第35話 過去と現在
十年前、アスモデウス王国で謀反が起きた。
平民重用の姿勢を崩さないアスモデウス王国国王に対して、不満を持った貴族が王弟を担ぎ出したのである。
幸い謀反は直ぐに鎮圧され、王の下には謀反人の指一つ届くことはなかったが、運悪くたまたま共に外出中だった王の二人の姫はそうではなかった。
王の長女で王太女として指名されているエマと、その妹であるジゼル。
謀反は失敗したが、どうせこのまま一族皆殺しにされるくらいならば、王の子供の命だけでも奪って目に物を見せてやる。そういう誇りもなにもない、ただの下種の心理で動いた謀反人共はしかし、二人の姫にとっては最悪の追手だった。
このままでは逃げきれないと、先に気付いたのは妹のジゼルだった。
「もう逃げられません姉上。潔く二人、自害いたしましょう」
それで姉のエマも逃げきれないことに気付いたのだろう。だが彼女の答えは、
「いいえ、貴女は死なないわジゼル。お姉ちゃんが守ってあげるから」
そう言うとエマは馬を返して、単身で追手へ突っ込んでいった。
「姉上!?」
「逃げなさいジゼル! 生き延びるのよ!」
それがジゼル・アスモデウスが生きた姉を見た最後だった。
その後、ジゼル・アスモデウスはどうにか国王側の騎士たちに保護され、九死に一生を得ることになる。謀反人たちがジゼルより王太女であるエマを優先したことも一因だっただろう。
もしも囮として突っ込んだのがエマではなくジゼルなら、きっと両方とも死んでいた。
だが囮となったエマは、謀反人たちに散々に凌辱され殺されていた。
変わり果てた姉の亡骸に縋りつきながら泣きわめくジゼルに、父親であるアスモデウス王は言った。
「なんでエマが死んで、お前だけが生き残ったのだ。……まさか命惜しさに、姉を見捨てたのではあるまいな。卑怯者め」
この日、ジゼル・アスモデウスの心は一度粉々に砕けた。
覆水盆に返らず。壊れた花瓶は決して元の形には戻らない。
アナリーゼと三成、そして護衛としておなじみのアスールを乗せた馬車はアスモデウス王国に入る。
それと同時に三成は凍り付くこととなった。
「……まさか」
国境で待っていたのは膝まで届くルビーを溶かし込んだ紅髪に、青い瞳をした剣士。
異世界召喚された三成も多くの書物を通して、この世界のことを学んでいる。だからこそアスモデウス王国でも代々”金剛総身”の超魔法を継承しているマルコシアス家についての知識はあった。
生まれた瞬間に全身の強度を金剛石とする不死身の肉体とする超魔法を発動させる彼らは、短命を宿命づけられる代償に戦場においては最強の戦士として猛威を振るってきた。
中でも当代のマルコシアス家当主であるオルランドは歴代屈指の豪傑と評判だ。マルコシアス家は代々紅髪と青い目をしているというが、当主のオルランドは膝にまで届くほどの長髪を持つという。
待ち構えた騎士の特徴は伝え聞くオルランド・マルコシアスの特徴にぴったりと合致する。
「三成様、あの人だけじゃありませんよ」
アスールが視線を向けたのは、オルランドの他にずらりと並ぶ騎士たちだ。彼らも発せられる雰囲気で精鋭であると一目で分かる。
だがなによりも目を引くのは中央のよく見える位置に捕えられているはずのノアが立っていることだ。
(いやノアだけではない)
ノアの隣に立っているくすんだ灰色の髪をした少女。
一流の彫刻家が作り上げた彫刻が、神の悪戯で魂を得てしまったような作りこまれた美貌がそこにあった。
三成の掌に脂汗が滲む。オルランド・マルコシアスどころではない。その外見的特徴はアスモデウス王国王太女ジゼル・アスモデウスそのものだった。
ジゼル・アスモデウスは一歩前へ進み出ると、
「よくぞおいでくださいましたぁ! アガレス殿! 石田殿! アスモデウス王国王女ジゼル・アスモデウスです!」
オーバーリアクションで歓待の意を表した。
「王女が護衛たった一人で、しかもノアさんと一緒にお出迎え? なにが起きて……」
アスールは常識的に有り得ない出迎えに絶句した。それは三成も同様であったが、現代JKのアナリーゼは事の重大さがあんまり良くわかってなかったため落ち着いていた。
「わざわざ国境まで出迎えて下さるなんてありがとうございます。アガレス家のアナリーゼです、王女殿下」
沈黙。ジゼル・アスモデウスは固まる。
直ぐに元のにへらっとした表情に戻るとジゼルは口を開く。
「この度は手前の行き違いもあって、そちらのノア殿を逮捕してしまい、また石田殿とアガレス殿に我が国にまで足を運ばせてしまい、まことに申し訳ありません!」
「行き違い、とは?」
「お恥ずかしい話ですが、我が国で違法なスパイ行為をしていた集団を縛り首にしたばかりでして、てっきりノア殿もその類だと勘違いしてしまったのです。しかしその後の捜査でノア殿が我が国の法に反するようなことはしていないと証明されましたので、釈放して国境までお連れした次第です!」
「……御足労をかけてしまいましたな、三成殿」
ノアは無表情で言った。だが探偵でありながらみすみす捕まって、雇い主を誘い出す餌にされたのだ。内心では不甲斐ない自分と、捕えたアスモデウス王国への怒りで煮えたぎっていることだろう。
「あ、えーと誤解が解けたなら大丈夫です。じゃあ私たちはこのへんで」
「まぁまお待ちくださいアガレス殿! 迷惑をかけてしまった詫びとして、宴の席を設けましたので、一緒に来て頂けませんか! このままではジゼルは無礼者です。ジゼルを助けると思ってどうか!」
さっさと帰ろうとしたアナリーゼだったが、ジゼル王女に回り込まれてしまった。
助けを求めるように三成を見る。
「(常識にのっとって考えれば、ノアの件があったとはいえ、国の王太女がわざわざ国境に出迎えてきて、食事の誘いをしてきたのに、それを断って帰るようなことがあれば、お前は天下に己は無礼者であると宣言するようなものだ)」
「(つまり行くしかないのね)」
「(アスール。万が一この連中が俺たちを殺そうとしたとして、強行突破してバエル領に戻ることは可能か?)」
「(雑兵だけならともかく、王女の傍に控えているのはあのオルランドです。厳しいかと)」
「(なら奥深く入ったところで同じか)」
既に自分たちは虎穴に入ってしまっている。
だったら今逃げるのも、もう少し奥へ入って逃げるのも難易度に大した違いはない。五十歩百歩だ。なら精々虎子を捕まえてから脱出するべきだろう。