第49話 日常とイベント
ザリガニ釣り大会当日。
シリウス王立学園の生徒たちは王都シリウスから最も近い田んぼに集合していた。事情を知らない農民たちは、なぜシリウス王立学園の貴族やエリートたちがこんなところに集結しているのかと興味と怪訝さが半々の視線を向けていた。
「ではザリガニ釣り大会を始める前に、私から挨拶をば」
ダスクフェザー副校長が生徒たちの前で挨拶を始める。
いなくなった前副校長の挨拶は平均的な長さ――――要するに普通に長かったのだが、果たして新しい副校長はどうなるのか。
「そもそも狩猟というのは古来より貴族の嗜みとして好まれてきたスポーツであり……」
残念ながら副校長は学校の体制を変革したが、挨拶の長さまでは変革してくれはしなかったらしい。面白くもない話が十数分ほど続いて、漸く副校長の話は終わった。
「アナリーゼ、ヴェロニカ、三成。折角の学園生活最初の行事なんだ。生徒会としての仕事は俺たちでやっておくから、存分に釣りを楽しんでおいで」
副校長の話が終わった後、カシムがアナリーゼ達に言った。
「え、でも大丈夫なんですか? 生徒会が発起人のイベントなんだし私たちもお手伝いしたほうが……」
「手伝いなら事前準備に十分頑張ってくれたさ」
そういうことならば本心では大会にバリバリ参加したかったので、アナリーゼはカシムの好意を有難く受け取ることにした。
そして何気なくヴェロニカの方を見たアナリーゼは、全身に電流が奔る衝撃を浴びる。
ヴェロニカは腕を組んで悩んでいたのだ。傍若無人なようでいて根は善良なのがヴェロニカである。きっとヴェロニカの脳内には、
①カシムの好意に甘える
②やはりカシムを手伝う
というような乙女ゲームでお馴染みの選択肢が浮かんでいるのだろう。
そして②を選べば、カシムルートへ入るフラグがまた一つ増えるのだ。
となるとここはアナリーゼが強引にでも第三の選択肢を増やすしかない。アナリーゼはヴェロニカの手を掴んだ。
「へ?」
「カシム副会長の気遣いを無下にしてはいけないわ! ヴェロニカ! 夕食のデザートのイチゴプリンをかけて勝負よ!」
そう、第三の選択肢は『アナリーゼと夕飯のデザートを賭けて全力勝負』だ。ヴェロニカが顔を赤くして叫んだ。
「ちょ、引っ張らないでよ! ちゃんと行くから!」
「ふふ、ヴェロニカがいくら天才でも勝負は経験が第一。この戦い、私の勝利よ!」
「経験が第一ね、甘いわねアンタも」
「ど、どういうこと?」
「ザリガニ釣り大会をやると決まってから二週間も時間があったのよ。練習をやる時間くらい簡単にとれたわ」
「な!?」
アナリーゼはヴェロニカのことを侮っていた。そう、ヴェロニカ・ウァレフォルは単なる才能に甘えた努力嫌いの天才ではない。才能にかまけず必要な下準備と努力は欠かさない英雄なのだ。
その英雄の器はこのザリガニ釣り大会においても発揮される。アナリーゼは夕飯のデザートのイチゴプリンにヴェロニカの邪悪な手が伸びていく様を幻視した。
「上等じゃない! 二週間ぽっちの付け焼刃がどれだけのものか見せてもらうわ! そしてヴェロニカのプリンを貰うのは私よ!」
すっかり乙女ゲームの恋愛フラグ云々を忘れたアナリーゼは、ヴェロニカに宣戦布告した。
そんなアナリーゼとヴェロニカの微笑ましいやり取りを、離れた位置から眺めるのは二人の従者であるヘンリー、アスール、そしてバジル・フェニックスの三人だった。
バジルは不思議そうな目をして言う。
「最近うちのヴェロニカと、お前さんのところのザリガニ姫様、仲良いよな。昔を知る身としちゃ信じられねえぜ」
ヴェロニカの従者としてパーティーにも参加したことのあるバジルは、嘗てのアナリーゼとヴェロニカがどういう関係なのかも知っていた。以前の二人は今のヴェロニカとミランダの関係を十倍険悪にして殺意を少々ブレンドしたようなものだった。
アナリーゼが転生者であるなんていう途轍もない真実を知らないバジルには、今の単なる仲のいい友人同士にしか見えない二人がいまいち信じられない。
「バエル王国二大公爵の次期当主……いや実質当主同士が仲良いのはいいことなんじゃない?」
「ええ。悪いより良いのは間違いないです」
ヘンリーとアスールがそう言うと、それもそうだなとバジルも納得する。
「さーて。参加者じゃなくて暇な従者の僕は、ぶらぶらしてくるよ。アスール、アナリーゼ様の護衛は任せた」
「あ! 執事長なのにサボるなんてズルいですよ!」
文句を言うアスール。だがヘンリーは手をひらひらと振って、
「これも大事な仕事だよ。じゃ」
護衛をアスール一人に押し付けると、ヘンリーはぶらぶらとザリガニ釣り大会に参加している生徒たちを見て回った。
大事な仕事、というのはサボる建前ではない。ザリガニ釣り大会を通して将来の爵位持ちの当主や高級軍人や高級官僚たちの為人を探る情報収集をするのだ。こういう仕事は頭より腕力なアスールには任せられない。仕事には適材適所というものがあるのだ。
そうして大会を見て回っていると、一際目立つ参加者を見つけた。他の参加者はペア参加しているにもかかわらず、一人でポツンと田んぼを前にザリガニ釣りしている姿はなんとも言えない哀愁がある。
「あれは入学式の後のパーティーでヴェロニカ嬢にゲロ吐かされたミランダ・ラウム伯爵令嬢じゃないか」
不憫に思ったであろう教師や同級生がミランダに「一緒にやろう」と話しかけるが、ミランダは激怒してそれを追い払っていく。
学年首席で伯爵令嬢とくれば、ペアを組みたいという人間は幾らでもいるだろうに、相手に求めるハードルを高く設定し過ぎた挙句に自爆して、当日になっても意地を張った結果がこの様なのだろう。
(……見なかったことにしよう)
流石に居た堪れなくなったのでヘンリーは、ミランダ・ラウムの寂しい背中を記憶から抹消して次へ回った。
「殿下殿下! 見て下さい、私が開発したマイ竿です! 一度に沢山のザリガニを釣れるんですよ!」
「やるなぁマルグリット……! この竿で優勝はいただきだ!」
(あのバカップルはほっといていいや)
ヴィクトリスとマルグリットの近くを通りかかったヘンリーは、そう英断を下して通り過ぎていった。
(さーてと我らがお嬢様の最大のライバルはどうかなっと)
ライバルとは言うまでもなくヴェロニカのことである。
どうやらヴェロニカはディアーヌとペアを組んだようだった。
「ディア! 私の夕食のプリンがかかってるんだから、絶対に三成ペアに勝つわよ!」
「ヴェロニカらしくない、何を温いことを言ってるんです。私の大好きなヴェロニカ・ウァレフォルなら目指すは天下一! 優勝のみでしょう!」
「……!」
雷鳴を受けたようにカッと目を見開くヴェロニカ。
「そうだったわ、父が死んだあの日から、ぬるま湯の日々が続いて、忘れてた。私の本質を! ひたすら上へ上へ目指してこその私……ヴェロニカよ! この勝負、勝つわよディア!」
「合点承知の助♪」
(なんでこんな与太イベントで無駄に覚醒してるんだよ)
ヘンリーは覇王と魔王の最強コンビに心の中でそう突っ込んだ。
ちなみに本来のゲームではヴェロニカの攻略キャラの一人であるヘンリーだったが、ヴェロニカに強い興味を惹かれる切っ掛けである幼馴染のユメリアの死がないため、ヴェロニカに対しては『ユメリアとなんか声似てるなー』程度の認識であった。
(さてさて……おや、あれは三成殿が要警戒人物と言っていた風紀委員長のヴォーティガンと、魔法実技教諭のロウィーナ……だったかな)
これまで見たペアは(ボッチだったミランダも含めて)ザリガニ釣りそのものはスムーズにやっていたが、ヴォーティガンとロウィーナはどうやら苦戦しているようだった。というより苦戦しているロウィーナをヴォーティガンが世話を焼いている構図だった。
「うーん、私ってば運痴なので、釣りとかよくできません! 魔法使っちゃ駄目なんですか?」
「運動音痴!! その言葉は縮めてはいけません、先生!!」
ヴォーティガンがまるで母親のようにロウィーナに説教する。完全に先生と教師の立場は逆転していた。
「それにほら。病弱で知られるハルファスト嬢もあの通り沢山釣っていますし、運動ができないとか関係ありませんよ。ほら、お手本を見せるので、真似してやってみてください。ぽいっとして、きゅっです」
「ぽいっとして、きゅっ……釣れました! なんだ簡単じゃないですか!」
「お見事です、ロウィーナ先生。さ、まだ追いつけますから優勝目指して頑張りましょう」
「ふふっ」
「どうしました先生?」
「なんでもありませーん。集中集中♪」
二人の様子を眺めていたヘンリーは一旦大会から離れると、壁の代わりに木を殴りつけながら叫んだ。
「畜生、どっちが先生でどっちが生徒か分かりゃしねぇ。イチャイチャしやがって……僕もユメリアがいればなぁ……畜生……」
優秀な執事であるヘンリーだが年頃の男なのである。他人の男女がイチャイチャする様を見せられたら苛々が募る。自分が現在プチ遠距離中で中々意中の子と会えないので猶更であった。
「おい口調が変わってんぞ」
ヘンリーに話しかけてきたのはバジルだった。ヘンリーが大会会場から離れていくのを見て、気になってついてきたらしい。
「人が長期出張で遠距離してるのに、あんなの見せられたら口調の一つや二つ変わってもしょーがないと思いますよボカァ!!」
「気持ちは分かるが……しかしロウィーナって先生の目は年頃の恋に恋する乙女って感じだが、ヴォーティガンって奴が魔女っ娘先生に向ける目はなんつーか……」
「どうしたんだ?」
「いや、気のせいだろう。なんでもねえ」
バジルが抱いた疑問は、誰にも話されることなく彼自身の胸に消えていった。
吐き出すものを吐き出して嫉妬心を解消したヘンリーは大会会場へ戻ると、いきなり聞きなれた声が耳に入ってきた。
「二十一匹目、フィッシュ!! ……こんな感じか?」
「足りないわ! もっと心を込めて、肺の中の空気を破壊光線に変換するように!」
「エクセレント! でもあと一歩踏み込めるはず! アーチャーになりきるの!」
「二十三匹目! フィィィィィィィィッシュ!!」
「それよ!」
それはヘンリーの主とその家臣の二人組だった。
三成はザリガニを釣る度に妙な雄叫びをあげ、アナリーゼ自身もザリガニを釣る度に謎の雄叫びをあげている。
「毎日楽しそうだな、お前んところの主従」
「…………ま、退屈はしないよ」
ヘンリー・バトラーはアナリーゼ・アガレスには忠誠を誓っている。彼女がユメリアのために骨を折ってくれた時から、それは一生のものになった。そしてヘンリー・バトラーは石田三成を嫌っている。言動が一々癇に障るからだ。だが一方で石田三成という男に感謝の念を持っているし尊敬もしていた。
だからそんな二人が羽目を外して楽しそうにしているのは、従者として中々悪くない光景であった。
そしてタイムリミットがきて楽しいザリガニ釣り大会は終了した。
直ぐに教師と生徒会が全員の釣ったザリガニの数を集計していく。そして集計が終わったのだろう。カシム・エリゴスが壇上に上がった。
「集計の結果、第一回ザリガニ釣り大会優勝は――――ヴィクトリス殿下とマルグリット嬢のペア!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
王子とその婚約者の優勝に爆発的な歓声が上がった。
「やったなマルグリット! 練習の日々と開発した竿の成果だ!」
「何を仰いますか。殿下のセンスがあったから竿の性能を活かせたんです」
互いを称え合う仲睦まじい様子に、全員が暖かい拍手を送った。
二人のキューピットであるアナリーゼも力いっぱいに拍手をした。
「まさかあれほど腕を上げているとは。悔しいけど完敗だわ」
ほっこりした気分に浸っていると、後ろからちょんちょんと背中を突かれる。ふり帰るとにんまり笑ったヴェロニカがいた。
「どうしたのヴェロニカ?」
するとヴェロニカは張り出された紙を指さす。そこには優勝:ヴィクトリス&マルグリットの次に第二位:ヴェロニカ&ディアーヌとあり、その直ぐ下に第三位:アナリーゼ&三成とあった。
「優勝はできなかったけど、一騎打ちじゃ私の勝ちね! 今日の夕食のプリンはいただくわよ!」
「い、いやぁあああああああああああああああああああああ!」
アナリーゼ(の今晩の夕食)は破滅した。




