地獄の仕掛け事件3
モローの逮捕を受けて裁判所の周りに集まった群衆は、彼の無実を信じた。
民衆は、勇敢に国を守ったモローに対し、深い愛情と信頼を抱いていた。
町中にモローを擁護し、ボナパルトを揶揄するビラが貼られた。
モローは、タンプル塔へ移送されることになった。ルイ16世一家が閉じ込められた不吉な塔は、処刑の準備室と呼びならわされている。
護衛の兵士の一人が近づき、耳元で囁いた。
「将軍。私たちの助けが必要ですか?」
「いいや。俺は血を見るのが好きではないからな」
短くモローが答える。
幾多の戦闘で死線を潜り抜けて来た将軍の素直な本性に、兵士は戦慄した。
裁判官たちの判断は、モローは有罪だが弁解の余地はあるというものだった。
しかし、彼らが呈示した数ヶ月の禁固刑は、第一執政の意に染まなかった。
……「第一執政を爆殺しようとしたのに、ハンカチ泥棒くらいの刑罰しか与えられないとは!」
ピシュグリュは、5年前に自分を爆殺しようとしたカドゥーダルの仲間だ。そのピシュグリュと接触したからには、当然、モローも共犯だろうというのが、彼の主張だ。
とはいえ狡猾なボナパルトは、軍や民衆へのモローの人気を恐れた。
裁判官たちは2年の禁固刑を求刑し、第一執政が温情を見せてこれを減刑する形で、モローの刑は国外退去に確定した。
◇
その年の12月、ボナパルトは皇帝に即位した。
「俺はこの国に王を取り戻してやろうと思ったのに、皇帝を与えてしまうとは」
恩赦を拒否しカドゥーダルが断頭台に登った、半年後のことだった。
カドゥーダル
◇
モローは陸路スペインに向かった。そこから船に乗り、新大陸を目指す。
「モロー将軍」
通行証を確認した士官は、謎めいた笑みを浮かべた。
「皇帝陛下に手紙を書くおつもりなら、そうなさい。お返事がくるまでの間、国境でお待ちになればいい」
この期に及んでボナパルトは、自分を配下に取り込みたいのだとモローは悟った。自分を己の下に屈服させることで、軍を始め国内に残る不満分子を一掃したいのだ。
「必要ない」
毅然としてモローは応じる。
「俺には、皇帝陛下と呼ばれる将校に手紙を書く趣味はないのでね」
士官は鼻白んだ顔になった。
「パリでも貴方は、フーシェ氏の提案を拒絶なさいました」
無事国境を通り過ぎると、憤懣やるかたないといった風に、副官が吐き出した。
「彼なら、ボナパルトを説き伏せることができたでしょう」
「フーシェは信用ならないと言ったろう?」
モローは取り合わない。が、副官はしつこかった。
「ならなんで、脱獄なさらなかったのですか。軍は貴方の味方です」
モローは深いため息を吐いた。
「俺が軍を掌握すれば、王党派が接触してくるだろう。《《皇帝陛下》》に逆らうには、王党派の力を借りるしかない。だが、やつらはピシュグリュ将軍を殺した」
副官は首を傾げた。
「ピシュグリュ将軍は、ボナパルトの手の者が殺したのでは?」
「馬鹿だな、君は。ボナパルトの政府は、急進的な王党派を洗い出すことに躍起になっている。ピシュグリュを殺してしまったら、尋問して隠れ王党派の名を吐かせることができなくなるじゃないか。一方で、国内の王党派は、自分の身を守ることに必死だ。ピシュグリュに、余計なことを話してもらいたくないのだ」
「だから、裁判の前にピシュグリュ将軍を暗殺したと?」
モローは遠くを見つめた。
「ご覧。海だ」
山道は下りに差し掛かっており、木々の間から、青く光る海が見えた。
今まで海を見たことがなかった副官は、その美しさに息を飲んだ。
「オランダの海は、冷たく凍っていた。だが、大西洋は美しいな。この海は、遠く、祖国の力の及ばない大陸まで続いている。ピシュグリュは死んだ。今こそ俺は、全部辞める。軍も、フランスも。もう、思い残すことはない」
王党派の財産を庇ったとして、モローの父はギロチンに掛けられた。
あの時彼は、国を捨てるはずだった。
それが、ここまで残ったのは、ピシュグリュがいたからだ。
「国を裏切ったピシュグリュが、俺を国に引き留めていたとはな」
自分の目と同じ色の海を見つめながら、モローはつぶやいた。
モローについて
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