第4話 三成と探偵
この世界で主君としたアナリーゼと別れた三成は、迷いのない足取りで裏通りに入っていった。
王都の地図はこの一週間でだいたい把握している。そして三成の足は、街の風景と一体化して埋没しているアパートメントの前で止まった。
三成はこの世界の流儀に従い、ドアを二三度叩く。
どうぞ、という声を確認して扉を開けて入った。
アパートメントの中は掃除が行き届いているのか綺麗に整頓されていた。柔らかそうな椅子に、この家の主である男が座っていた。
年齢は二十代にも三十代にも四十代にも見える。がっしりとした体形をしているが、顔はどこにでもいそうな平凡なものだった。
しかし秀吉の家臣として汚れ仕事にも何度も関わった三成には、平凡という鞘に危険な本性を隠しているのが気配で分かった。
「失礼する。仕事を依頼したい」
「おや、誰かと思えば公爵令嬢様の若き愛人じゃないですか」
「愛人ではない。アナリーゼに相談役として雇われた石田三成だ」
愛人呼ばわりされたことに不快感を感じた三成だが、同時に首都にいながらアガレス領の出来事を掴んでいる情報力に舌を巻く。
ここ一週間、吟味に吟味を重ねていたのだがここを選んだことに間違いはなさそうだ。
「では相談役の三成さん。うちにどんな仕事をお望みで?」
「この世界には探偵という職業があって、お前がそうだと聞いた。調査を依頼する」
三成がテーブルにどかんと置いたのは、アナリーゼから貰ったアナリーゼ自身の今年の小遣い全部だった。
お小遣いと侮るなかれ。公爵令嬢のお小遣いというのは、一般庶民からしたら一生かかっても手の届かない大金だった。
「きな臭いですね。これだけの報酬で、なにを調べよと仰るんで?」
探偵事務所の所長である探偵ノアは、警戒の色を出してきた。
「『アナリーゼ・アガレス』の経歴の全てを。特に悪行を重点的に頼む」
「理由は……聞かない方が宜しいんでしょうね?」
「金の分の仕事をすればいい。法に違反しろとは言わん」
「承知しましたよ、三成様」
探偵ノアは恭しくお辞儀をする。探偵にとって一銭も恵んでくれない王様より、大金を支払う客のほうが敬うべき存在だったのだ。
アガレス領に戻ったアナリーゼは、三成がなにやら真剣に書類を読み込んでいるのを見つけた。
ついでに纏っているのは異世界召喚時に着ていた着物ではなく、この世界で新たに新調した着物である。三成の着物という見本があったとはいえ、こうも短期間に日本の着物を再現してしまうとは、この世界の服飾技術は侮れない。
「ねえ三成さん。さっきからなにを読んでるの?」
「探偵に調べさせた、お前の経歴だ」
「ぶーっ!」
衝撃発言に思わず吹き出してしまう。口になにも含んでいない状態で良かった。
「探偵を使って素行捜査なんて……す、ストーカーなの!? 寧ろ逆に私のお婿さん候補!?」
「 『すとーかー』というのは知らんが、必要なことだろう。お前の知らないアナリーゼ・アガレスの過去を知ることは」
「あ、それもそうね! 自分で自分の過去調べるわけにいかなかったし! サンキューミッチー!」
「 三、九? 道? ……まぁいい。それでアナリーゼ。朗報だ。お前がまだ子供だったからなのか、お前の悪行は癇癪を起こして気に入らない執事やメイドに当たったり、負けそうなチェス盤をちゃぶ台返ししたり、お茶会で傲慢に振る舞ったり、どうにか若気の至りで済ませそうなことばかりだったぞ」
「っ! ということは?」
「お前自身は致命的なことはまだしていない」
「~~~~~~~~~~~~!」
目の端から涙が滲む。真っ暗だった自分の未来に、仄かな光が差してきた。
三成から告げられたことは、アナリーゼにとって福音そのものだったのだ。
「や、やったぁぁあああああああああ! 希望の光が差したわ!」
「喜ぶのはまだ早い。お前はアナリーゼ・アガレスであると同時に公爵令嬢であるという自覚がないようだな。朗報だけではなく悪報もあるぞ。よく聞け」
「……明日じゃ、駄目?」
「駄目だ」
アナリーゼの懇願はぱしゃりと切り捨てられる。自分のためにしてくれていることなので嬉しいが、同時にもうちょっと優しくして欲しいとも思う。乙女心は複雑なのだ。
アナリーゼの心の機微など気にせず三成はさっさと悪報を告げる。
「はっきり言おう。お前の父親、オルバート・アガレス公爵は領主として極めて無能だ。領地経営が余りに杜撰かつ適当で、保有する軍備は無駄飯喰らいばかりで役立たず。商業は壊滅的で、民衆の心は完全に領主から離れている。土地が肥沃なお陰で農地はそれなりの生産量なのが不幸中の幸いだが、もし太閤殿下が統一する以前の時代にこんな領主がいたら、一月後には隣の大名に滅ぼされているぞ」
戦国時代の人間にそう言われては洒落にならない。
今の時代は北方のアスモデウス王国とも和睦したばかりで一応平和な時代だが、この先、バエル王国で内乱でも起きれば三成の懸念は現実のものになるだろう。
「な、なんでこんなことになってるの!?」
「だから全てが杜撰だからと言っただろう。こんな杜撰な統治を少しも改善する努力せずそのままにするとは、領主もそれを支える家臣も呆れるほど怠惰だ」
「え、えーと……民に積極的に暴虐な政治をしてるんじゃないなら、やる気がないだけで、悪い人じゃないのかも」
「悪人であるかどうかなど関係ない。例え性根が悪だろうと、領地を上手く経営し民に慕われる大名はいた。利益を分配することが、巡り巡って己の利益に繋がることを知っているからだ。例えば家康」
ここで家康の名前を出すあたり、憎んでいてもその能力は高く評価しているらしい。
三成は恐らくアガレス領の経済状況が記された書類を身ながら眉間にしわを寄せた。
「だがこのオルバート・アガレスには改革どころか、悪政すらやる気力がない。もうどうしようもない」
「どうしようもないなら、どうするの?」
「革命が起きるような激動な時代に、無為無能な領主は滅ぼされるだけ。それを回避するには無為無能でなくなるしかない」
だとすればやることは一つだ。アナリーゼは執事であるヘンリーを呼んだ。
「お呼びですか、お嬢様」
「これからお父様のいる本邸へ行くわ、準備なさい!」
そう、直談判あるのみだ。




