第41話 悪役令嬢と平民
ヴェロニカとミランダの口喧嘩(と言っていいレベルかは疑問だが)が終わると、アナリーゼはヴェロニカに駆け寄った。
「いやー、カッコよかったわねヴェロニカ! やり込め方が華麗っていうかクールっていうか! 私なんて虐めっ子を懲らしめる方法なんて右ストレートでぶっとばす、まっすぐ行ってぶっとばすしか思いつかなかったわ!」
前世でよく見た悪役令嬢断罪シーンだがリアルで見るのは無論初めてだ。生はやはり迫力が違った。ただ仕掛けたのはミランダの側とはいえ、公衆の面前でゲロを吐くことになったのは可哀想とも思ったが。
「ありがと。でもアンタって過激だったのね。一揆の時の対応からして、もっと平和主義者かと思ったわ」
「私は平和主義者よ。基本的に戦争反対な人間だし」
「基本的に、ね。まあそれは同感よ。平地に波瀾を起こすのは趣味じゃないし。ま、自分が平和に正しく生きてたとしても、周りが駄目なら乱は起きてしまうのだけどね」
ヴェロニカの言葉にアナリーゼはゲームのことを思い出す。
ネタバレ糞レビューワー曰く、ホロスコープ・クロニクルは大きく立志編、学園編、動乱編に分けられているという。つまり自分たちがこの学園を卒業した後、このソロモン大陸には動乱――――つまり戦争が起きる未来が待っているのだ。
「……ねぇ、ヴェロニカ。これからもずっと平和が続くようにするにはどうしたらいいのかしら」
それを防ぐためにはどうすればいいかヴェロニカの意見を求めるアナリーゼ。だがヴェロニカの答えはまったく予想外なものだった。
「ねぇ。平和を続けるというけど、そもそも今は平和なの?」
「え、戦争がないし、ということは平和じゃないの?」
前世が日本人のアナリーゼは、戦争がなければ平和だろうという当たり前の考えを返した。けれどヴェロニカは静かに首を横へ振る。
「戦争がない状態が、必ずしも平和というわけじゃないのよ」
「え、えーと」
どういう意味なのか尋ねようとすると、その前に副校長たちとなにやら話していたバジルがヴェロニカのもとへと戻ってきた。
「おいヴェロニカ、副校長が呼んでるぜ。ミランダの件についてお前の話を聞かせろってよ。もしかしたら入学前に反省文かもな」
「ウァレフォル公爵令嬢相手に反省文書かせる度胸があったら、副校長の評価を数段上げるんだけどね。そういうわけだから、じゃあね、次は授業で会いましょう」
「う、うん。また授業で……」
事情が事情だけに引き留めるわけにはいかない。
ヴェロニカとバジルを見送った後、アナリーゼはこういう時に一番頼りになる助言者に意見を求めることにした。
「どういう意味だったのかしら、あれ。三成さんはどう思――――」
「いや、中々どうして興味深いことを言う人だ。ヴェロニカ・ウァレフォル嬢は」
だがそれはいつの間にやらアナリーゼの隣にいた青年に遮られた。
思わず息を呑む。絶世、それは世にもまたとないほど優れているものを指す単語である。前世でも今世でも絶世の美女だのそういうフレーズは幾らでも聞いてきた。けれどそれらは本物の絶世の存在を知らないから気軽にそう表現できたのだ。
憂いを秘めた青い目に白金に輝く髪。絶世の美男子としか形容のしようのない人物がそこにいた。
「ど、どちら様ですか?」
彼が何者なのかなんとなく予想はついていたが、念のために尋ねる。
「これは失礼。偶然にも話が耳に入ってしまってね。風紀委員長をしている二年のヴォーティガン・リドルだ」
(や、やっぱりヴォーティガン! 最後の攻略キャラクターじゃないの!)
こんな国宝級のイケメンがよもやモブキャラであるはずがないと思っていたらピタリ賞であった。
「………………」
アナリーゼがあたふたする中、三成はじっと見定めるようにヴォーティガンと名乗った男に注意を払う。ヴォーティガンはアナリーゼと三成の内心を知ってか知らずか、柔和な笑みを浮かべながら話し始める。
「アガレス嬢の聡明ぶりは、この学園にも届いています。こうしてお会いできて光栄ですよ」
「い、いやぁ、それほどでもないですよ。私じゃなくて三成さんが、凄いだけで」
「三成殿の手腕も無論素晴らしい。ですがその三成殿に手腕を発揮させているのは貴女でしょう。家臣の罪は主君の罪、家臣の功は主君の功ですよ。世の中には後者の論理ばかりを持ち出す輩が多いが、貴女はどうも前者の論理しか持ち出さぬ稀有な方のようだ。
特に一揆をああも平和的に鎮めてみせた話には、俺も感銘を受けましたよ。ご存じかもしれませんが、俺は平民の生まれなので」
「そ、そうですか? そんな褒められると照れちゃいますよ」
アナリーゼとて女だ。イケメンに手放しに褒められるのは満更ではない。
ホストクラブに大金をつぎ込む女性の気持ちが少し分かった気がした。
「ところでヴォーティガン先輩はさっきヴェロニカが言っていたことの意味って分かります?」
このままだとヴォーティガンに見惚れてしまいそうだったので、気を入れ替えるように真面目な話をする。
「俺の解釈が正解であれば、答えはYesだよ」
「教えてください!」
「……そんな難しい話ではないですよ。余り大きな声では言えませんが、豊かで平和なのは都市部と一部貴族の領地だけ。地方は重税と労役で餓死や衰弱死する者も多い。
そこにあるテーブル……豪華な料理でしょう? きっと今年は隣国から王太女を迎えるから奮発したんでしょうね。このテーブルにある料理を作る費用で、地方の民なら五人は一年食っていける」
「……なるほど。確かに餓死で死んでる人がいるのに、戦争がないから平和だなんていうのは間違いだわ」
ヴォーティガンは頷くと、一段と声を小さくする。
「まだ反乱が起きていないのが不思議なくらいですよ。負担は軽減されるどころか年々重くなる一方だというのに、地方は驚くほど静かだ。もしかしたらなにか巨大な陰謀が水面下で動いているのかも」
「い、陰謀!?」
「なんて、冗談ですよ。驚かせてしまいましたね」
はははは、と笑い飛ばすと「ではこのへんで」とヴォーティガンは去っていった。
アナリーゼはきょろきょろと周囲を見渡す。
「もう……話しかけてくる人はいないわね?」
改めてアナリーゼはテーブルに向き直る。
眼前にはシェフが腕によりをかけて作った山のようなご馳走。理性的に考えればこのパーティーではより多くの人間と話すことに専念するべきなのだろう。だが国一番のシェフの作ったご馳走を前にしてこれ以上のお預けは無作法というものだ。
「いただきます!」
アナリーゼはこの日、野獣となった。
その日の夜。パンパンに膨れたお腹で学園の学生寮に戻ったアナリーゼは暫くトイレに籠った後、三成を呼び出して対策会議を開いた。
二人っきりで話したいと言われ室外待機を命じられたヘンリーは「遂にお嬢様が勝負を仕掛けたか!」などと見当違いの考えを抱いていて、アスールから白い目で見られていた。
それはともかく対策会議である。アナリーゼは真剣な顔で三成に対して口を開く。
「今日一日でメイン登場人物とは一通りエンカウントできたと思うけど、三成さんは誰が一番危ないと思った?」
「えんかうんとがどういう意味かは分からんが、警戒すべきはヴォーティガン・リドル……奴は危険だ」
「ヴォーティガン先輩が? 一番優しかったじゃない。私も褒めてくれたし。も、もしかしてあれは私を騙すためのフェイク? 新宿ナンバーワンホスト的テクニックだったの!?」
「いやあれは嘘を言って……適当に世辞を言っているようには聞こえなかった。だがあの男からは強い、思想のようなものを感じた。大樹の如き揺るがなさも同時にな。ああいう人間は己を曲げん」
「三成さんみたく?」
「そうだ」
「三成さんからみたら主人公のヴェロニカはどうなの?」
「好き嫌いで言えば好きではないが、それは置いておこう。俺はヴェロニカは家康みたいで嫌いだが、奴は強い野心――――上昇志向を感じる一方で特別な思想のようなものは感じなかった。本人が言うように空虚なそれだ」
「家康みたいって……」
三成のことだから悪口で言ったつもりなのだろう。だが三成を敗北させた徳川家康に準えることはある意味では最上級の評価に他ならなかった。
「案外染まりやすい女なのかもしれん。動乱のない平和な時代に生まれれば良い領主として育っただろうし、商人として生まれれば豪商として名をはせたかもしれんし、学者の子として生まれれば大学者となっただろう」
(やっぱり能力は評価してるのね。一種のツンデレ? 人格面ではツンツン、能力評価はデレデレ……。あんまりぐっとはこないわね。逆ならいいシチュなんだけど)
けれど三成の言う空虚とは言いえて妙なのかもしれない。
覇王だなんだと言われようとヴェロニカ・ウァレフォルは乙女ゲームの主人公なのだ。乙女ゲームの主人公である以上、彼女はルートによって様々なタイプの異性と恋に落ちて、動乱編を共に戦っていくことになる。それを可能にするためにもヴェロニカには特定の強烈な思想を持つ訳にはいかないのだろう。
「その上で俺が一番警戒するのは――――ヴェロニカがヴォーティガンの思想に染まることだ」
それはつまり。
「ヴェロニカがヴォーティガンを攻略しちゃって、ヴォーティガンルートに入っちゃうのは不味いってこと?」
「そうだ」
アナリーゼとしては友達のヴェロニカには好きな相手と幸せに結婚して欲しいという思いがある。なのでもしヴェロニカがヴォーティガンを好きになってしまったなら、もう止めることは出来ない。だが好きになる前なら、干渉もセーフだろう。
「うーんじゃあこういうのはどうかしら? 乙女ゲーで特定キャラを攻略するのは条件が難しいこともあるけど、逆に攻略しないのは簡単よ! シンプル! 出会いを徹底的に避ければいいの!
ヴェロニカの近くへ行って、ヴェロニカがヴォーティガン先輩に近づかないように誘導しましょう! 風紀委員に入りたいとか言い出したら絶対にノゥを突き付けるの! どうこの作戦は?」
「まあ悪くはないと思う」
乙女ゲームについて疎い三成は曖昧に答えた。




