第90話 滅亡の夜
アステローペ市の会議場には陰鬱な空気が漂っている。この息が詰まるような雰囲気は、親類が危篤で今にも命を終わらせようとしている病室に似ていた。違うのは危篤なのは人間ではなく国であるということだ。
「東部諸侯の別動隊と合流したアガレス本軍30万が、このアステローペ市へ進軍中ということだ」
革命軍内において軍師役をしているリュシエルは、皆が言い難い事を敢えて空気を読まず真っ先に発言することを、自分の義務であると自認していた。リュシエルは努めて無感情に言うと、会議に出席する面々が更に表情を暗くする。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
カイラスも、エカテリーナも、アルガ・マリーナも、ニンファも。誰一人として口を開かない。沈黙だけが場を支配する。
口には出さないが、もう全員が分かっていたのだ。どんな国にもいずれ訪れる滅亡の日が自分たちにとっては今日この時なのだと。
誰も発言しない事を確認してからヴォーティガンが発言する。
「革命軍全軍イザール平原へ出陣し、アガレス軍を迎え撃つ」
「全軍で、か?」
本拠地の守りは要らないのかと視線で尋ねるカイラスに、ヴォーティガンは頷く。
「そうだ。アステローペ市は防衛に優れているわけではないし、ウァレフォルの軍を抑えているヴェルモントが援軍にくることはあてにできない。市民を見捨てて逃げるのは論外。なら野戦での逆転を狙うしか、俺たちの生き残る目はないだろう。それに俺たちが敗れることがあっても――――いや、敗れた後の事を話すのは縁起が悪いからな。やめておこう」
(私たち革命軍がイザール平原で全滅すれば、アステローペ市はスムーズに降伏できて、余計な被害は防げるか。まったく賢しい坊やだよ)
エカテリーナは自分の半分も生きていない少年革命家を見て嘆息した。ヴォーティガンに言えば「自分は成人していて少年ではない」と答えるだろうが、エカテリーナからすれば二十歳にもなってなければ、女の味すら知らないようなのは全員ガキである。そんなガキが差し迫る死に恐怖するでもなく、誰よりも泰然としているのがエカテリーナには腹立たしかった。
「ニンファたちにはもう言ったが、我が国は自由の国だ。出撃を強要はしない。自由にしてくれ」
「おう、ではわしは死に場所を自分で選ぶ自由を行使させてもらおうか」
幹部の中でも最年長のカイラスは流石に覚悟が決まっていた。だがあっさりと死ぬ決断をしたのがエカテリーナには意外でもあった。
「ちょいと驚いたよ。カイラスの爺様は恥知らずの汚名を着ても、生きて革命の志を後世に伝える役目を負うとか言い出すかと思っていた」
「老い先短い爺が命を惜しんでどうするんじゃ。わしのような年寄りの役目は、若者に道を示すことじゃろう。わしがあと五十年、いや三十年も若ければ、その道を選んだかもしれんがのう。革命の志を未来へ繋ぐ役割は若者のものじゃ」
「ふーん。では若者たちはどうするね?」
エカテリーナはリュシエルとニンファの二人に視線を送る。
「私は面倒臭がりでね。後世に志云々なんて面倒な役目は御免さ。ニンファ、君はどうするんだい?」
「わ……わた……しも……戦い……ま……」
あっさりと参戦すると言ったリュシエルと正反対に、ニンファは震えながら勇気を振り絞ろうとしていた。
「――――――おい、ニンファ」
エカテリーナはヴォーティガンやリュシエルと違って、可愛げのあるニンファに手を伸ばす。
「ひっ! ご、ごめんなさ……」
臆病を咎められ殴られるとでも思ったのだろう。目を伏せたニンファの頭を、エカテリーナは優しく撫でてやる。
「エカテ、リーナさん?」
「ガキが無理するんじゃないよ」
エカテリーナが微笑む。ヤクザ者達を一喝するだけで震え上がらせる女親分とは思えない、母親のような慈愛に満ちた笑顔だった。
「死にたくないんだろう? いいじゃないか、ガキってのは生きるのが一番の仕事だよ。ここにいる自分の仕事も碌にしないで二十歳前に死のうとするガキ共と比べたら、お前はずっといい子さ」
「で、でも……! わ、私は革命の同志で、責任が……!」
「でももすともない。死にたいか、死にたくないか……どっちなんだい?」
エカテリーナは膝を折り目線を合わせ語り掛けると、必死に抑えつけていた恐怖が決壊したのだろう。ニンファが泣きじゃぐりながら本音を吐き出した。
「死にたくない……です……ごめんなさい……革命の為に……命を捨てる覚悟をしてたのに……いざその時になったら……恐くて……」
「よく言った。いい子だ」
「ニンファ。大統領権限によって君の全ての職を解く。君はクビだ。直ぐに荷物を纏めて出ていくといい――――今まで、ありがとう」
「…………はい、ありがとうございました」
ニンファは深く頭を下げると会議室を出ていく。
きっとここにいる全員がニンファと再会することは二度とないだろう。
「…………で、お前のほうはいいのか、アルガ・マリーナ。元侯爵のお前なら、上手く立ち回ればただ助命されるばかりか、貴族に復帰することだってできるかもしれないぞ」
「馬鹿にするなよヴォーティガン。僕だって生半可な覚悟で、革命軍に加わったわけじゃないんだ。お前は平民だから分からないだろうけど、貴族が貴族であることを捨てるって結構勇気がいることなんだぜ?」
「失礼した。同志アルガ・マリーナ、君は勇敢な男だ」
「ふっ。まあそれほどでもないけどね」
アナリーゼが関わらない歴史において、アルガ・マリーナは常に革命軍と対立する陣営にいた。アルガ・マリーナがなにかの間違いで生徒会長になってしまった時、彼を暗殺するのは他ならぬヴォーティガンである。
しかしアナリーゼの干渉の結果、アルガ・マリーナは革命軍に加わる事となり、そして今、ヴォーティガンとアルガ・マリーナの間には真の友情があった。
「それにしても俺はエカテリーナがあんなことを言ったのが、ちょっと意外だったよ」
ヴォーティガンにとってのエカテリーナは苛烈な女親分で、度量や人情ある沙汰を出す事はあっても、あんな風に慈愛を見せるタイプではなかった。
「……私の子供も、生きていればあのくらいの年齢だったからねぇ」
「娘か?」
「いいや」
カイラスの問いに首を横に振って真っ直ぐヴォーティガンを見る。
「?」
ヴォーティガンは何故見つめられているのか分からずきょとんとしていた。
エカテリーナが貴族によって殺された息子は、生きていれば十八歳。なんの偶然か髪の色も目の色もヴォーティガンとそっくりだった。
「息子さ」
なんということはない。エカテリーナが革命軍に加わったのは革命思想に共感したからでも、貴族への恨みからでもない。ヴォーティガンというガキに、長生きして欲しかったからだったのだ。
イザール平原において革命軍十万とアガレス軍十五万が対陣した。数の上ではアガレス軍がやや上だが、革命軍の十万は本当にどうにかかき集めた軍勢である。無論精鋭も混じっているが、それはごく僅かである。
対してアガレス軍の十五万の内訳は元々のアガレス家の軍に加え、併呑した東部やグランドール伯などの臣従を選んだ諸侯軍である。諸侯軍の中には革命軍と同じように農民が槍を持っただけという急ごしらえの兵隊もいるが、騎兵や魔法兵などの精鋭に、弓騎兵に魔導騎兵という最精鋭も一通り揃っている。
もしも両軍の指揮官が同じ人間ならば、百戦して百回アガレス側が勝利するだろう。
「十万か。かき集めに集めたものだ。恐らくウァレフォルと戦っているヴェルモント軍以外の全軍がここに集まっているのだろう」
三成が両軍を見比べながら感嘆したように言う。革命軍十万とアガレス軍十五万、合わせて二十五万。この数字は関ヶ原の戦いの西軍と東軍を合わせた数よりも多い。三成にとっても未知の世界であった。
「ノア。リストにいる人間は?」
「ヴォーティガン・リドル、リュシエル・ウィンドラス、アルガ・マリーナ・ナベリウスの計三名。ニンファ・クラレンスの消息は不明です」
「そう。ノアはニンファちゃんの行方を追って」
「はっ」
ノアはアナリーゼの目的を全て聞かされていた。行方を追わせて、気を利かせて捕えて拷問しておきました、なんて言われたら困るからである。
「三成さん。こっちと革命軍の兵力の差は五万しかないけど、確実に勝てるの?」
「上回っているのは数だけではない、練度もだ。戦に確実な勝利などというものはないが、十中八九は勝てる戦だろう」
「じゃあ十に一つ負けるのね。クロムウェル、全軍に改めて軽挙妄動をしないよう徹底して」
「御意」
アナリーゼから命じられたクロムウェルは、特にだらけきって職務放棄している兵士を見せしめに斬首することで、弛緩しきった軍を引き締め直した。
そしてそれと対する革命軍。軍師のリュシエルは、隙なく布陣されたアガレス軍を眺め嘆息した。
「ふむ。普通これくらい有利な戦になると、軍というやつは、敵との戦いよりも味方との功績の奪い合いに気を取られ纏まりを失うものなのだが、アガレス軍はよく統率されているな」
関心したように言うリュシエルだが、内心は絶望だった。ただでさえ不利な戦況を覆せる可能性があるとすれば、相手の油断や慢心につけ込むことだったのである。桶狭間の戦いのように油断した大軍を、少数が奇襲し勝利した実例は数多い。だがアナリーゼの訓令と、それに応えたクロムウェルによってその勝機は失われてしまった。
「氷の女帝アナリーゼか。諸侯には百戦錬磨の将もいるだろうに、こうも統率してみせるとは、中々の人物のようじゃな」
「相手の慢心を突く策は幾つも用意していたが、ここにきてアガレスには欠片の油断もない。派手な大勝より、堅実な完勝目的だ」
「それでも勝つしかない、だろう?」
「ああ、その通りだ」
エカテリーナに言われると、ヴォーティガンは強い決意を込めて答える。
そうして拡声の魔法を使い、肺から全ての空気を絞り出すような大声で、革命軍全軍に向けて檄を飛ばした。
「同志諸君! この一戦にて我々は革命軍の正義を天下に示す! 今を生きる全ての市民と、遥か未来を生きる後世の市民たちに、革命軍の志を! 価値を! 刻みつけるッ! 俺達の魂は永遠だ! 共に行くぞ、攻撃開始!」
『うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
兵士たちが雄叫びをあげる。いや兵士たちではない、これはこの場にいる全ての同志たちの叫びだった。




