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ライン軍挽歌  作者: せりもも
1797 援軍

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1/15

和平

参考文献は、最終話の後書き欄に記載します

 1797年、膠着するライン河方面から、ロンバルディアで勝利を重ねたイタリア軍へ、二つの師団が送られた。


 デルマ師団とベルナドット師団。合計3万の兵士と2000の馬だ。


 これにより、7万5000にまで膨れ上がったボナパルトの軍は、かつてないほど強大で美しい軍となった。


 ベルナドット師団は、イタリア北部、オーストリアとの国境に近いタリアメント河に布陣し、オーストリアの大公ヨーハンの大軍を打ち破った。


 デルマ師団はチロルに進軍、神聖ローマ帝国に忠誠を誓う厄介なチロルの民兵達を相手に、奮戦を重ねた。


 最も危険な地域をライン河方面から来た援軍に任せ、ボナパルトのイタリア軍はレオーベンに迫った。


 ウィーンの高台から見えるその町で皇帝フランツに威信を見せつけた後、フランス優位に和平を結んだ。





 デルマはライン・モーゼル軍(*)、ベルナドットはとサンブル=エ=ムーズ軍の所属だった。


 彼らを選んだのは、ライン・モーゼル軍の総司令官モローだった。


 サンブル=エ=ムーズ軍の総司令官ジュールダンは、前年の敗北の責任を取って辞任していたので、代わりにモローがベルナドット師団を選んだのだ。



 イタリアだけではなくドイツでも、激しい戦闘が続いていた。


 オーストリアは皇帝の弟カール大公を投入し、ライン河を渡って侵攻してきた二つの軍の分断に成功していた。


 だか、河の左岸(西側、フランス側)に押し戻されたこれら二つの軍は、未だ戦うつもりでいた。



 そんな折の、イタリア軍への派遣要請だった。


 ボナパルトの進撃は快挙だといえるが、当初の目的は、彼のイタリア軍と、ドイツ方面から連携を取りながら来る2つの軍との、ウィーン挟み撃ちだったはずだ。



 カール大公はじめ実力ある敵がドイツ方面に集中してしまい、ロンバルディアが手薄であったことは否めない。


 

 ボナパルトは、ドイツからの友軍を待つべきだった。


 彼は、勝利を独り占めすべきではなかった。




 1797年、膠着するライン河方面から、ロンバルディアで勝利を重ねたイタリア軍へ、二つの師団が送られた。


 デルマ師団とベルナドット師団。合計3万の兵士と2000の馬だ。


 これにより、7万5000にまで膨れ上がったボナパルトの軍は、かつてないほど強大で美しい軍となった。


 ベルナドット師団は、イタリア北部、オーストリアとの国境に近いタリアメント河に布陣し、オーストリアの大公ヨーハンの大軍を打ち破った。


 デルマ師団はチロルに進軍、神聖ローマ帝国に忠誠を誓う厄介なチロルの民兵達を相手に、奮戦を重ねた。


 最も危険な地域をライン河方面から来た援軍に任せ、ボナパルトのイタリア軍はレオーベンに迫った。


 ウィーンの高台から見えるその町で皇帝フランツに威信を見せつけた後、フランス優位に和平を結んだ。







 デルマはライン・モーゼル軍(*)、ベルナドットはとサンブル=エ=ムーズ軍の所属だった。


 彼らを選んだのは、ライン・モーゼル軍の総司令官モローだった。


 サンブル=エ=ムーズ軍の総司令官ジュールダンは、前年の敗北の責任を取って辞任していたので、代わりにモローがベルナドット師団を選んだのだ。



 イタリアだけではなくドイツでも、激しい戦闘が続いていた。


 オーストリアは皇帝の弟カール大公を投入し、ライン河を渡って侵攻してきた二つの軍の分断に成功していた。


 だか、河の左岸(西側、フランス側)に押し戻されたこれら二つの軍は、未だ戦うつもりでいた。



 そんな折の、イタリア軍への派遣要請だった。


 ボナパルトの進撃は快挙だといえるが、当初の目的は、彼のイタリア軍と、ドイツ方面から連携を取りながら来る2つの軍との、ウィーン挟み撃ちだったはずだ。



 カール大公はじめ実力ある敵がドイツ方面に集中してしまい、ロンバルディアが手薄であったことは否めない。


 

 ボナパルトは、ドイツからの友軍を待つべきだった。


 彼は、勝利を独り占めすべきではなかった。








________________


* ライン軍は1794年末、モーゼル軍と合わさり、ライン・モーゼル軍となった


私のブログで、史実の解説をしています。できる限りの画像を入れて、大層マニアックに語っております。随時リンクを貼っておきますので、もしよろしかったら。



ライン河方面からイタリア軍への援軍について

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-264.html






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