第9話 我儘令嬢と愛人疑惑の男
アガレス領の大改革に着手することになったアナリーゼ。
だが言うまでもなく現代JKのアナリーゼに政治経験などない。強いて言うなら戦略SLGをプレイしたことが少しあるだけだ。
なので何をするべきか三成に尋ねることから始めた。
「ねえ三成さん。改革ってまずはなにから手を付けるべきかしら? やっぱり人材? 隗より始めちゃう?」
「より優れた人材を集めることも大事だが、その前に足場を固める必要がある」
「足場って?」
「お前は確かにあの男より全権を委任された。逆に言えばあの男の一存で、与えた権力が全て奪われることもあるということだ」
「委任してすぐ取り上げるなんて、流石にそんなことはしないんじゃないかしら? 常識的に考えて」
「あれを過大評価するな。あれにものを考える能力はない。俺たちが改革をしたとして、それに不利益を被る佞臣がちょいと口先三寸を弄せば、あっさりとそれに靡くぞ」
「……気流にのる凧?」
好きだった小説の例えを引用するが、三成は首を横に振った。代わりにより辛辣な表現をする。
「凧ほど出来が良くない。あの頭の軽さは葉っぱで十分だ」
「じゃあその頭が葉っぱなお父様をどうするの?」
「俺はあいつを胡亥に例えた。ならば倣うべきは趙高の所業だ。あの男は家臣たちから切り離し、屋敷深くで酒色にでも耽ってもらおう」
「それはいいけどお父様が簡単に頷くかしら?」
幾ら何でもそう簡単にいくとは思えず懸念するアナリーゼ。けれどアナリーゼの懸念は結果から言えばまったくの杞憂だった。屋敷へ行きアナリーゼが「全権を委任したなら政治を混乱させないために、お父様は政治に一切関わらない姿勢を示すため、家臣にも極力会わず屋敷に引きこもるのが良い」と話すと、
「分かった、そうしよう。五月蠅い家臣たちに週に一度は評定に顔だけは出すよう言われていたが、それもしなくて良いならこれほど楽なことはない」
というようなことを言ってあっさりと同意してしまったのである。
三成はそんなアガレス公アルバートを軽蔑しきった目で見ていたが、ともあれこれで権力を取り上げられる心配をせずに改革に専念できるというものであった。
そして父親を事実上の軟禁状態にして公爵領の実権を手中にしたアナリーゼが最初にしたことは、正式に三成を家臣として抜擢することだった。
「私はこの三成さん……もとい石田三成を奉行に任命して、未成年でまだ未熟の私に代わって政務を取り仕切らせるわ!」
公爵の代理人の更なる代理人の爆誕だった。
アナリーゼからしたら石田三成は、豊臣政権下で比肩の人なしと称された官僚で、関ヶ原で徳川家康と天下分け目の戦いをした英雄である。なのでこれは妥当な人事なのだが、そんなことを知らない異世界人からしたらそうではない。
急に公爵令嬢が出自も定かではない男に公爵家の実権を譲り渡したと聞いて、三成の外見が中々整っていたこともあって、三成愛人説がまことしやかに囁かれることになった。
愛人に好き勝手やらせているとしか思えない凄まじい悪役令嬢ムーブに、まず平民の怒りが爆発した。
「誰とも分からねえ愛人に権力を渡すなんてふざけんなっ!」
「歴史あるアガレスのお殿様お姫様ならまだしも、なんで愛人なんかに統治されなきゃいけないんだ!」
「一揆勢に合流を!」
普段は不敬罪を恐れて権力者の悪口を言うこともない平民たちがこれである。
なのでこれまで公爵の無気力を良いことに、好き勝手していた一門の貴族たちは公然とアナリーゼと三成を批判するようになった。ただ一方で貴族たちはどうせ我儘令嬢の愛人のやる改革が上手くいくはずがないと高をくくっていたので、失敗するまで様子見する構えであった。
だが凄まじいのは三成である。普通ここまで全方位から嫌われると萎縮するものなのだが、三成は良くも悪くも空気が読めない。周囲の批判を黙殺して、淡々と行政にメスを入れていった。
「ヘンリーがどれだけ時間を稼いでいられるか分からん。長期的には良策とは言えんが、高祖の法三章の故事に倣い、先ずは見栄えが良く無学な庶民にも分かりやすい改革で人気をとるか。ともかく一揆を平和裏に落着させることが最優先。だが同時に本当の改革も平行して進めていく」
三成にとって最大の幸いは、アナリーゼという絶対的権威を笠に着ることができたことだろう。
そうでなければ能力だけで人望なし名声なし実績なしの三拍子揃った三成など、三日天下で失脚していたはずだ。
それに嬉しい誤算もあった。公爵の側近の半数は、主君の薫陶を受けた怠惰な連中で占められていたので、左遷、降格、追放、性質が悪すぎる者は処断の憂き目にあったが、残りの半数の、怠惰が支配する職場にあってぎりぎり行政を回していた側近たちは、三成の改革を歓迎したのだ。
その筆頭がロート・ハレーというサングラスをかけた金髪の文官である。
「無能な公爵の次は我儘娘とその愛人が上司になるのかと絶望したが中々どうして……。三成と言ったか? 性格は嫌いだが、行政の改革案改善案も全てが的確で事務処理も早い。王都の官僚だってこんな処理能力は持ってないだろう。こんな人物が無名だったなんて信じられん。性格は嫌いだけど」
残念ながら人格的には反りが合わなかったが、ロート・ハレーという男は個人的な好き嫌いを仕事に持ち込むことを愚かと馬鹿にする類の人間だったため、他の同僚にも積極的に声をかけ今は三成に協力するよう呼びかけた。
ただやはり性格は嫌いだったのでハレーなりに三成へ、その性格の悪さは如何なものかとオブラートに包んで諫言したところ、
「公爵領がこの有様になったのは上司が無能で怠惰だったからで、自分たちが無能だったのではないというのが、お前たちの主張なのだろう? なら俺につまらぬ諫言をしている暇があれば、働いて自らの言葉の正しさを証明したらどうだ? 過去のアガレス領はいざ知れず、今のアガレス領に怠惰な無能が座る権力の椅子はないぞ」
こういう反応である。これには(主君であるアナリーゼ含め)この性格さえもっと柔らかければと思わずにはおれなかった。
さてアガレス領は杜撰な管理のせいで滅茶苦茶になっていたが、一度経済が回り始めれば、富を生む土壌は整っている。
だが回り始めるのには時間がかかるのと、手っ取り早い人気取りのために、蔵を開放したり恩赦を出すなどの分かりやすいばら撒き政策を行い一時しのぎを行った。
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ、とは老子の格言であるが、教える前に餓死されたら仕方ないのである。
「三成さんの改革から時間がたって、これまで三成さんへの否定一色だった平民感情も収まって来たわね」
「ええ。民衆の間では三成殿は名奉行で、アナリーゼお嬢様は若き天才指導者ですよ」
ロート・ハレーがサングラスをきらりと輝かせながら言う。
平民たちは口々に公爵令嬢万歳と叫び、無名だった石田三成を抜擢した人を見る目を称える。清々しいまでの掌の大回転であった。
自分の死因の一つが革命によるギロチンであるアナリーゼにとってこの結果はホクホクである。
「ふふっ。自分の働きが認められるって嬉しいものよね」
「お前の権威は役に立ったが、お前は大して働いていないだろう。今は年若いからそれでいいが、成人すればお前自身で政治をみていかねばならんのだ。その時のためにもっと勉強しろ」
「はーい……」
私なりに頑張ったんだから、もうちょっと褒めてくれてもいいのに――――とは思うが、三成は基本的に厳しいことしか言わないので諦める。それにこれが三成なりの優しさでもあるのだ。
「さて。領内のばらまき政策と改革のどちらが民衆に支持されたかは分からんが、ともかくこれで一揆のほうも拳を振り下ろす先を失っただろう。無血降伏を迫るなら今だぞ」
「よーし、それじゃあ早速……」
家臣に命じて一揆勢に降伏勧告するよう命令しようとした直後、メイドのアスールが「失礼します」と入室してきた。
「お嬢様。たった今、軍を率いていたヘンリーさんが帰還なされました。一揆の指導者であったトレヴァー・アイアンモア村長が出頭したとのことです」
「ほ、本当!?」
唐突に始まった一揆は、終わるのもまた唐突であった。




