第33話 虎狼の国と招待状
ベリアル王国から帰国してから数か月が経った。
風の噂ではレイヴェン・ベリアルは王位継承権こそ剥奪されたものの、姉であるディアーヌに家臣の礼をとることを条件に助命されたらしい。
なにはともあれ姉が弟を殺すような惨事にならず良かったと、アナリーゼは胸を撫で下ろす。
織田信長が弟の信勝を殺めるようなことは、歴史ドラマのイベントとして見る分には面白いが、現実に起きて欲しいものではない。それがこの世界に来て得た数少ない友達のことなら猶更だ。
「そういえば私ってこの世界じゃ友達ってヴェロニカとディアとマルグリットくらいよねぇ。……ヴィクトリス殿下は友達に加えてもいいのかしら?」
「夕食を共にするというのは、友誼を結んだと周囲に示すための儀式でもある。今のところはそう名乗っても良かろう」
「今のところはって。私はそういう利害関係のための友人じゃなくて、ちゃんとした友達が欲しいんだけど」
「アナリーゼ……マルグリットはともかく、ヴェロニカとディアーヌの二人を本当に”友達”と思っているのか?」
「……? ええ、そうだけど、それがどうかした?」
「――――――」
三成は唖然としていた。
確かにアナリーゼとしてもヴェロニカやディアーヌと友達になったことに、三成の言うような打算や下心がゼロというわけではない。だが例え切っ掛けが打算だろうとなんだろうと、友達になったからには友達だ。
自分が困ったら遠慮なく助けを求めるし、逆に相手が困っていたら向こうが遠慮しても助けに行く。そして暇な時は一緒に遊ぶ。
そういうものだとアナリーゼは考えていた。
「太閤殿下と似ているな」
「え、そう?」
「ああ。殿下も友情を抱いた相手には、それが例えどんな身分の者だろうと友情を示した。だが……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
親愛や友情を抱いていたはずの相手を、用済みになった道具を片付けるように処分することもあった。その三成の呟きはアナリーゼには聞こえることなく消えていった。
三成との談笑を終えてそろそろ勉強でもしようかとアナリーゼが参考書を取り出す。
その時だった。部屋のドアが物凄い勢いでノックされる。
「お嬢様! 私です! ハレーです! 三成殿はここにおられますか! 緊急の報告があって参りました!」
「三成さんならここにいるわ! 入っていいわ――――」
「失礼します!」
アナリーゼが言い終わる前にハレーが入ってくる。よっぽど慌てているらしい。
遅れてラウラが入ってきた。ハレーと一緒に来ていたのだろう。
「……お前がそこまで動揺しているということは、余程の事が起きたようだな。まさか隠居した公爵の容態が急変でもしたか?」
「いえ、公爵閣下はたいそうお元気であります。一大事とはアスモデウス王国の調査に当たっていたノアのことなのです」
「ノアっちをアスモデウス王国に行かせてたの、三成さん?」
「ああ。講和したとはいえアスモデウスはバエル王国最大の敵だ。いざという時のために、内情を知っておきたくてな」
ノアは三成が個人的に雇った探偵であり、アガレス家の家臣ではない。
よってアナリーゼの許可もなく、三成が自分だけの判断で動かせる数少ない一人であった。
「それでノアがどうしたのだ?」
「それが、アスモデウス王国で逮捕されたらしいのだ」
「なに、どういうことだ?」
「わ、分からないわよ! それでアスモデウス王国が探偵の身柄を返還して欲しいなら、雇い主をここへ寄越せって使者を送り付けてきたのよ!」
うがーとラウラが叫んだ。
「ノアっち……探偵が逮捕なんて……なにをやっちゃったの? まさか殺人事件の容疑者になったとか」
「奴は停戦中の国で違法行為を働くほど愚かではない。そんな愚か者であれば、雇い続けなかった」
「お言葉だが三成殿。法を犯さなければ殺されないというのは法と理性とを余りにも過信しておられる発言だ。そういうものでしょう」
乱暴であったがハレーの言葉は真理だった。
この世界において貴族でない者の命は軽い。絶対にやりはしないが公爵令嬢であるアナリーゼが、道端で適当な平民を自分に無礼を働いたと嘘の主張をして、その場で切り殺したとしても、なんの問題もになりはしないだろう。
そして繰り返すがノアは三成に雇われた探偵であって家臣ではない。つまり本当に身分上はただの平民なのだ。
「……確かに、その通りだ。だがそれなら何故、ノアを問答無用に殺さず、わざわざ解放して欲しければ雇い主が来いなどと言ってきたのだ? 身代金を要求するならともかく」
「そこなのだ。私もそれとなく身代金を払う用意があることを使者に匂わせたが、取り付く島もなかった」
アナリーゼは形の良い顎に手を当てて考え込む。ノアの雇い主は三成で、アスモデウス側は返してほしければ三成に自国まで来いと言っている。
となれば思いつくアスモデウス側の目的は一つしかなかった。
「もしかしてアスモデウス王国の目的は、三成さんなんじゃないの? きっと三成さんにどうしても自分の国に来て欲しいのよ!」
「俺? なぜ俺などを呼びつけるために、バエル王国二大公爵の一つを挑発するような真似をする。割に合わんな」
馬鹿馬鹿しいと三成が切って捨てる。だがそれに反論したのは新たに部屋にやってきたクロムウェルだった。
「いや、そうとも言い切れませんよ」
「クロムウェル! そういえばアンタってアスモデウス王国出身よね? なにか事情を知ってるの?」
ラウラの言葉で思い出した。クロムウェルはアスモデウス王国で名を馳せた将軍だったのだ。その内情についてはこの場にいる誰よりも詳しいはずである。
アナリーゼの期待通りクロムウェルはこくりと頷いた。
「実は私の親友と呼べる男が、今はアスモデウス王国の姫殿下にお仕えしており、今も文のやり取りをする仲なのですが、その親友によれば、殿下はたびたび三成殿の話をされ、高く評価しているとか。
しかし三成殿はアガレス家の奉行で、今は男爵の地位にある。小僧を呼びつけるようにはいかず、かといって自ら出向くわけにもいかずこんな回りくどい手を使ったのでしょう」
「なんで?」
困惑する三成。だがアナリーゼはそれどころではなかった。
「そ、そうよ! 王女だろうとなんだろうと、私から三成さんを連れてっちゃおうとするなんて横暴よ! ジャイアニズム!」
三成が百万諸侯が敵に回っても味方でい続けると宣言したように、アナリーゼも百万諸侯と三成のどちらを味方にするかと言われたら三成を選ぶ。
例え王女ではなく王だろうと、自分から三成を奪おうとする者がいるなら徹底抗戦する覚悟だ。
「……クロムウェル。王女というのは、どういう人物だ?」
「極めて優れた才能を持ってはいるのだが、好悪が激しいというか、偏愛家というか。嫌いな人間は目を背けたくなるほど嫌う一方で、好んだ相手は眉を顰めたくなるほど好む人物……らしい」
「病んでるんじゃないの?」
「三成さんを行かせたくない感情が有頂天だわ」
ラウラとアナリーゼが続けて酷評する。メンヘラの四文字がアナリーゼの脳裏を過った。
もしかしたらこれは三成の命ではなく貞操の方の危険なのかもしれない。
「……クロムウェル。アスモデウス王国とはどういう国だ?」
嘆息しながら三成が話を切り替える。
「バエル王国に匹敵する強大な軍事力をもっていますが、農業に適した地が少なく、食糧自給率が低い……そんな国です」
「飢饉になると食糧物資の略奪のために、肥沃なバエル王国の領土に攻め入ってくることも多い。なのでバエル王国側の中にはアスモデウス王国を蛮族と蔑む者もいる」
クロムウェルの説明にハレーが補足した。
土地がやせ細った北方と、肥沃な南方。バエル王国とアスモデウス王国がこの世界でどういう歴史を歩んできたのか、それだけで分かるような気がした。
「だいたい分かった。ちなみに国王はどういう人物だ?」
「今の国王は典型的な平時の名君タイプですね。玉座で決裁することには秀でていますが、荒くれ者揃いの軍部を纏め上げる指導力も果敢さもない」
「ヴィクトリス殿下とは正反対ね」
ヴィクトリスは玉座で決裁する能力は欠片もないが、荒くれ者からは人気がある。果敢さにも溢れているだろう。
これで玉座で決裁する能力が欠片くらいでもあれば、良い王様になれる可能性もあるのにとアナリーゼは思わずにいられなかった。
「ノアを見捨てることはできん。俺が行けばノアは解放するというならば行くしかあるまい」
考え込んだ三成はそう結論を出した。
三成ならそう判断するだろうとアナリーゼは分かっていた。だからこそアナリーゼは三成に続いて宣言する。
「ええ。そしてアスモデウス王国の王女様の狙いが三成さんなら、私も行くしかないわね。コンセキュエントリィ!」
「なっ!」
三成の顔が引き攣る。だが三成が反論する前に青ざめた顔のラウラが必死になって止めてきた。
「お、おおおお、お待ちください! アナリーゼ様が虎狼の国アスモデウスへ行き万が一のことがあれば、アガレス家はおしまいです!」
「三成さんに万が一のことがあったら、私が終わりよ! アイアムデッドエンド! あと二大公爵の私に下手に変なことしたら戦争になるからアスモデウス側も迂闊なことはできなくなるはずよ! たぶんメイビー!」
「おおっ! 一人の家臣のために命を賭ける! それでこそ我が君! やはり貴女こそ真の王!」
「煽るな!」
一人だけ盛り上がるクロムウェルをハレーが一喝した。
その後、三成含めた家臣全員(クロムウェル以外)が総出で説得してきたが、三成が絡んだ以上、アナリーゼも引き下がるつもりはない。
極端な頑固さを発揮したアナリーゼは、周囲を逆に押し切ってしまった。
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