第32話 国王の憎悪と三成の悔恨
ベリアル王国からの帰り道、アナリーゼは思い切って三成に尋ねてみた。
「ねぇ三成さん。失礼して帰ってきちゃったけど、あれで良かったの?」
「良いも何もない。俺たちにはこの国の事情に介入する権利も義務もありはしない」
「でもディアってレイヴェン殿下のこと、弟のことを嫌ってなさそうだったわ」
アナリーゼが思い出したのは王宮でのことである。
あの時、ディアーヌは弟を夕食会に誘っていた。あれは社交辞令ではなく、弟とどうにか仲良くなろうとする姉そのものに見えた。
夕食会で真相を聞かされた時は流石に激怒していたが、怒りはあっても憎しみや殺意のようなものはなかったように思うのだ。
勿論全てはアナリーゼの主観に過ぎないが。
「殺しあう相手が、嫌いな者ばかりなら良いのだがな。そういうわけではないのだ」
遠くを見つめながら三成が言った。
彼の視線の先にあるのは異界に残してきた二人の幼馴染だろうか。
その後の話である。
クラリッサという二重スパイによりレイヴェンが反魔法派に偽装した手の物を使いディアーヌを殺そうとしたことは明らかにされた。
「申し開きはあるか、レイヴェン」
謁見の間でディアーヌが献上した証拠の数々を並べ、ベリアル国王サイモンは言った。
レイヴェンはぎゅっと拳を握りしめる。なまじ敏いレイヴェンはその証拠が言い逃れ不能な類のものであると、直ぐに理解できてしまったのだ。
「…………ございません。全て、事実でございます」
陰謀にこそ関わっていなかったが、レイヴェンを後援していた重臣たちが項垂れる。
幾ら王子といえど王太女暗殺未遂は許されざる大罪だ。どれだけサイモン王が温情のある裁定を下したとしても王位継承権剥奪は免れない。最悪の場合は王位継承権剥奪の上、生涯の軟禁や島流しも有り得た。
だがサイモン王の判断は重臣たちの予想を超えるものだった。
「レイヴェン、お前はやっと私の期待にこたえてくれた」
サイモン王は生まれて初めて、息子に対して微笑みかける。
だがそれは断じて親が息子に向ける類のものではなかった。例えるなら入念に準備した罠に、漸く獲物がかかった狩人のそれであった。
「きた、い?」
「レイヴェン、そしてそれに従った魔法至上主義者共。貴様らの所業全て白日の下に晒し例外なく処断する。貴様以外はその親族も含めてだ」
それは重臣の予想を遥かに超える苛烈で重すぎる処罰であった。
先ほどまでは潔く沙汰を待っていたレイヴェンも、これには動揺を露わにする。
「そ…そんな……ち、父上! い…命はお許しを! 私はベリアル王国のために、必要な男です!」
「いや……お前の生より死が必要なのだ。だいたいお前はディアーヌを殺すつもりだったのだろうが。それが失敗したなら、殺されるのが当然だ」
「ち、父上……」
愕然とするレイヴェン。死の恐怖もそうだったが、サイモン王には息子を殺すことへの躊躇が欠片もない。それどころか息子を喜んで殺そうとしていた。それがレイヴェンの心をズタズタに引き裂く。
生まれてから一度も父親に愛されていなかったことを悟ったレイヴェンは、全てを諦めたように膝をついて、
「――――お待ちください父上!」
自分がずっと憎んでいた肉親の声を聞いた。
「姉、上?」
「なんだディアーヌ。お前もレイヴェンを処刑することには賛成していただろうが」
「ええ。私だって自分を卑劣な方法で殺そうとした人物を、ただ弟だからという理由で庇うほどお花畑じゃありません。ですが他に黒幕がいたなら別です」
「黒幕? そんな者がどこにいる? お前が余に渡した証拠に、そんな者の名前はまったく記されておらんぞ?」
「私の目の前におられます」
ぴたりとサイモン王の表情が固まる。ディアーヌは構わず告げた。
「黒幕は貴方です、父上」
「―――――――」
「ち、父上が黒幕!?」
サイモン王は破顔する。それは歪んではいたが、娘の成長を喜ぶ親の顔であった。
ディアーヌは真っ直ぐ犯人である父親を睨む。実のところこの”答え”に辿り着いたのはディアーヌではない。
真相に辿り着いてそれをディアーヌに教えてくれたのは――――そう、石田三成であった。
アナリーゼたちがベリアル王国を出る直前、ディアーヌは見送りにきていた。
なおアナリーゼとアスールの姿はここにはない。アナリーゼは食いすぎで腹を壊しトイレへ、アスールはその護衛としてついていったのだ。
残されたディアーヌと三成。黙ったまま突っ立っているのもなんだし、他愛のない雑談でもしようとディアーヌは口を開いて、
「…………私は私なりに、レイヴェンのことを愛していたし、仲良くなりたいと思ってたのに、どうしてこういうことになっちゃったのかな」
出てきたのは弱音だった。はっとして口を押えた時にはもう遅い。全てを言い終わった後だった。
「ご、ごめんなさい! こんなことを貴方に言っても仕方ないのについ……。忘れて――――」
「人の仲がこじれる原因はよく分からんものだが、今回に関しては別に不思議なものではない。最初からそうなるよう仕組まれていた」
だが三成から返ってきたのは慰めの言葉でも同情でもなく、黒幕の存在を示唆するものだった。
「どういうこと、ですか?」
「ベリアル国王は三人兄弟の末っ子で、魔法使いの素養も平均以下だったことから優秀な兄二人から酷い虐めにあっていて、周囲もそれを黙認していたそうだ。この国の魔法至上主義を恨むようになるのは当然だろう。
兄たち二人が互いに王位継承権争いで陰謀を巡らせ、二人とも自滅して死んだことでなし崩し的に玉座に座ることになったが、その憎しみは消えなかったのだろう」
それは娘であるディアーヌも知っている父サイモンの即位した経緯であった。
魔法の才能が乏しい父の即位は当時こそ周囲から不安に思われていたが、即位後に優れた統治を行ったことで、今ではベリアル王国の人間で父の王としての素質に疑問を持つ者はいない。
「……もし魔法至上主義への憎しみが消えていないなら、お父様はどうして魔法至上主義と等級制度をまだ残しているの? 私ならさっさとぶち壊してしまいますけど」
「誰も彼もが貴女やヴェロニカのように覇気と才気に満ちているわけではない。憎しみはあってもサイモン王には旧秩序を破壊する度胸も、新秩序を構築する創造力もなかったのだろう。
もしサイモン王が愚昧であれば破壊した後の新秩序など考えもせず、取り敢えず今の秩序を叩き壊していたかもしれないがな。ベリアル王国の民草にとっては幸運なことに、サイモン王は王としては賢君だった」
だが、と三成は続ける。
「そこへ貴女が生まれた。魔法の才能はまったくないが、自分にはない覇気と才気に満ちた娘だ。周囲は嘆いただろうが、国王は理想の後継者の誕生に歓喜しただろう。この者にならば、己のできなかった怨念返しを託せるとな」
ディアーヌは父親のことを思い出した。
魔法の才能ゼロというベリアル王国では人間以下扱いされる欠陥品として生まれながら、ディアーヌは父親がそれを残念がる姿を見たことがない。それどころか「お前はそれでいい」だとか「余にとっては自慢の娘」と度々言われてきた。
ディアーヌはそれを単なる気遣いだと思っていたのだが、三成の推察が事実ならば、紛れもない本心だったのだろう。
「だが間が悪いことに正室である貴女の母が亡くなったことで、周囲の者はしきりに後妻をとるよう勧めだし、無視できぬほどになっていた。そこで国王は敢えて生まれ身分が低く、等級も余り高くないものを側室としたのだろう」
ディアーヌの母親は王立魔法学園を首席卒業した一級魔法使いだった。父と違って母からは罵られた思い出しかなかった。
優秀な母体から魔法適性ゼロのディアーヌが生まれたなら、魔法の才能が乏しい母体からは同じように魔法の適性が低いものが生まれるだろうというのは、そう的外れな考えではない。そうでなければ婚姻統制など行われるはずないのだから。
「でもそうして生まれた子供は……レイヴェンは魔法の才能も、他の才能もずば抜けていた」
だが必ずしも優秀な魔法使い同士の両親から、優秀な魔法使いが生まれるとは限らない。トンビが鷹を産むこともあれば、その逆も有り得る。ディアーヌが後者の代表例で、レイヴェンは前者の代表例だった。
「これは俺の推測になるが、王はきっとレイヴェン殿下も魔法の才能に恵まれていないことを望んだのだろう。貴女の最も近しく頼りになる同志とするためにな。
だが魔法の才能に恵まれていることが分かってからは、それ以外が能無しであることを望んだ。貴女の当て馬にするためだ」
「魔法の才能はないけれど、それ以外の王としての才覚には溢れている王女。魔法の才能には溢れているけど、王としての才能はない盆暗王子。実に分かりやすい対比関係ですね。大衆受けしそうです」
「だがその望みも叶わなかった」
レイヴェンは魔法の才能に溢れている一方で、その他の才能も十分に持ち合わせている。
ディアーヌの存在がなく、レイヴェンが玉座につけば、それなりに良い政治をして名君と呼ばれるようになることだろう。
「しかし王がレイヴェンに望んだ最後の願望は叶った。レイヴェンは魔法至上主義者に成長して、その周囲には同じ思想の持ち主が集まった。あとはレイヴェンの暴発を待つだけだ」
「レイヴェンとそれに群がった魔法至上主義者は卑劣な犯罪者に転落して、一網打尽……ですか」
戦慄した。血を分けた息子を生け贄として育て上げる謀略。およそ人の親のするものではない。
王としてディアーヌは父は勿論、歴代のベリアル国王全てを凌駕するつもりでいるが、謀略家としては生涯父親を超えることはできないだろう。
「以上……ここまでなんの根拠もない、俺の推測だ。ではこれにて失礼する」
「待った! 失礼しないで! 最後に一つ、聞かせてください。なんでこのことを私に教えてくれたんですか?」
「…………アナリーゼが、貴女と弟が殺しあうことに気分を害していた」
「それだけですか?」
「話せば長くなる。二刻ほど時間を貰うぞ」
「一時間も貰わないでください。要点だけお願いします」
「…………代償行為、かもしれん。俺は嘗て止められなかった」
「なにをです?」
「望んだ子を後継者にするためとはいえ、対抗馬であった御方を謂れなき理由で殺すことをだ」
秀次事件。ディアーヌは勿論この世界の人間が知るはずのないことだが、アナリーゼのいた世界では日本史における大事件として記録されている。
時の権力者である豊臣秀吉は実子である秀頼に後を継がせるために、既に家督を相続していた甥の秀次に無実の罪を着せて切腹させた。更にはその子供や愛妾に家臣まで連座で虐殺したという。歴史学者の中にも豊臣政権崩壊の原因をこの秀次事件とする者は数多くいる。
「…………話は終わった。では今度こそ失礼する」
「最後にあと一つだけ。その家はその後どうなりましたか?」
「…………守れなかった」
「そうですか」
ディアーヌは秀次事件や豊臣政権のことなど欠片も知らないが、三成の悔しさに滲んだ表情から大体の事情を察した。
そして石田三成という男についても。
「ではいい加減失礼する」
「ヴェロニカに公爵の婿の立場を提示されても断ったそうですね。もしこれが女王の婿なら、どういう反応になりますか?」
「同じことを二度言うのは嫌いだ。世には利害を超えて通すべき義がある。そう確かに言ったはずだが、記憶にござらんか?」
例えこの世の全ての地位と名誉と財産を提示されようとも、自分はアナリーゼのもとから離れることはない。視線でそう告げていた。
ヴェロニカの気持ちを痛いほどに理解する。これは、この男は――――王として、たまらなく欲しい。
だが無理強いして嫌われては元も子もない。このままふん縛って自分のものにしたい欲望を抑えつつ、ディアーヌは口を開く。
「そうでしたね……それじゃ三成さん、また来年。今度は同じ学び舎で、また一緒にご飯を食べましょう」
「では本当に失礼する」
そうして三成は去っていく。その先には漸くトイレから出てきたアナリーゼがいた。
そして時は現在へ巻き戻る。
ディアーヌは三国一の謀略家を前に堂々と啖呵をきった。
「お父様。私はレイヴェンを……私の弟を生贄にした天下などいりません! 私は私の好きな王になります!」
「世迷言を言うな! どうあれレイヴェンはお前を殺そうとしたのだ!」
レイヴェンを心底嫌っているサイモン王は、息子を殺したがっているのだ。そして王太女暗殺未遂という、殺すだけの正当な理由を持っている。だからサイモン王が譲ることはない。
だがディアーヌにはまだ切れるカードは残っていた。
「どうしてもレイヴェンを殺すというのであれば、私もこのような国に未練はありません。王位継承権は返上し、他国……そうアガレス公爵家にでも亡命させていただきます」
それは自分自身だった。
初めてサイモン王に焦りの表情が浮かんだ。自分の野望のためにディアーヌを次の王にしたいサイモン王にとって、ディアーヌが王位継承権を放棄していなくなるのは、己の人生に敗北することを意味する。
「な、なにを申すかディアーヌ! 気が狂ったか!?」
「なっ! 何故です姉上、貴女を殺そうとした私をどうしてそこまで!」
「弟だから情けをかけた――――――だけじゃありませんよ、勿論。私が望む天下にはレイヴェン・ベリアルが必要だからです。魔法の才能も、それ以外の才能も、貴方の全部が」
「あね、うえ」
ぽろぽろとレイヴェンの目から涙が零れ落ちる。
今更になって後悔した。変に遠慮などせずもっとレイヴェンと殴り合うくらいの勢いで話し合っていれば良かったと。
だが三成のお陰でまだ取り返しがつく。これからなのだ。
「さあ選んでください! 私とレイヴェンの両方を失うか! 両方を得るか!」
「…………ディアーヌ。余はお前のことを、最大限に評価し愛していたが、足らなかったようだ。罪は罪。レイヴェンは王位継承権を剥奪する。あとは、お前の好きにせい」
それはまだディアーヌは未成年故に正式なものではなかったが国王による禅譲宣言であった。
この世界の人間の誰も知らぬことではあるが、ゲームにおいてレイヴェン・ベリアルはディアーヌの過去回想にのみ登場するキャラクターであった。過去回想での役割は自らの手で引導を渡した弟。つまりゲームにおいてレイヴェンはディアーヌの手で殺されていたのだ。
だがそんな悲しい運命はアナリーゼが召喚した石田三成という異物によって、木っ端微塵に吹き飛んだのであった。
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