第5話 怠惰な領主と勤勉宰相
意を決して訪れたアガレス家の本邸に着いたアナリーゼは呆然とした。
アナリーゼがこれまで過ごしていた別邸も大豪邸と呼べるものだったが、本邸はその比ではない。これはもはや豪邸というよりお城だった。それも普通の城ではなく宮殿と呼ぶのが適切な絢爛な城だ。
「こ、これがアガレス本邸……。作るのにどれくらいのお金かかったのかしら?」
「アガレス家は二大公爵の一角をなす大貴族なのだろう? 立派な城くらい持たねば格好がつかん。ボロ小屋に住まう城主なぞに民は敬意を払いはしないからな。その点でいえばこの宮殿は素晴らしい」
そう言ったあとで三成は「まあ太閤殿下の大阪城と比べれば劣るがな」と珍しく笑いながらマウントをとっていた。
叶うことならアナリーゼも大坂の陣以前の豪華絢爛な大阪城を目にしたいものである。公爵令嬢としての権力をフルに使えば、三成の証言をもとに大阪城を再現できるだろうか、なんて益体もないことを考える。
そこでふと気付いた。
「あれ? そういえばなんで私って別邸に住んでたのかしら?」
「知らん」
同じ異世界からやってきた三成が知るはずもない。だとすれば訪ねるべき相手は一人だ。
「へ、ヘンリー! ちょ~~~~っとど忘れしちゃったんだけど、私はなんで別邸で暮らしてたの!? 私、一人娘よね?」
「何をおっしゃっているのですかお嬢様」
ヘンリーが困惑した顔をする。
「アガレス公爵家には十歳を超えたら親元を離れて暮らすべしという家訓があり、公爵閣下は泣く泣くお嬢様を別邸へお移しになったのではありませんか」
「そ、そうだったわねぇオホホホホ!」
適当に誤魔化すがヘンリーの目からは疑惑の色が残ったままだ。いきなり主が知っていなければおかしい、知らないほうがどうかしているようなことを訪ねてきたのだから無理もない。
「若い頃から親元から離すことで、自律の精神を養うのか。それはいい。だが親の目から届かなくなったことで、逆に好き放題になることもあるのではないか?」
「っ! アンタ、なんてことを! も、申し訳ありませんお嬢様! 我々一同、決してそのようなことは」
「俺は別にアナリーゼのことを言ったのではないのだが」
語るに落ちるとはこのことだろう。ヘンリーの表情がどんどん蒼褪めていく。
「…………かまをかけたのか?」
「え?」
ヘンリーの敵意のこもった言葉にも三成はキョトンとしていた。三成も素朴な感想を言っただけのつもりが、まるでかまをかけたみたいになったらしい。
しかしこの分では転生する前のアナリーゼはよっぽど我儘放題していたようだ。心の中でアナリーゼは涙を流した。
「ご、ごめんなさいねヘンリー! これまで沢山色々な我儘(私の記憶にございません)を言ってしまって! 今後はなるべく清く正しく、たまにだらだら生きていくつもりだから! 私のこと殺さないでね?」
「こ、殺す!? な、なにを仰ってるんですかお嬢様! 私がそのようなことするはずがないじゃありませんか!!」
「殺さない? 殺さないって言ったわね!? 言質とったわ! 約束よ! プロミス!!」
「は、はい! お約束いたしますとも! 考えることすらいたしません!」
小さくガッツポーズする。こんなことで死亡フラグを折れたとは思えないが、攻略対象という名の死神から「殺さない」という言葉を引き出せたのは、精神的に大きい。
これだけで今日ここに来た甲斐があったというものだ。
そんなことを考えながらアナリーゼは公爵邸の門を潜った。
悪役令嬢アナリーゼ・アガレスの父親というから、最悪とんでもない極悪人を想像していたのだが、アガレス公オルバートは公園のベンチで鳩に餌でもあげていそうなのんびりとした雰囲気の人だった。年齢はまだ四十代前半の筈だが、六十代後半くらいに見える。
ワインテーブルには(異世界なので当たり前だが)見たことも聞いたこともない銘柄のワインが置かれていた。まだ昼だというのに酒を飲んでいたらしい。
「お久しぶりです。えーと……お父様?」
転生前のアナリーゼが父親をどう呼んでいたのか分からないので、一番無難なものをチョイスする。
「どうしたのだ、疑問形で?」
「な、なんでもありません! えーと……お父様の背がちょっと伸びたような気がして。あはは」
オルバートの反応から呼び方は間違っていなかったようでほっと一安心する。
三成が鋭い目で睨んできた。分かっている、と目配せする。本番はこれからだ。
「それでアナ。今日はいきなり本邸にきてどうしたんだい? なんでも大事な話があるということだったが」
「それがちょこっと重大なお話がありまして」
「ちょこっと重大とは矛盾しているような気もするが、まあ良かろう。話してみなさい」
ツマミのチーズを頬張りながらオルバートが言う。
どうでもいいが大事な話があると言っておきながら、事前に酒を飲んでいるとは如何なものなのだろうか。三成が厳しい口調で批判した理由が垣間見えたような気がした。
「こ、こほん! えーと実は私、気付いちゃったんですよ! ここアガレス領は経済力と治安があかん感じになってて、こうどげんかせんといかんって感じなんです!」
身振り手振りも合わせてアナリーゼは必死こいて父に、三成から聞いたアガレス領の現状を説明する。
だが現代日本の女子高生(成績悪い)のアナリーゼは、政治に疎くプレゼン能力もなかった。
「アナ。政治に興味をもったのは偉いが、そういうことはお父様に任せておきなさい」
そんな残念な説明では無気力と評されたオルバートすら頷かせることはできない。アナリーゼの説得は大失敗に終わった。
だがそれで絶望するアナリーゼではない。何故ならアナリーゼの隣には頼りになる男がいるのだから。
「うぅ……ヘルプミー三成さん!」
「言葉の意味は分からんが、助けを求められたのは分かった」
バトンタッチだ。アナリーゼに代わって三成がオルバートの前へ進み出る。
「誰だこの若造は? お前が新しく雇った使用人か何かか?」
「私がアガレス家の超魔法『異世界召喚』で呼び出した救いのヒーロー! 石田三成さんです! あっちの世界では五奉行の一人として、天下を差配していたそりゃもうグレートな人なんですよ!」
「な……なんということを……。私の一人娘ともあろう者が、寿命を減らす超魔法を使うなど、なにをやっているのだ!」
アガレス家の当主であるオルバートも異世界召喚のことは当然知っているので、あっさりとアナリーゼの言うことを信じてくれた。
オルバートは座ったままアナリーゼに怒鳴り声をあげようとして、
「待たれよ公爵。この三成、召喚されて以来、ある程度はこの国とアガレス公爵家の歴史について調べさせて頂いた。どうやら過去のアガレス公も多くの苦難を、異世界より招いた者の力を受け、解決してきたようだ」
守るように割って入った三成に制止された。
「なぜ分かった? あの魔法は王家すら知らぬ、我が一族にのみ伝わる秘伝。アガレスの歴史を辿ったところで分かるはずがない」
「俺の知る人物の名が、何度か歴史書に登場していた。例えば十代前のアガレス公の家臣として働いた張飛……」
「ぶふぉーーーーーー!?」
噴き出したアナリーゼに三成とオルバートの視線が突き刺さる。
仕方ないだろう。張飛なんてとんでもないビッグネームを聞いてしまったら、誰だってそんな反応をする。
「この張飛というのは俺の隣の国で、遥か昔に名を轟かせた豪傑だ。他にもいくつか数は少ないが知っている名前があった。歴代の公爵は苦難を打開するために、この魔法を使ってきたのだろう。今回もそういうことだ」
「召喚しても役に立たん者もいたそうだがな。いや役に立たんだけならまだマシだ。酷い時は我が家を裏切って、他家についた者もいた」
「お父様! 三成さんは裏切るどころか、とんでもない忠義者で有名だったんです!」
「それもこいつの自称だろう。異世界からきたこいつが、異世界でどういう人物だったかなんて、我々に分かるものか」
「――――!」
三成を庇ったアナリーゼだが父の返しに黙り込む。
そう、三成が豊臣秀吉の忠臣で官僚として活躍したことなど、異世界の人間が知っている訳がない。幾らなんでも転生者であることを明かせない以上、アナリーゼにも三成の経歴が真実であると強弁することは不可能だった。
どうしようかと助けを求めるように三成を見る。だが三成はまったく動じた様子もなく平然としていた。
――――案ずるな。
声はなかったが、そう言われたような気がした。
「この世界の人間が、石田三成がどういう人間か知らないのは当然のこと。だが公爵閣下は領主として知っていて然るべきことを知らぬようですな」
「な、なんだと?」
「閣下。この世界から来たばかりの俺でも一目瞭然なほどに、アガレス領は財政・治安・軍事の全てが破綻寸前にあります。このままでは遠からずアガレス領は破綻するでしょう」
「――――!」
こんなことを真っ向から言われたら、プライドの高い人間は激怒するものだ。
だが幸いにしてオルバートは無能で怠惰であるが、性格は温和で怒ること少ない人物で、更に三成が異世界人であることから怒りを抑えた。
「滅びるとは、どういうことだ? 税金も年貢も、変わらず入ってきているぞ」
「そうか……税は『変わって』いないのか。ますます酷い。アナリーゼ、筆と大きな紙を」
「黒板とチョークならあると思うわ!」
アナリーゼは部屋の外に控えていたメイドに、黒板とチョークを持ってくるようお願いする。
公爵家のメイドたちは流石にテキパキとしていて、頼んで数分で黒板とチョークが部屋に運び込まれてきた。
「ではまず税とは~~~~~~~」
三成は具体的な数値を黒板に書きつつ、今後の予想を織り交ぜながらアガレス領が如何に崖っぷちなのかを説明する。
大天才の秀吉の腹心として、天下を差配していた三成の説明は、言い方は冷然としていたが、現代女子高生でも理解できるくらい分かりやすかった。
これならばオルバート・アガレスもちゃんと窮状を理解するだろう。期待を込めて父を見たアナリーゼは愕然とした。
「ふわぁ~あ」
欠伸をしていたのだ。退屈そうに。
オルバート・アガレスは温厚な人間だ。今のアナリーゼは知らぬことだが、ここ数年間でオルバートが怒ったのは、今さっき娘が超魔法で寿命を使ったと知った時くらいだ。平民の侍従がミスをしても、叱責することはあっても怒ることはない。しかし彼は貴族として最低の欠点をもっていた。面倒臭がりな上で無責任なのである。
「うーん、まあ公爵領が不味いのは分かった。じゃあえーと三成だったか」
「はっ」
「流石に根無し草の君をいきなり代官に抜擢できないから、アナリーゼを私の全権代理としよう。君は代理のアナリーゼの更に代理をすればいい。まあなんだ、後は好きにしなさい」
「――――――!」
一瞬。ほんの一瞬だけ、三成が鬼の形相をしたのが見えた。直ぐに能面のような無表情となったが。
「では二人とも下がり給え」
「……………………承知いたした」
「はい。ありがとうございます、お父様」
アナリーゼは三成の後に深々と頭を下げる。
表情こそ平静を保っていたが三成の両手は鬱血せんばかりに握りしめられていた。




