レイニエの軽口1
旧友ベルナドットの訪れが奏功したのだろうか。わずかにデルマは持ち直したように見えた。
ベルナドットの訪問から数日後、レイニエ将軍が訪ねてきた。
スイス生まれの彼は、ライン軍からのデルマの戦友だ。
ピシュグリュやモローが総司令官だった時期も、同じライン(・モーゼル)軍にいた。
デルマは、イタリアへ援軍に出た後で再びライン方面のモローの下へ戻った。一方のレイニエは、ボナパルトについてエジプトへ遠征に行った。
二人の道は離れてしまった。
レイニエ
「やあ、君もロシアの捕虜になっていたのか」
懐かしい顔に出会い、思わず問いかけると、レイニエは渋い顔になった。
「配下の兵士らに裏切られたのだ。俺はザクセン人部隊を率いていたのだが、やつら、俺を手土産にロシア軍に投降しやがって」
あまりに苦り切ったその表情に、デルマは傷の痛みも忘れて噴き出してしまった。
「笑い事ではないぞ。君は怪我人だからまだいいが、捕虜の待遇のひどいことといったら……、いっそのこと、ロシア軍に入って、コサックのやつらに仕返ししようかと思ったくらいだ。俺だったら、やつらの指揮官くらいにはなれるからな」
デルマの眉間が曇った。
「そんな話があったのか?」
「そんな話?」
「君が、ロシア軍に入るとかいう」
「あったともさ」
尊大にレイニエはふんぞり返った。
「俺は優秀だからな。それにフランス人じゃない、スイス人だ。おまけに部下どもはすでにロシアに寝返っている」
茶化すような軽い口調だった。
しかしベルナドットから、モローのロシア軍入隊と戦死を聞いた直後のことだ。
デルマの口調は厳しかった。
「それで君は、承諾したのか?」
「まさか」
レイニエは目を丸くした。
「俺が祖国を裏切るわけがないだろ? 俺はスイスで生まれたが、本当の意味での祖国はフランスだ。フランスには、共に戦い、血を流してきた仲間が大勢いる」
「そうか……」
デルマの全身から力が抜けた。
「なんだよ、デルマ。俺が皇帝を裏切るとでも思ったか? お前、本当にいやなやつだな。スイス人を嘗めるなよ? それに、そうだ。お前の嫁さんも、スイス人じゃないか」
「ああ……」
ポラントリュイに残してきた妻と子どもたちの顔が目の前に浮かぶ。
妻とは、戦争の初期にスイスに侵攻した際に出会った。
ある日デルマは、肉屋の店先にいる筋骨たくましい若者を見つけた。
革命思想に燃えていたデルマは、宗主国オーストリアからの独立こそがスイスの幸せだと信じていた。
彼は若者をフランス軍に勧誘した。
妻は、この若者の姉妹だったのだ。
デルマは、休戦期間に入るとすぐにスイスへ飛んで行って、家族と過ごした。
妻との間には、3男2女の5人の子どもが生まれた。
幸せな結婚だったと思う。しかし、その幸せには、一抹の苦みがあった。
「俺の義兄弟だが……彼は、4年前にエスリングで戦死した。俺が革命軍に誘わなければ、今でも元気に生きていたろうな。妻や彼女の年老いた両親の嘆きを見ると、いたたまれない気持ちになる」
「名誉の戦死だ。君が気にすることではない」
ぶっきらぼうにレイニエは言い放った。これ以上何も言わせまいという、強い意志を感じる。
「それより俺は知っているぞ。デルマ。君にはリュネヴィルに、隠し妻と隠し子がいるだろう?」
「隠し子ではない。ちゃんと認知した。彼らの存在は、スイスの妻も知っている」
レイニエはため息をついた。
「この色男め。お前のようなやつがいるから、俺のようないい男があぶれるんだ」
軽口を叩く戦友を、デルマは遮った。
「なあ、レイニエ。君に聞いておきたいことがある」
「何でも聞いてみろ」
鷹揚にレイニエが構える。
「君の決闘のことだ。君とデスタンとの……」
エジプト遠征からの帰国後すぐに、レイニエは、同じくエジプトから帰ったデスタンと決闘し、彼を殺している。
さっとレイニエの顔色が変わった。
「あれは、デスタンがムヌーの擁護をしたからだ」
ムヌー将軍は、クレベール将軍の後任だ。
エジプトから、軍に内緒で帰国したボナパルトは、クレベールを後任に指名した。
そのクレベールがトルコ人学生に刺殺された後、遠征軍の総指揮権はムヌーの手に移った。
怒り心頭という風にレイニエが言う。
「クレベールは、即座にエジプトから撤退すべきだと考えていた。それなのに、彼の次に総司令官となったムヌーは、撤退を白紙に戻しやがった。クレベールの志を無にするなんて、こんなの、許せるか?」
クレベール
レイニエについて
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クレベールについて
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