レイニエの軽口3
それは、テ・デウムの式典の後、デルマがボナパルトの不興を買ってすぐのことだ。(スウェーデンの王太子1 参照)
デルマがコミック・オペラを見ていると、「高級将校」役と「下僕」役の間で、以下のような会話があった。
「高級将校」の軍服は、ライン軍のそれに巧妙に似せてあった。
下僕
「あ、軍人さんだ! 私のご主人様の家に入ってきて、何をしてらっしゃるんです? あれ、大事な美術品を持ち出すんですか?」
将校
「黙れ。我々は勤務中(service)だ」
下僕
「偶然ですね! 我々も主人に奉仕(service)しているとこですよ!」
観客がどっと笑ったところで、思わずデルマは立ち上がり、抗議した。
「ライン軍の兵士は略奪なんてしないし、そんな風にも言わん」
すると、観客席から別の声が上がった。
「なら、イタリア軍の兵士には当てはまるのか?」
イタリア軍の総司令官といったら、この国に勝利を齎したボナパルトが、真っ先に人々の脳裏に浮かぶ。
それを見越しての挑発だということは、はっきりとわかった。
だが、デルマにためらいはなかった。
「イタリア軍の兵士らは、第一執政の為に働かされているのだ」
見知らぬ男に、デルマは返した。
この観客が、デスタンだった。
上官ムヌーと同じく第一執政派のデスタンは、即座にデルマに決闘を申し込み、デルマはこれを受けて立った。
翌日、ブーローニュの森で行われた決闘では、デスタンが軽い怪我を負っただけだった。
しかし禁じられていた決闘を行ったことからデルマはパリから追放された。
レイニエは、膝を打った。
「思い出した。そういえば、あの時、君を捕まえにいったのは、サヴァリだったんだろ?」
はっきりとは言わないが、どうやらレイニエは、デルマとデスタンの決闘を知っていたようだ。
デルマは頷いた。サヴァリに関しては、他にも深い怒りを抱いてる。
「そうだ。その2年後に、ピシュグリュがモローに会いに行ったのを尾行していたのも、サヴァリのやつだったんだ」(「地獄の仕掛け事件2」参照)
サヴァリもライン[・モーゼル]軍の出身で、かつてはドゼの副官を務めていた。
つまり、ピシュグリュ、モローの傘下にいた。
マレンゴでドゼが死ぬと、彼は第一執政の副官に取り立てられ、その後、執政直属の特別憲兵隊隊長となった。
サヴァリは、王党派撲滅に執念を燃やしていた。
デルマは吐き捨てた。
「自分がいた軍のかつての総司令官を密偵するなんて。全くサヴァリの野郎、何を考えているんだか」
すでにデルマは、テ・デウムの一件で、第一執政の不興を買っている。逮捕されることを恐れた彼は、ジュノーの家に逃げ込んだ。
「俺を窓から逃がしながら、サヴァリに向かって、ジュノーは大声で叫んだものだ。『俺の家に入るな! 不法侵入だぞ!』ってね」
かさついた声でデルマは笑った。すぐに陰鬱な表情が取って代わった。
「そのジュノーも死んだ」
「なんだって!?」
レイニエは驚いたようだった。デルマは首を傾げてみせる。
「さすがの君も知らなかったか。7月の終わりだ。自殺だったそうだ」
「モローが死ぬ1ヶ月前じゃないか。だが、自殺とは。だってジュノーは、第一執政の古くからの友人だったんだろう?」
レイニエのそれは、まるで自殺の元凶はボナパルトだと知っているかのような口吻だった。
ジュノーは、トゥーロン包囲戦以来のボナパルトの側近だ。二人のつきあいは、20年にも及ぶ。
デルマは激高した。
「ボナパルトに友人なんているものか! あいつが人を信じ、愛したことなんてあったのか!」
決闘から2年後、モローの裁判に合わせてデルマは再逮捕され、ポラントリュイへの流刑が確定した。
「そんな昔のことをほじくり返して、一体君は、何が言いたいんだ?」
自分の爪を見つめながら、レイニエが問う。
「俺のすぐ後で、デスタンは君と決闘した。そして今度こそ、きっちり息の根を止められた。つまり君は……君がデスタンを……」
言いさしてデルマは口籠る。代わりにレイニエが続けてやった。
「俺が君の代わりにデスタンを殺し、君の受けた屈辱の仇を取ってやったとでも言いたいのか?」
無言でデルマが頷くと、レイニエは笑い出した。
「随分とロマンティストだったんだな、君は。違うよ、デルマ。デスタンを殺したのは偶然だ。運命の女神が味方してくれたともいえる」
「偶然?」
「強いて言うなら、クレベールの為だ。いいや、やっぱり違う。俺自身の名誉の為だ。君が気に病まなくていい」
……「名誉の戦死だ。君が気にすることではない」
さっき、義弟の死に責任を感じていたデルマに対し、レイニエは言った。
デスタンを殺したのは、デルマの為ではないという言い方と酷似している。
この時、デルマにははっきりとわかった。
亡くなった盟友クレベールの為に、レイニエがデスタンに決闘を申し込んだことは紛れもない真実だろう。
だが、正確に急所を狙い、デスタンを撃ち殺したのには、他に理由がある。
レイニエは、《《デルマの為に》》デスタンを殺したのだ。
彼自身が何と言おうと、レイニエは、デルマの屈辱を贖った。
結果、レイニエ自身もまたパリから追放され、ボナパルトから距離を置かれた。地理的なそれだけではなく、心理的にも遠ざけられた。
レイニエが、きらびやかな連隊ではなく、ゲルマン部隊を任されていたのは、そういう訳なのだ。
「決闘のせいで、君は随分と、軍の昇進が遅れたじゃないか」
慚愧の思いでデルマがつぶやくと、レイニエは真顔になった。
「昇進なんかどうだっていい。俺は、死んだ戦友たちの魂の為に戦っているんだ」
「その割に君は、ボナパルトに忠実なようだが。ロシア軍から勧誘を受けたにもかかわらず、捕虜のままでいる。ボナパルトへの忠誠を守り続けている」
……「あなたが首長である以上、私はあなたに従います」
図らずも、パリを追われた時に、ボナパルトに向けて書いた自分の手紙の一説を、デルマは思い出した。
……「あなたが誇らしげに被っている月桂冠は、私たちが編んだものです。もし、葉を持ち寄った者たちがそれぞれ、あなたの額からそれを取り除いたとしたら、この輝かしい装飾を奪われた頭は、禿げたままかもしれませんね」
「レイニエ、君がなぜ、あの男に忠実なのか、俺にはわからない。さっき君は、クレベールは、エジプトでボナパルトの代わりに刺殺されたと言ったろ? 同じ日にマレンゴで死んだドゼもそうだ。彼はボナパルトの失敗を贖う為に、奴に代わって殺された」
マレンゴの戦いについてはこちら。背景から戦闘、ドゼの作戦、ボナパルトの失敗(悪口)に至るまでを詳細に連載しました
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