第46話 公爵子息と平民王子
カシムは風紀委員室にいるヴォーティガンを訪ねていた。
生徒会が学園の自治組織なら、風紀委員は学園の自警組織である。生徒会と風紀委員が対立すると学園内の秩序がままならなくなるので、代々生徒会と風紀委員は良好な関係を築いていた。歴代の例に漏れることなく今の生徒会と風紀委員の関係も良好である。カシム自身、風紀委員長のヴォーティガンとは親友といっていい間柄だ。
だが一方でヴォーティガンはカシムが次の生徒会長になる上で最大の仮想敵でもある。シリウス王立学園で生徒会長を勤めあげることは、バエル王国において学生が手にしうる最高の名誉の一つだ。将来のことを見越せば、シリウス王立学園生徒会長を勤めあげたという実績は是非とも確保しておきたいものであった。
なので賭博行為撲滅という『功績』は自分たち生徒会で独占したいところだったのだが、アナリーゼとヴェロニカに確実性を期すために風紀委員にも協力を仰ぐほうがいいという正論を主張されてしまった以上、そうせざるを得なかった。
強硬に反対でもしてアナリーゼ達の反感を買った結果、協力を断られることになるよりは遥かにマシである。
「学内賭博を禁じる校則を成立させて、副校長を追い落とすって?」
カシムの提案をヴォーティガンは興味深そうに聞いていた。
ヴォーティガン以外の風紀委員は其々別の仕事をしているようだったが、じっとこちらに聞き耳を立てているのが気配で分かった。
「そうだ、生徒会に協力して欲しい」
「アガレスとウァレフォルの支持があれば生徒会だけでも十分だと思うが?」
「より確実性を上げるためだ」
「ふっ、そういうことにしておこうか」
この学園で誰よりも頭の良いヴォーティガンのことだ。カシムが内心嫌々協力を仰ぎに来たことくらいは察しているだろう。表情に同情の色があるのがその証拠だ。
「他ならぬ君の頼みだ。証拠集めでも票の取り纏めでも喜んで協力しよう」
「……ありがとう、礼を言う。ヴォーティガンが力を貸してくれるなら、この校則は通ったも同然だ。だが証拠の方は既に押さえてあるから、主に平民出身者や下級貴族出身者の票の取り纏めだけ頼む」
「ああ、今回は君達のサポートに徹するさ」
ここで功績を横取りしようと出しゃばらず、一枚噛む程度で抑えるところがヴォーティガンの嫌らしさだった。
「副校長が追い落とされたら、順当に考えれば次の副校長は教頭か?」
「ああ、既に話はついている」
「教頭は確か下級貴族出身だったな?」
「そうだ。カリス・ダスクフェザー……下級貴族出身で父の部下として将官にまで出世した方だ。副校長のような小悪党より遥かに副校長の椅子に相応しい人だよ。不満か?」
カシムの父であるイスマイル・エリゴスの部下だったカリス・ダスクフェザーは、カシムの側の人間である。そんな彼女が副校長になれば生徒会……というよりカシムの権限はより強くなることだろう。ヴォーティガンとしては余り歓迎できることではないはずだが、
「いや、いいんじゃないか? 外部から招いて、変なのが副校長になるよりマシさ」
あっさりとヴォーティガンはカリス・ダスクフェザーの副校長就任を認めた。
「……そうか、じゃあ俺はこのあたりで失礼する。なあヴォーティガン」
「なんだ?」
立ち上がり風紀委員室を出ようとしたカシムは、未練から口を開いた。
「次の生徒会選挙、立候補するのを止めて俺を支持してくれないか?」
「またその話か。前に断ったはずだぞ」
「俺はこの学園を卒業したら、軍に入る。そしてこの国を立て直してみせる」
「この国を立て直したいなら進路を間違えていないか? 政治を変えたいなら官僚を目指すべきだ」
「いいや"軍隊"で間違っていないさ」
バエル王国を牛耳るドラコリス・ザ・ドゥルを排除するには、不正の証拠を集めて失脚させるだとか、王に忠言してドラコリスを免職させるという正攻法は通用しない。例えドラコリスの悪事を国王のオリヴァント四世に知らせたとしても、オリヴァント四世が悪事の証拠を却下にして無罪にしてしまうからだ。
過去、国の気骨ある大臣が自らの喉に剣を突き刺し奏上した、文字通りの命懸けの上奏文を縁起が悪そうという理由で読むことすらなかった事件もある。
あの事件でカシム・エリゴスもまたオリヴァント四世に対する忠誠も期待も雲散霧消させた。バエル王国を立て直すには、もはや最後の手段を用いるしかない。
即ち、軍事クーデターだ。
ドラコリス・ザ・ドゥルにどれだけ巧みな弁舌力があろうと、理不尽な暴力の前には無力なのだから。
「その為にもシリウス王立学園の元生徒会長という経歴は確保しておきたい。そしてヴォーティガン・リドルという男の知恵もだ。頼む、俺に力を貸して欲しい」
「カシム、俺は君のことを嫌いじゃない。力になってやりたいと思わなくもない。だがやはり駄目だ」
「理由を聞いてもいいか?」
「君の目的には共感できる。だが君のやり方には賛成できない。国を変えるなら、もっと違う方法があるはずだ」
ヴォーティガンらしい言葉だ。軍事クーデターなんて間違った手段ではなく、もっと正しいやり方でやるべきだというのだろう。確かにヴォーティガンなら平民であろうと、その類まれな実力とカリスマ性で国の大臣にだってなることができるだろう。だが、
「ヴォーティガン、平民出身のお前は分かっていないんだ……!」
既に王政府はどうしようもない有様なのだ。ヴォーティガンがどれだけ高潔な理想をもって官僚の世界に加わろうと、暗愚な王と佞臣によって踏み躙られるだけだ。
「そう、俺は平民で……孤児院出身さ。だからこそ見える景色もある。カシム……改めて"今回は"お前に協力しよう」
それはヴォーティガンがカシムの同志になることはないという、はっきりとした拒絶の言葉であった。
これ以上はもう無意味だと悟ったカシムは「ああ」とだけ言うと、風紀委員室を出ていった。
カシム・エリゴスがアガレス家とウァレフォル家の令嬢を巻き込み、風紀委員の協力まで取り付けて校則の改正に動き出したという情報は即座に副校長にも伝わった。
「おのれ、生徒会めっ!」
歯噛みする副校長ではあるが、妨害などできるはずもない。
校則の改正は完璧にルールにのっとって行われており、それを妨害するようなことをすれば副校長の方が裁かれる羽目になる。
シリウス王立学園副校長という地位は実権も伴った名誉職であるが、王族や大貴族の子弟も通うここでは権限を発動するのも容易ではなかった。
「……こうなれば学内賭博は潔く閉鎖するか? 校則が改正されれば非合法になるが、改正前の事なら裁くことは――――いや、なにを温いことを考えているのだ!」
政治闘争なんていうのは溺れた犬は棒で叩くのが基本だ。学内賭博を閉鎖して我関せずを決め込んだとしても、落ち目になった自分は徹底的に攻撃されいずれ排除されるだろう。
学内賭博のグレーゾーンな行為以外にも、副校長は完全にブラックな不正にも手を染めてきた。今は副校長として権勢を振るえているから表沙汰になることはないが、権力に陰りが見えれば必ず密告者が現れる。
「…………今の地位に執着すれば、全てを失うか。ならばここは潔く亡命するか。この国はどうせもうじき沈没する泥船だ。老後を豊かに暮らせるだけ蓄えもできたし、亡命先でのんびり暮らすとしよう」
そうと決まれば今度は亡命先である。候補はアスモデウス王国とベリアル王国の二択だ。
「私は魔法使いとしての能力は高いからベリアル王国では優遇される……かもしれんが、ディアーヌ殿下のせいで等級社会が変わり始めているというし、バエルとベリアルは友好国だから、下手すれば強制送還だ。ここは安全をとって、アスモデウス王国へ亡命しよう。敵対国の王立学園で副校長を務めた私だ。無碍には扱わんだろう」
思い立ったが吉日である。
素早く辞表を書くとデスクの真ん中の見えやすい場所に置き、荷物を纏めて一旦自宅へ帰った。
副校長が辞表だけ置いて、夜逃げしたらしいという情報が学園を駆け巡ったのは翌日のことである。
こうして一見すると正しい判断をして、勝ち逃げに成功したように見える副校長。
しかし彼は最後の最後に一つだけ大間違いをした。亡命先にアスモデウス王国を選んでしまったことだ。
アスモデウス王国の王太女ジゼル・アスモデウスは非常に好悪の激しい人間で、そして副校長のような人間は大嫌いだったのだ。
「お前の副校長として知りえたバエル王国の情報と、この国に持ち込んだ財産はジゼルに必要だったわ。特に……バエル王国の生徒の個人情報は千金……いえ万金の価値があるわ。ありがとう」
「はっ、そう言っていただけたならば私も亡命してきた甲斐があったと…………」
「褒美として貴方にはアスモデウス王国にあるこの屋敷の地下の一室を永遠に割譲し、地下室伯の称号を与えるわ。領地の運営に専念するため室外に出ることは禁止、外部との接触も禁止、そして護衛として常に衛兵を部屋の前に置くことを認めましょう」
「は、そ、それはどういう!?」
「情報と金はいるけど、お前はいらないって言ってんのよ」
こうしてバエル王国には、アスモデウス王国に亡命した副校長はジゼル王太女が、常に自らの屋敷に置くほど厚遇されたと伝わった。




