる。祐子の含み笑いが背後で聞こえたが、彼女は何も言わなかった。

「俺も行く」

 芹香は驚いたように眉を上げ、二三度忙しなく瞬きした。

「日陰から出たくないんだろう」

「いや……なんかお前危なっかしいし」

「下見ぐらい、いつも一人で行っていたが」

 そういう意味ではない。彼女はついさっきの事も忘れているのかと考えながら、藤堂は頭を掻く。

 返答に困って黙り込むと、祐子が笑った。肩越しに視線だけ向けて、藤堂は牽制するように彼女を睨む。余計な事は言わないで欲しい。

「ついてってもらいなさいよ。また囲まれてもイヤでしょ?」

 曖昧に唸り、芹香は横目で藤堂を見た。黙って頷き、藤堂は彼女の肩を軽く叩く。

「祐子さん、ここ使ってていいよ。つうか居て」

「誰も盗みやしないわよ、死後怖いんだから」

 死んだ後の為に生きている。祐子の言葉が、現代のそんな問題を藤堂に思い起こさせた。

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