第50話 漫画家と編集
ザリガニ釣り大会が終わった後、シリウス王立学園では、特に事件もない平和な時間が流れていた。逮捕された淫行教師の代わりの魔法薬の先生も、ギデオン・ストームという男性教師をダスクフェザー副校長が新しく雇ってきた。
最初、新しい先生による初授業を受けたアナリーゼ含む生徒たちは全員震撼した。なにせギデオン・ストームという先生はとんでもない強面だったのである。顔には生々しい火傷の痕が残り、鬼のようであった。一体どんな恐ろしい授業をするのかと警戒していたら、
「魔法薬は魔法とついているだけで実態は科学だ! 天才がやろうと凡才がやろうと、美男子がやろうと不細工がやろうと、男がやろうと女がやろうと、同じように調合すれば必ず同じ結果が出る! 教科書の調合の手順を自分なりにノートへ自分に分かりやすいよう記述したらレッツ調合!」
新任教師のギデオンは外見は良くても中身が終わっていたメリルと反対で、外見は物騒だが中身は名教師だった。
「顔は怖いけど授業は面白いし、分かりやすいわ」
アナリーゼの抱いた感想は、生徒たちの共通認識であっただろう。
「少なくとも人材登用能力は、前職者より優秀そうね、今の副校長は。」
わりと評価には厳しいヴェロニカも、ギデオンの授業(と彼を雇った副校長)は手放しに称賛した。生徒たちの間で魔法薬の授業がお気に入りの科目になったことは言うまでもない。
そうしてアナリーゼが平穏な学園生活をエンジョイしていたそんな時である。
学園の売店で見慣れた書籍がずらりと並んでいるのを目ざとく見つけた。
「これって」
書籍のタイトルは『水のほとり物語』。マルグリットが書いたあからさまに水滸伝な漫画である。そういえばヴィクトリスとヴェロニカの強い勧めもあって、学園の購買で漫画を売る許可を取り付けたことをアナリーゼは今更思い出した。
「友達の描いた漫画がこうして売られてるのを見るのはいいものね。一冊買ってこうかしら」
「お前は普通に取り寄せで全巻持っているだろう。無駄遣いをするな」
三成がごもっとも過ぎるツッコミを入れてきた。
「で、でもでもオタク根性としては布教用と保存用にもう一冊ずつ確保しておくのも悪くないかなって?」
「……保存用はともかく布教用というのは悪くないかもしれんな。売れ行きは芳しくないようだし」
「え!?」
そんな馬鹿な、と言いかけて気付いた。
水のほとり物語が学園の売店に並んでそれなりに時間が経過しているはずなのに、ずらりと並んでいるのは本の売れ行きが芳しくないという証明である。一縷の望みをかけてアナリーゼは手にとっていた漫画を見ると重版ではなく初版本だった。
「マルグリット~~~~!」
いてもたってもいられなくなったアナリーゼは、マルグリットのもとへ突撃した。
「い、いきなりどうされたんですか?」
「漫画の売れ行きが芳しくないって本当なの!?」
美術部で一人漫画を描いていたマルグリットが驚いてびくっと肩を震わす。だが暫くすると伏目がちに頷く。
「はい、本当です……」
「なぜ……なぜそんなに売れないの……あんなに面白いのに」
「きっと私の力不足です」
マルグリットは力なく言うが、アナリーゼにはとてもそうは思えなかった。
前世で様々な漫画を愛読していて、この世界の誰よりも漫画に目が肥えているという自負のあるアナリーゼにもマルグリットの漫画は名作に映ったのだ。だったら漫画というものにまったく目が肥えていないこの世界の人間には、名作を超えて人生の教典くらいになっても不思議ではないくらいに思っていた。
「……水のほとり物語は確かに面白いが、登場人物が味方だけで百八を超えて、漫画初心者にはとっつきにくいのかもしれん。漫画というまだ見ぬ未知の芸術に、とっつきにくい作風が合わされば……食わず嫌いも起きるだろう」
すると三成が冷静に何故売れないかの分析をした。
そこでアナリーゼは自分の間違いを悟る。目が肥えた自分でも名作に思えたのではなく、目が肥えた自分だからこそ名作として理解できたのではないかという可能性に。
事実ヴェロニカにしてもヴィクトリスにしても、水のほとり物語のファンになったのは新しいものを拒否感なく受け入れることのできる、ある種特殊な読者たちだった。しかしより大勢の人に漫画という新しい概念を受け容れてもらうには、極々平凡な感性の大衆に受け入れられる作品でなければならないのだ。
「三成さん、なにかアイディアはないの?」
「水のほとり物語は完結が近いことだし、今から軌道修正しては物語全体が台無しになるだけだ。なら水のほとり物語ではなく、次回作の作風を変えてみるというのはどうだ?」
「違うジャンルへのチャレンジですか! でも例えばどのようなものがいいでしょう?」
「そうだな……。正義の太閤殿下が蘇り、悪の家康を成敗するというもしもの話などは……」
「却下よ。余計にとっつきにくい作風にしてどうするの」
心を鬼にしてアナリーゼが言うと、三成が露骨にしょぼんとした。
アナリーゼは額に指を当てて、前世の記憶を引っ張り出す。娯楽大飽和時代でありとあらゆるジャンルの漫画作品が溢れていた現代日本。果たしてその中で最も大衆に受けるジャンルとはなんだろうか。
(恋愛、バトル、歴史、釣り、野球、SF、ミステリー、冒険、遊戯王……あらゆる時代のあらゆる雑誌にも必ず一つは存在するジャンルといえば……)
そして遂にアナリーゼは一つの答えに辿り着いた。
「ギャグよ!!」
「ぎゃ、ぎゃぐ?」
そうギャグ漫画だ。漫画のジャンルにも流行り廃りはあるが、何時如何なる時代においてもギャグ漫画(とエロ漫画)がなくなることはなかった。マルグリットにエロ漫画を描かせるわけにはいかないので、ギャグ一択だろう。
「お笑いって意味よ! 思えば水のほとり物語は面白かったけど、笑えるギャグシーンが一つもなかったのがウィークポイント! だからここはギャグオンリーのギャグ漫画を出してみるのはどう?」
「わ、分かりました! じゃあ挑戦してみますね!」
「意気込むのはいいが、優れた笑いには優れた感覚がいるぞ。マルグリットにそういう才覚はあるのか?」
「そ、そうねえ。じゃあマルグリット、なにか面白いこと言ってみてくれる?」
「ええ!」
アナリーゼの突然の無茶ぶりにマルグリットはうんうんと唸ること数分。なにか面白いことを思いついたのか目を輝かせて口を開く。
「屋根が吹っ飛んだ……主人公のリアクションがや~ね~。ふふっ」
「……………………」
「……………………」
マルグリットは一人で笑い転げているが、アナリーゼと三成は絶対零度の冷凍庫の中であった。マルグリットには笑いのセンスが壊滅的にないということを、アナリーゼは認めざるを得なかった。
「この作戦は失敗だ」
「読者の声に耳を傾ければ、必ずしも良い作品になるわけではない。時に作者は読者の声に逆らう覚悟をもって、物語を紡がなければならないのよ。そして私には編集者としての才能はない。マルグリットはそのことを私に教えてくれたわ」
本人からしたら渾身の爆笑ギャグを、三成とアナリーゼの二人に酷評されたマルグリットはショックで項垂れてしまう。
「やはり……ただの趣味として描いてた漫画で、生計をたてていくなんて、烏滸がましい夢だったのでしょうか」
「そ、そんなことはないわ! そ、そうだわ! ここは……えーと他の人の意見を聞いてみましょうよ。例えば」
この時間に学園にいそうなのはヴォーティガンとカシム、あとは教師陣くらいだろう。
正直、誰も漫画に的確なアドバイスができる人間のようには思えないが、瓢箪から駒が出ることもある。アナリーゼはその中から一番話しやすい人間のところへ向かった。
生徒会室では仕事を一段落させたカシムが、のどかなティータイムを楽しんでいた。もっともカップに注がれているのは紅茶ではなくオレンジジュースである。
自分でも子供っぽいとは自覚しているが、オレンジジュースは子供の頃からのカシムの大好物なのだった。
「うーん、やはりオレンジジュースはフルカス辺境伯領産に限るな。学園の一室で読書を楽しみながら一人で好きなオレンジジュースを味わう。これほどの贅沢が他にあるだろうか? いや、存在しない。至福の時だ」
その時、生徒会室のドアが勢いよく開かれた。
「カシム副会長! 知恵を、知恵を貸してくださいプリーズヘルプミー!」
「ぶぅーー!」
カシムの至福の時は終わった。
「ど、どうしたんだアナリーゼ。藪から棒に」
「かくかくしかじかでマルグリットの漫画のことで行き詰まってるんです! なんで力を貸してください!」
かくかくしかじかを纏めると、マルグリットの執筆した水のほとり物語の売れ行きが芳しくないから、次回作はギャグ漫画に挑戦しようとしたら、マルグリットにギャグセンスがないという話だった。
「貸せる知恵があるならいくらでも貸すが、俺も物語については素人。力になれるとは思えんぞ?」
「それでも構わぬ」
アナリーゼに加えて三成からも頼まれたら、カシムとしてもない知恵を絞る他ない。
「ギャグ漫画が駄目なのはマルグリットという子がギャグというものをよく知らなかったからなのだろう? だったらお笑いでも見に行けば、ギャグセンスが磨かれて面白いギャグ漫画が描けるようになったりするんじゃないか? 知らんけど」
「っ!! さすがカシム副会長! その手があったわ!」
カシムは素人として適当な助言をしただけのつもりだったのだが、アナリーゼはなにやら凄い感激している様子だった。
ありがとうございます、と言って生徒会室から走り去っていくアナリーゼと三成。その後ろ姿を見送ったカシムは、
「まったく騒がしい後輩だ」
友達のために真剣になれる少女を好ましく思いつつ、本を片手にオレンジジュースを楽しむ至福の時間を再開する。手に持っている本のタイトルを『水のほとり物語』といった。




