第58話 武王と英雄
カシムは張り出された投票数を呆然と見上げていた。だがどれだけ凝視しようと書かれた票数も、自分の名前の順番も変わりはしない。最多投票数を集めたアナリーゼ・アガレスの名前は最も大きくカシム・エリゴスの上にある。
「投票数は俺が二位……ヴォーティガンと一騎打ちならば……くそっ!」
開票前の下馬評ではヴォーティガン・リドルが一位で、自分とアナリーゼが僅差で順位がどうなるかは未知数というものだった。しかし蓋を開けてみれば、下馬評一位のヴォーティガンは第三位だ。アナリーゼが出馬せず、対抗馬がアルガ・マリーナであれば自分が勝っていただろう。
「どうするんだ、カシム?」
元会長のトーマスが聞いてくる。それでカシムもいつまでも悔しがってはいられないと頭を切り替えた。
「……苛立ちが皆無と言えばウソになります。アナリーゼが俺の味方をしてくれていれば、なんて女々しい事も考えてしまいます。ですが別にアナリーゼはルール違反を犯したわけではない。正々堂々と戦い、その結果の負けであれば納得するしかないでしょう」
生徒会選挙は戦争ではないのだ。敗北して勝者を貶めるのは最も恥ずべきことであると、誇り高い父親を持つカシムは弁えていた。
「だが『騎士部部長』と『生徒会長』の兼任って名声は得られなくなったのが惜しいな」
代替わりがあるのは生徒会だけではない。他の部活も時を同じくして新体制が発足するようになっている。カシムも先代部長と部員の満票賛成で騎士部部長に就任していた。この騎士部部長というキャリアは、将来軍人に進む者にとっては生徒会長以上の価値のあるものである。
「ええ、騎士部部長経験者は武官には受けがいいですが、文官にはいま一つですからね。だから生徒会長の地位が欲しかったのですが、なれなかったものは仕方ありません。手に入れられなかった生徒会長はすっぱり諦めて、騎士部部長に専念することとします」
「そうだな、焦る必要はねえ。本番はお前が卒業した後だ」
カシムはまだ若い。バエル王国中から慕われる英雄イスマイル・エリゴスの息子として既に軍部から絶大な名声があるが、それはどこまでいっても『イスマイルの息子』としてのものでしかない。
この王立学園を卒業し軍に入り、頭角を現す。そして自分の名声を『イスマイルの息子のカシム』から『英雄イスマイルを父に持つ新進気鋭の麒麟児カシム』にしなければならないのだ。
(十年……いや、五年あれば十分だ。必ず頭角を現してみせる!)
そうしてカシムは自分がこの決意を抱いだ根源となる――――エリゴス家の宿命と悲劇を思い起こした。
カシムの父であるイスマイル・エリゴスは戦争になると人間爆弾にされるというエリゴス家の宿命に最も抗った男だった。
抗ったといっても別に反乱を企てただとかそういうことではない。イスマイルは人間爆弾とされないためには、爆弾として運用するより有用な人間であると証明すればいいと考えそれを実践してきた。
王立学園に通うことが『特権』によって許されなかったものの自主学習でシリウス王立学園首席以上の学力を修め軍大学をトップの成績で卒業し、軍人となった。無論容易い道ではなかった。軍大学に入ることすら一苦労であったし、入ってからも自爆のエリゴス家出身ということもあって、立場上表だって迫害されるようなことはなかったが、同級生のほぼ全員に遠巻きにされる日々であった。
だがイスマイルはそれら全てに負けなかった。軍人となったイスマイルは誰よりも国を愛し、上官を敬い、部下を労り、民衆を慈しんだ。そうして声望を高めていったイスマイルを見出したのが、後に武王と渾名される若き日の前国王ガルヴァリス・バエルである。
「イスマイルよ、ソロモン大陸は経済力は北弱南強だが、軍事力は代々北強南弱だ。理由が分かるか?」
「騎兵です。バエル王国は土地こそ肥沃ですが、馬の産地は北方のアスモデウス王国に集中しております。またアスモデウス王国の最北には遊牧で生きる騎馬民族がおり、戦となればアスモデウス王国は彼等を投入してきます。バエル王国の騎兵と騎馬民族の騎兵の戦力比は1:10……。しかもこれは一対一での場合で、集団戦となれば更に差は開くでしょう」
この時代の最強の兵科は騎兵である。特に馬に乗りながら弓矢を放つ弓騎兵や、馬に乗りながら魔法を操る魔導騎兵は特に恐れられていた。
北方の生きることすら過酷な環境で鍛え抜かれた騎兵隊に、バエル王国の温暖で豊かな環境の兵士たちはまったく相手にならない。そのため冬時になるとアスモデウス王国が一方的に攻めてきて、バエル王国から食料や財産や労働力を略奪して去っていくのは、バエル王国にとって冬の風物詩と化していた。
「ではイスマイル、アスモデウス王国と互角に戦える騎兵を作るにはどうすればいい?」
試すような若き王の問いかけに、イスマイルは不興を買うことを恐れず、自分の考えを誠実に述べた。
「不可能です。アスモデウス王国とバエル王国ではそもそもの前提条件が異なります。アスモデウス王国の騎兵が精強なのは、アスモデウス王国の環境あってこそです。我が国でアスモデウス王国の真似をして騎兵隊を作ったとしても、出来上がるのはアスモデウス王国の猿真似をした下位互換に過ぎません」
イスマイルがそう言うと、ガルヴァリスは大笑いした。
「余に対してこうもきっぱり不可能と断言したのはお前が初めてだ! 九割の軍人はあれこれと最強の騎兵隊を作る方法論を語り、一割は言葉を濁した。バエル王国の騎兵隊は、決してアスモデウス王国の騎兵隊には勝てないという明白な答えが誰も言えん」
「恐れながら陛下、それは間違いでございます」
「なに?」
「私はアスモデウス王国より強い騎兵隊を作ることは不可能と申しましたが、勝てないとまで申してはおりません。兵の強さが齎すのは勝算であって勝利ではなく、勝算というものは敵に数倍する兵力の精鋭を揃え、名将に指揮権を委ね、地の利を得て、補給を万全にしてさえ決して100にはならないものです」
「ならバエル王国の騎兵隊が――いや、バエル王国の軍隊がアスモデウス王国の軍隊により高い勝算を得ることは可能か?」
「可能です。時間をかけさえすれば」
イスマイルがガルヴァリスによって抜擢されたのは、その翌日のことである。富国強兵政策を掲げたガルヴァリスは、強兵を若くして元帥に叙されたイスマイルに任せると、自身は宰相のピエール・リッシュモンと共に富国へ励んだ。日が経ちバエル王国が繁栄の最盛期を迎える頃には、もはやイスマイルのことを人間爆弾だと認識する者は一人もいなかった。そうしてアスモデウス王国軍と戦うのに十分な戦力が整ったと判断したガルヴァリスは、遂に念願の北方征伐へと打って出たのである。
戦神、武王と畏怖されたガルヴァリス自身とイスマイルに率いられるバエル王国軍は、これまでが嘘のようにアスモデウス王国相手に連戦連勝した。だが勝利の美酒とは麻薬である。当初バエル王国の戦略目標は、アスモデウス王国に大打撃を与え、侵略拠点を奪い有利な条件で講和するというものであった。だがバエル王国の余りにも派手な連戦連勝が将軍も兵士も、そして国王ですら酔わせてしまった。
「もしかしたら、このままの勢いでアスモデウス王国を滅ぼしてしまえるのではないか?」
「アスモデウス王国さえ滅ぼしてしまえば、残るは小国のベリアルのみ。滅ぼさぬ代わりに臣従を勧告すれば従うだろう」
「ガルヴァリス陛下こそ、未だかつて誰も成し遂げたことのないソロモン大陸の統一という大偉業を成し遂げられるのではないか!」
「おお、バエル王……否、ソロモン王万歳!!」
突然に目の前に現れたソロモン大陸統一という黄金のリンゴに、バエル王国中が手を伸ばした。最悪なことに国王であるガルヴァリスが最も熱狂的にである。戦略目標は国王含めた圧倒的賛成多数でアスモデウスの完全滅亡に変わった。
運命の女神というのは性格が悪い。それから勝利を重ねてアスモデウス王国の首都に後一歩まで迫ったところでガルヴァリスが突然陣中で病死してしまったことが、混迷とする情勢を更に混沌としたものに狂わせてしまった。
バエル王国の人間から圧倒的な人気を誇っていたガルヴァリスとイスマイルであったが、それを快く思わない者もいた。その筆頭格がガルヴァリスと共に富国政策を進めたピエール・リッシュモンである。だが彼の名誉のために言うと、ガルヴァリス王が武官偏重気味で自分の待遇が悪いから不満をもっていたわけではなかった。
「なにがソロモン大陸統一だ! 仮にアスモデウス王国を滅ぼして、ベリアル王国を臣従させ統一できたとして、それに一体どれだけの金がかかると思ってる! 統一なんていう絵に描いた餅に飛びつく陛下も、それを止めない将軍たちもみんな馬鹿だ!」
この頃、度重なる戦争によりバエル王国の財政は火の車となっており、リッシュモンは当初の戦略通りの講和を訴え続けていたのだ。だが統一という夢に惑わされてしまったガルヴァリスは一切聞き届けてはくれず、それに従う将軍たちはリッシュモンを敗北主義の売国奴と罵る始末。皮肉な事に軍部でリッシュモンの進言に理解を示すのは、最大の政敵であるイスマイルくらいであった。
そこにきて先王ガルヴァリスの急死である。偉大な王の死によって、動揺したバエル王国軍はアスモデウス王国軍の反撃に連戦連敗を重ねこれでは講和もままならない有様となってしまった。
だがここでピエール・リッシュモンは思いついてしまったのだ。戦争継続を唱える武断派の影響力を削ぎ落とし、アスモデウス王国の逆襲ムードを叩き潰し戦争を停戦させることのできる一石三鳥の名案を。
「ガルヴァリス陛下に次ぐ英雄たるイスマイル・エリゴスを、敵本陣に侵入させ自爆させる」
イスマイルはその高潔さから敵国であるアスモデウス王国の者たちからすら尊敬を集めている。またイスマイルの抗いの結果、バエル王国は二十年以上、エリゴス家の人間爆弾を行っていない。成功する公算は、高かった。誰もイスマイル・エリゴスを人間爆弾だなんて思っていないのだから。
「……この策を実行したら、俺は後世から外道扱いだろうな。だが例え悪名を背負っても国のためにはやらなきゃならん」
策を実行するにあたって先ずはウァレフォル公爵を仲間に引き入れた。人間の屑というべき男であったが金と権力は持っている。イスマイルを追い込むには彼の力が必要だった。そして次に王太子の早逝により急遽王位継承権一位となった王子オリヴァントの教育係であったドラコリス・ザ・ドゥルを引き込んだ。新たに王となるオリヴァントに勅命を出させるには彼の協力が必要だったからである。
こうして全ての根回しを終えたリッシュモンは国王にイスマイルを自爆させる勅命を出させることに成功する。
「えーとイスマイル・エリゴス、汝にアスモデウス王国への自爆命令を命じる。ちゃっちゃと自爆してきてね」
吹けば飛んでしまいそうなほど軽い口調で、オリヴァント四世はイスマイル・エリゴスの人生を踏み躙る重すぎる勅命を下した。
イスマイルは自爆などするより、元帥として生きて戦う方が絶対にバエル王国のためになってみせると涙ながらに語ったが、そもそも戦争に興味のないオリヴァント四世にはまるで届くことはなかった。王、宰相、公爵の三者からの圧力に晒され続け、遂にイスマイルは折れた。
「分かりました! 王がそれほどまでに私の死をお望みでしたら、見事に死んでご覧に入れましょう! そのかわり私の息子のカシムと娘のナディアは決して自爆などさせぬと、そして我がエリゴス家の特権の返上を許すと、お約束していただきたいっ!」
「ああ、分かったよ」
王は軽い調子で了承すると、イスマイルは家族に最期の別れを告げるためにエリゴス公爵領へ戻った。
「なぜですか! 誰よりも王国に尽くしてこられたお父様が、どうして自爆などしなければならないのです!」
家に戻るや娘のナディアが泣きながら飛びついてきて、
「父上! 父上はまだ王国に必要な御方のはず。自爆するなら、どうか俺にやらせてください。寿命なら俺の方が父上よりあります。俺の方が父上より威力の高い爆弾のはずだ」
ナディアより二つ年上のカシムは、合理的な理由を並べて自分が代わりになると言った。
「寿命のことを仰るなら、妹の私の方が長いです。私の方がお兄様より強い爆弾になれます。私にしてください」
「ふざけるな馬鹿野郎! 女の出る幕じゃない、引っ込んでいろ!」
「嫌です! お父様やお兄様が死にに行くのを黙って見送ることなんて耐えられません!」
「馬鹿かお前は! いつもは賢い癖にこんな時だけ馬鹿になるな! 命は一つなんだぞ! 大事にしろ!」
「さっきから馬鹿馬鹿と、馬鹿っていうほうが馬鹿なんです! お兄様の馬鹿! エリゴス家の後継者であるお兄様こそ命を大事にしてください!」
「自分の命以上に大切なものがあるんだよ!」
「私だってあります!」
言い争う我が子たちをイスマイルは抱きしめた。
「……まったく。私には過ぎた、馬鹿息子と馬鹿娘だ」
「ち、父上……?」
微笑みながらイスマイルは子供たちを魔法で眠らせる。そうして遺書を新たに書き直し、信頼する家臣に後を任せると自らは王の勅命を果たすため戦場へ赴いた。
作戦は成功しアスモデウス軍の中核を担っていた人材の多くと多数の精鋭を道連れにすることができた。特に主力の北方騎馬民族を壊滅させることが出来たのは大戦果であった。
「すまねぇなイスマイル……政治的にゃ敵対してたが、アンタのことは嫌いじゃなかった。だが必要があったんだ。詫びにならねえかもしれねえが、あの世のアンタが死んだ価値があったと思える結果を必ず出してやるよ」
この戦果を受け王国宰相ピエール・リッシュモンはアスモデウス王国との講和条約締結に向けて動き始めた。
だが戦争は終わらなかった。このタイミングで講和派のリーダーであるリッシュモンが自宅の階段で足を滑らせ転倒。打ちどころが悪く、あっさり帰らぬ人となってしまったのである。余りのタイミングの死に暗殺説が囁かれたが、完全に不幸な事故であった。
そして宰相亡き後、政治の実権を握ったのは教育係から次の宰相となったドラコリス・ザ・ドゥルである。
まず彼はリッシュモンに近い武官に反感をもっているが強い志を持つ少数の文官を排除し、単純に自分たちの権勢が削られたことで武官を嫌う大多数の文官を味方につけた。
その権力闘争により講和は有耶無耶となり、一年ほどだらだらとした戦争が続くと、一年後に漸くアスモデウス王国との停戦条約が結ばれた。その功績をドラコリス・ザ・ドゥルが独り占めにしたことは言うまでもない。
そして現在。
カシムは王立学園に飾られている国王オリヴァント四世の肖像画を見上げる。
(父上の愛したこの国の腐敗が根に届いて、どうしようもない。だから俺の手で生まれ変わらせたい……そういう思いはある)
だがそれ以上にカシムの脳裏に浮かぶのは妹の顔だった。
王は確かにもうエリゴス家を人間爆弾としないと約束した。しかし王がその約束を守るとは到底思えない。約束したことさえ忘れているだろう。
また戦争が起きて、戦況不利となれば王家は必ずエリゴス家に爆弾になることを強いるはずだ。そしてカシムを自爆させればナディアを、ナディアが自爆すればカシムを爆弾を生産するための家畜として飼い殺そうとするに違いない。
(それだけは――許すものか)
例えこの国の王を、弑逆することになったとしても。
更新が遅れてすみません。
実はTwitterのアカウントが乗っ取られてしましました。
暫く更新報告などは、新たに作った複垢で行います。




