第40話 悪役令嬢と公爵令息
入学式が終わると、新入生歓迎のパーティーが開かれた。
例年シリウス王立学園の歓迎パーティーは豪華だが、今年は第三王子のヴィクトリスに加えて、ベリアル王国の王太女も迎えるだけあって特に気合が入っているらしい。
シャンデリアの無数のクリスタルが燭台の光を反射し、星屑をちりばめた夜空のように輝いている。
だがアナリーゼは色気より食い気、花より団子。視線はテーブル上のご馳走に釘付けだった。
テーブル中央には見事に焼き上げられた巨大なローストターキーが鎮座していて、別のテーブルにもシェフが腕によりをかけて作ったであろう料理が山のように積み上げられている。
「わお! 凄いご馳走の数々! お持ち帰りは可かしら!」
「駄目」
「公爵令嬢としての品位を保ってください、お嬢様」
「そんな~!」
アナリーゼの細やかな願いを三成とヘンリーがばっさりと切って捨てた。
仕方ないので今日は腹八分目という言葉は辞書から削除して、腹いっぱいに食べられるだけ食べようとアナリーゼは決意した。
そこへ懐かしい相手がアナリーゼに声をかけてきた。
「アナリーゼ様! お久しぶりです!」
「あ、マルグリット! ザリガニ釣り以来ね! 漫画! 毎月楽しみにしてるわよ!」
「……アナリーゼ様にはそう言っていただけて、嬉しいです」
マルグリットが気まずげに目を伏せる。
「あ、三成さんから聞いたけど、売れ行きは芳しくないって」
「私はとんでもなく面白いと思うのだがなぁ」
「あ、ヴィクトリス殿下」
マルグリットの後ろからひょいと現れたヴィクトリスは、心底不思議そうな顔をしていた。
ヴィクトリス・バエルはマルグリットの婚約者であると同時に、彼女の一番のファンなのである。
「なぜこれが受け入れられんのか、私にはさっぱりだよ」
「恐れながら申しますと『漫画』という未知のジャンルに食わず嫌いならぬ見ないで嫌いが多いのではないかと。マルグリット様がペンネームではなく本名で本を出して、帯にヴィクトリス殿下おすすめとでも書けば、ミーハーな連中がこぞって手にとると思いますよ」
「悪くはない手だ。どうでしょうか、マルグリット殿、ヴィクトリス殿下」
ヘンリーの提案に三成が賛同する。
アナリーゼはなんとなく『いいものなら売れるというナイーブな考え方は捨てろ』という前世で散々ネット上に貼られまくった名言を思い出した。
「お気持ちは嬉しいのですけど、私は作品で勝負したいので。遠慮させてください。それにそんなことをしなくても、私の漫画を『面白い』って言って下さる方もいますし、十分です」
「だが読者は多ければ多いほどいいだろう。収入にもなる」
「三成さん、お金は大事だけど無理強いはよくないと思うわよ。こうやって無理強いして、作者のやる気がなくなって連載打ち切り未完とかになったらどうするの!! 嘆くわよ! ファンとして!」
「そうなのか」
そうよ、とアナリーゼは力説する。前世で漫画雑誌を好んで愛読していたアナリーゼは、作者のモチベが低下して、打ち切りや雑に風呂敷を畳んで最終回になった作品を多く知っていた。
叶わぬ望みかも知れないがこの世の全ての作品には、最後まで高いモチベーションのまま作者も読者も納得する最終回を迎えて欲しいと願ってやまない。
「ほほーう! まさか『水のほとり物語』の作者が、こんなところにいたとはねぇ」
「!」
誰かと思えば次に現れたのはこの世界の本来の主人公であるヴェロニカ・ウァレフォルだった。
隣には元伯爵令息で今はヴェロニカの従者のバジル・フェニックスも一緒である。
「これもなにかの縁! サインちょうだい!」
「貴女は……やっぱりいつもファンレターを送ってくれた『ヴェロニカ』さんはヴェロニカ・ウァレフォル様だったんですね!」
「その通りよ! もうあの『漫画』ってやつを初めてみた時の衝撃は今でも鮮明に思い出せるわ!」
「ま、まさかヴェロニカもマルグリットの漫画のファンだったなんて。意外なような納得なような」
熱心なファンとそれに対応する作者の図をやるヴェロニカとマルグリットを見ながらアナリーゼが言った。
「周りの人間に無差別布教するもんだから、ウァレフォル領じゃ漫画がプチブームだぜ」
バジルが補足する。
と、今度はヴェロニカの視線が黙り込んでいる三成へと移った。
「あら三成。ベリアル王国でも大活躍だったそうね。アスモデウス王国でもあの難解な人格してるジゼル王女に気に入られたって話だし」
ニヤリとヴェロニカが言うと、今度はディアーヌまでもがこちらへやって来る。
このパーティー会場のVIPが大集結だった。
「へぇ。あのジゼル殿下と……モテるんですね、三成さん」
ディアーヌはヴェロニカと違って不満げに言った。
「どう? 前にした話は今でも有効よ」
最初に出会った時、ヴェロニカが三成を自分のものとするために言い放った、自分の婿となってウァレフォル公爵家の全てを差配してみないかという誘い。
凡百の人間どころか、気骨のある人間ですら節を投げ捨てたくなる甘い誘惑に対して三成はきっぱりと言い放つ。
「答えも前と同じだ」
「そ、手に入らないとますます欲しくなるわね」
「ふふん。残念だったわね、ヴェロニカ。どれだけ調略コマンドをしようと、三成さんの引き抜きは不可能よ! インポッシブル!」
アナリーゼは胸を張って宣言する。これにヴィクトリスは破顔した。
「ははははははははははは! 君は人に嫌われやすいところがあると聞いたがたいそうな人気じゃないか、三成! 私の妹にでも会うかね? もし妹が君にお熱になれば三国制覇だぞ!」
「遠慮いたす」
「女性からのアプローチを退けるなら、身を固めてしまうのが一番だぞ! 私のように素敵な婚約者を見つけたらどうだね?」
「で、殿下……素敵だなんて……恥ずかしい……」
「おっと、すまんすまん。マルグリットのような婚約者など、そうそう見つかるものではなかったな! 無理を言った!」
流石に公共の場なので抱き合ったりなどはしなかったが、イチャイチャという擬音が聞こえてきそうな馬鹿ップルぶりだった。
遠目からこのVIPの集いを眺めている参加者たちは微笑ましく見ていたり、ヴィクトリスのことを見定めていたり、嫉妬で血の涙を流していたりした。
ちなみに血の涙を流しているのはヴィクトリス目当ての女と、マルグリット目当ての男の両方である。
なおこの場にいる者はといえば、
(見せつけやがって。爆発しねぇかな)
というのがバジルで、
(素敵な女ならここにいますよーだ)
というのがヴェロニカで、
(いいなぁ。ああいう関係)
これがディアーヌだった。そしてアナリーゼと三成は、
「(ヴィクトリス殿下とマルグリットはいい感じだし、これならヴェロニカフラグもたたないし一先ず安心ね、三成さん)」
「(そうだな)」
攻略キャラに主人公のヴェロニカ以外のヒロインをあてがって、ルートを封鎖する作戦が成功したことに喜びを分かち合っていた。
話を終えてVIP組と一旦別れたアナリーゼは、改めてテーブルのご馳走と向き合う。
「さーて。友達とのお話もいいけど、食べ物は有限! なくなる前に五臓六腑に流し込むわよ!」
「――――楽しんでいるようだな、アガレス嬢」
だが食べようとした途端、会ったことのない人間に話しかけられた。
制服の襟についている『Ⅱ』のバッジから察するに二年生だろう。190cmを超える長身に豹のように引き締まった体つきに浅黒い肌が印象的だった。
「貴方は……あ、えーと……」
「生徒会で副会長をしているカシム・エリゴスだ」
痺れるような緊張がアナリーゼの体をのたうち回る。
将来自分を殺すことになるかもしれない攻略キャラとのファーストコンタクトは、いつだって冷や汗ものだ。だがそんなことを表に出したら不信感を抱かれてしまうので、こっそり自分の親指を抓って平静な表情を保つ。
「えーとえーと……副会長なんて凄いですねぇ。シリウス学園の生徒会ってどういうお仕事をしてるのかしら」
「おや、生徒会に興味が?」
「え、ええ」
乙女ゲーで生徒会といえば物語の中心になることも多いし、とは思っても口に出さない。
「シリウスの生徒会でも特にやることは変わらないよ。生徒会の権限も特別大きなものではなく普通だし。ただでさえ様々な身分の学生が一堂に会する学園で、生徒の権限がいたずらに強いと、学園内での自治がたちゆかないからな」
「そ、そうよね! 生徒会が学園の真の支配者とか、黒幕とかそんなのファンタジーやメルヘンの世界だけよね!」
「なんの話だ?」
乙女ゲームの話である。或いは漫画やラノベの話ともいう。
「まあ殆どは地味な仕事だが、興味があったなら気軽に立ち寄って欲しい。地味だが仕事は多いから、人手はいつでもウェルカムさ。そう、そちらの彼も一緒にね」
そう言ってカシムはアナリーゼの隣でじっと控えていた三成へ目を向けた。
「……生徒の代表たる会長を、選挙という投票によって選出すると聞いたが、他の役員はどのように選ぶ? 選挙か?」
「基本は会長による任命だな。だが会長が役員を集めきれなかった場合は、会長の要望で公に募集が行われ、立候補者がだぶれば簡易選挙が行われる」
「では役員の席は空いてないのか?」
「いや役職は全て埋めなければならないという規定はないから、新一年生の生徒会希望者のために席は…………三つほど空けてある」
なにが面白いのかくつくつと笑いながらカシムが言った。
「集まり切らなかったら募集なんじゃないんですか?」
「正確には集まり切らず、会長が要望を出せば、だ。だから過去には役員を一人も集められなかったが、要望を出さず、一人で生徒会業務を取り仕切った剛の者もいたらしい。ちなみに生徒会の内訳は会長一人、副会長一人、書記一人、会計一人、庶務一人の合計5人だ。つまり現状生徒会は俺と会長の二人っきりというわけさ」
カシムが笑った理由が分かった。一人で業務を取り仕切った過去の生徒会長は剛の者だが、会長と副会長の二人だけで取り仕切るのも中々の剛の者だろう。
「三成さんも興味津々だし、行ってみようかしら。ちなみに他に部活動とかあるの?」
「ああ、委員会含めて21の部活動がある。委員会で一番の規模はヴォーティガンが委員長の風紀委員で、クラブ活動ではゲーム部が人気だ」
「ゲーム部! なんだかワクワクするわね! どんなゲームやってるのかしら? TRPGとか?」
死因がゲームを買いに行った帰りの事故死なアナリーゼはゲームは大好きだった。デジタルゲームだけではなくアナログゲームも含めてである。小学生の頃は男子に混ざってよくデュエルをしたものだ。
そんなアナリーゼの様子にカシムは渋い顔をする。
「老婆心で忠告するが、ここはやめておけ」
「え、どうしてですか?」
「ここは君が想像するような和気藹々とゲームを楽しむクラブじゃない。親の小遣いでギャンブルに耽る愚かな貴族子弟共の集まりの学内カジノだ。平民の生徒が付き合いで無理して入部した挙句、破産した例もある」
「そ、そんなクラブ活動があっていいの?」
ちょっと闇があるだとかではなくガッツリと闇そのものな実態にアナリーゼは仰天した。
「…………事情があってな。ここでは話せない。後日生徒会室にきてくれ。その時に話そう」
周囲に聞こえないよう小さな声で耳打ちされた。
学校内に存在する闇そのものなクラブ活動。もしかしたらこれを対処するのが学園編のストーリーラインなのかもしれない。
「ちなみにゲーム部以外で人気なのは?」
他の真っ当なクラブ活動についても知っておきたかったアナリーゼが話を振る。
「それならナイトクラブだな。学園創立当初からある伝統的な部活動だ」
「な、ナイトクラブゥ!? そんな活動が創立当初からあるの!? エッチ!!」
「……夜のクラブじゃない、騎士部と書いてナイトクラブだからな?」
「!?」
呆れたようにカシムに指摘された。
だが学内カジノのゲーム部の次にナイトクラブなんて名前が出たら、誰だってそっちのナイトを想像してしまうだろう。なので特別アナリーゼの妄想が激しいわけではないのである。ないんだったら。
「将来の武官希望者はこの騎士部に所属することが半ば義務化している。俺自身、騎士部の副部長だ」
「生徒会副会長と騎士部の副部長、兼業は大変ではないのか?」
「大変ではあるが、やる価値はある」
三成の問いにカシムは力強く言った。
「それじゃ俺はこのへんで。副会長で副部長だから、色んなところに顔を出さないといけないんだ」
「大変なんですね、頑張ってください」
カシムは会釈をすると今度は軍服を纏った大柄な青年のところへと挨拶に行っていた。明らかに生徒ではないので、パーティーに招かれた軍人だろう。
アナリーゼはカシムから視線を離すと改めてテーブルへ向き直る。アナリーゼの若い胃袋はまだまだ満腹には程遠かった。
「さぁ! 話も終わったことだし、ご飯再開よ!」
「お嬢様。食べるのもいいですが、ご学友や先輩などに挨拶に行かれたほうがいいのでは? こういうところでは人脈作りがメインだと思うのですが」
ヘンリーが指摘する。
「え、そうなの? でもご飯が……」
死亡フラグ回避の努力と脂肪フラグを獲得する欲望、どちらを優先するべきか。理性では前者を優先するべきだと分かっているのに、本能は後者を求めている。
アナリーゼが欲望と理性の間で悶えていると、
「おい」
「ふぇ?」
三成に耳元近くで声をかけられた。
驚いて振り向くと三成が目線で合図をしている。その視線の先を辿ってみると今期首席のミランダとヴェロニカが相対していた。明らかに和やかな雰囲気ではない。アナリーゼはじっと聞き耳をたてる。
「これはこれは。ウァレフォル公爵令嬢、御父上はお元気ですかぁ? あ、『殺された』んでしたっけ。ごめんなさい、『病死』なんですよね。そういうことにしときましょ」
ミランダはにやにやと笑いながらヴェロニカを挑発する。そんなミランダに対してヴェロニカは、
「ねぇミランダ、いいこと教えてあげるわ」
「な、なによ?」
「貴女がさっき飲んだワイン、私のお父様が最期に飲んだのと同じものなのよ」
ヴェロニカとミランダの戦いは、その一言で決着した。
ミランダから嘲るような表情が消え、みるみるうちに顔面が蒼白になっていく。
「え……あ…………う、嘘……」
「じゃあ私はもう行くわ。『さようなら』ミランダ」
「あ、あああああああああああああああああああ!!」
ミランダが必死に自分の喉に指を突っ込んで、胃袋の中身を吐き出そうとする。この異常な事態に何事かと野次馬が集まってきた。その中には副校長も含まれていた。
「な! こ、これはどういうことだ!」
「さぁ。ミス・ミランダに貴女が飲んだワインは私の父が亡くなるその日に飲んだのと同じ銘柄だって言ったら、急に吐き出して。ワインがよっぽど口に合わなかったんじゃないかしら」
「なっ……ヴェロニカ、まさか……騙した……の!?」
「騙すなんて人聞きが悪い。ねぇバジル」
「ああ、まったくだ」
そう、ヴェロニカはまったく騙してなどいない。別にヴェロニカはワインに毒を入れたなんて一言も言っていないのだから。単にミランダが騙されただけだ。
「副校長殿。ミス・ミランダはちょいと混乱するほど具合が悪いようです。医務室へお連れしたほうがよいのでは?」
「それがいいな。ミス・ミランダ、医務室へ」
「ち、ちくしょおおおおおおおおおお!」
悔し涙を浮かべながらミランダはパーティー会場から連れ出されていった。
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