スウェーデンの王太子2
モローの死について
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ブリュメールのクーデターで政権を握ると、ボナパルトはローマ教皇と和解し、その記念として1802年、テ・デウム(聖歌のひとつ)の式典が行われた。
革命は宗教を否定した。それを復活させようというのだから、共和主義者たち、ことに軍の怒りは大きかった。
式典は波乱含みだった。
招待されたにも関わらず将校達の席は用意されておらず、怒った彼らは、司祭席を奪って着席した。
また、モローの妻の席がなく、憤慨する彼女に、ボナパルトの母レティシアが自分の席を譲るという一幕もあった。
ちなみに、モロー自身は式典を欠席している。
ようやく式典が終わると、レセプションが行われた。
旧ライン軍の将校らは、固まって談笑を始めた。
そこへ、当時第一執政を名乗っていたボナパルトがやってきた。
「式典はどうだったかね」
ワインを片手に、さり気なく尋ねる。
将校らは、ぴたりと会話を止めた。刺すような目線が向けられる。
戦友達が静まり返る中、デルマは言い放った。
「ええ、素晴らしいです。全てが完璧だ。欠けていたのは、今、あなたが復元したばかりの宗教、それを破壊するために殺された100万人のフランス人だけですね」
これがボナパルトの直接的な恨みを買い、その後デルマは、妻の実家のあるポラントリュイ(スイス)に閉じ込められた。
10年近くの無為徒食の後、彼は、再び軍に召喚された。前年のロシア遠征の失敗で、熟練の指揮官が大量に不足したからだ。
そして、ライプチヒで重傷を負った。
デルマはため息をついた。
「大勢の戦友が国を守る為に死んだ。その死を無駄にはできない。やつらが大切にしてきたものを、俺は守り抜かねばならない」
「モローが死んだ」
ぼそりと、ベルナドットがつぶやいた。
「なんだって!?」
怪我人の体が跳ねた。
ライン・モーゼル軍にいた頃、モローは、デルマの上官だった。
デルマは、モローこそがボナパルトに代わって軍を掌握すべきだと考えていた。
「モローは、ロシア皇帝の下に入ったのだ。ドレスデンで両足切断の重傷を負い、手当も空しく、2ヶ月前にプラハで死んだ」
「あのモローが、憂国の士だった清廉潔白な男が、こともあろうにロシア軍にいたとは!」
デルマが嘆く。
「モローは、スペインから新大陸に亡命していたが、実力を見込んだロシア皇帝が、フィラデルフィアの要人を介して助力を要請した。まさしく全ヨーロッパを救う為に、彼はこの大陸へと帰ってきた。そしてオーストリア皇帝の歓迎を受けた後、ロシア軍に入った」
「ああ、モローは間違ったところにいた! 彼は決して、祖国と戦うべきではなかった!」
自身の傷の痛みも忘れて悔しがる戦友に、スウェーデンの王太子はほろ苦い笑みを浮かべた。
「君ならそう言うと思った。誰よりも軍を愛するなら。俺は、戦闘が始まる前に少しの間だが、モローと話す機会があった。彼は、ピシュグリュが死んだから、祖国を捨てたのだと言っていた」
はたしてデルマは信じなかった。
「嘘だろう? ピシュグリュは祖国を裏切った。ライン軍での戦いの間、俺達を裏切って王党派と通じていた。一方でモローは、熱烈な共和主義者だった」
「戦争の初めから、モローとピシュグリュはずっと一緒だった。最後まで2人は、戦友だったのだ」
「ピシュグリュのせいで、モローは、ボナパルトに嵌められたんだぞ」
ベルナドットは、静かに首を横に振った。
「アレクサンドル一世とオーストリアの宰相に対し、モローは助言をした」
ゆっくりと、ひとつひとつ読み上げるように、ベルナドットは口にする。
・ナポレオン自らが率いる軍とは直接対決しない。
・万が一にも戦わざるをえない場合は、数で圧倒する。
・元帥たちを個別撃破する。
「モローの助言は、期せずして、俺がロシア皇帝に提言したのと同じ内容だった。ボナパルトはもう、おしまいだよ、デルマ。やつの帝国は終わるのだ。否、《《我々の祖国が巻き添えを食う前に、終わらせねばならない》》」
頭を抱え込んでいたデルマが顔を上げた。
「ベルナドット。君も祖国へ剣を向けるのか?」
「いいや。この後、オランダへ向かう。スウェーデンは第二の祖国だが、俺は決して、フランスへ軍を向けることはしない」
深いため息が、デルマの口から洩れた。力尽きたように、彼の体は沈んでいった。
「……何か言ったか?」
ため息に音声が混じったのを聞きつけ、ベルナドットが戦友の上に身を屈めた。
「君は、いつもと変わらないガスコン(フランス南西部ガスコーニュ地方の人)だと言ったんだ」
「俺は、永遠に君のガスコンだよ」
応じるベルナドットの声が震えた。
「なあ、デルマ。スウェーデンに来いよ。北国が寒くて嫌なら、同盟軍に入るがいい。昔みたいに、また隣り合って戦おう」
答えは早かった。
「最初に言った。ナポレオンに難があっても、フランスに罪はない。俺は常に同胞に奉仕する。革命の精神を奉じて死んでいった、多くの戦友達の為に」
「そう言うと思った」
ベルナドットの目は潤んでいた。
「だが、俺だって君の友人で、君も俺の友人であることに変わりはない。俺の心は決して君を離れることはない。そのことを忘れないでくれ」
◇
夜遅く友の元を離れたベルナドットを、デルマの秘書官トリンカーノが見送りに出た。
トリンカーノは、味方の軍が去っていった後もデルマの傍らに残り、共にロシア軍の捕虜となった側近だ。
先を歩いていたスウェーデン王太子が振り返った。
その目には、友の前では零すことを耐えていた涙が、今にも溢れそうに盛り上がっている。
「彼は、ちゃんと世話を受けているか? 治療は完璧だろうか。薬は処方されているか? 食べ物や清潔な布など、全部揃っているだろうか?」
王太子の声は鼻声でしわがれていた。
「はい。この状況下で、能うるかぎりの手当ては受けておられます」
秘書官は答えると、ベルナドットは、胸の隠しから財布を取り出し、懇願した。
「どうかこれを。彼の為に何の不足もないように」
秘書官は両手を後ろに回した。
「いいえ。スウェーデンの王太子殿下からは、何一つ受け取ってはいけないと、デルマ将軍からきつく申しつかっておりますから」
いかにも潔癖なデルマらしかった。
後から後ろ指をさされない為の配慮でもある。
自分だけではなく、他国の王太子となったベルナドットが謗られることのないように。
たまらず、ベルナドットは嗚咽を漏らした。




