第3話 大図書館と翻訳魔法
バエル王国の王都シリウスはアガレス領を北上した先にある。
首都の名前がシリウスで、アガレス領の領都の名前がアルタルフなので、この世界の都市名は現実世界の星の名前からとられているのだろう。
初めて訪れた王都は活気が溢れていて、市場では商人が威勢よく張り上げた声がよく響いていた。だが少し路地裏を覗いてみると浮浪児や物乞いがいて、アナリーゼは中世ヨーロッパ風異世界の闇を垣間見たような気がした。
同行していたヘンリーに「危ないので近づいてはいけません!」と窘められつつ、目的地である王立図書館へ向かう。
そして辿り着いた図書館は、
「わお! こ、これはでっかいわねー!」
「……その程度の語彙しかないのか?」
「シャラップ」
呆れる三成を余所に王立図書館を見上げる。
庶民出身のアナリーゼにはこの見事な造形の巨大な建物を上手く形容する術を持たないが、失われたアレクサンドリア図書館が現代にも残っていたら、こういう形をしていたのかもしれないと思った。
一般人なら入館には許可が必要な王立図書館だが、公爵令嬢であるアナリーゼとそのお付きの者たちは、公爵令嬢としての身分証明をすればフリーパスである。王立図書館に足を踏み入れたアナリーゼは、またしても圧倒された。
左を見ても右を見ても所狭しと並ぶ本棚。きっと百人の人間が一生かけたとしても、ここにある本の全てを読むことは叶わないだろう。
「素晴らしいな、これは。この図書館を築き上げた者は、太閤殿下にも迫る稀代の偉人だろう」
異世界人である三成もこの図書館には感じ入るものがあったようだ。豊臣秀吉を敬愛する三成にとって、太閤殿下に迫るというのは最高峰の誉め言葉である。
それからアナリーゼは王都の宿泊施設を貸切り(一部屋借りるだけで良いと言ったがヘンリーに却下された)一週間この王立図書館に通いつめ知識を吸収していった。
「……奇妙なものだ。まったく習った覚えのない文字を、慣れ親しんだ言葉のように読めるというのはな」
地理に関する本を見ながら三成が言う。
異世界の本は当然異世界の言語で記されていたが、アナリーゼと三成は特に苦労せず読むことが出来ていた。
「きっとこの世界に召喚された時に翻訳魔法的なものが働いたのよ。ゲームじゃなきゃ許されないご都合主義ね。この世界が乙女ゲーで良かったわ!」
「だが知らぬうちに魂を弄繰り回されたようで気味が悪い」
「そういう気持ちもわかるけど、今はご都合主義に感謝しときましょーよ!」
ゲームのプレイヤーならこういうご都合主義に不満を持つ層もいたかもしれない。だが実際に恩恵を受ける立場からしたら、ご都合主義万々歳だ。いっそご都合主義が天元突破して、元の世界に復活できないものかと思わずにはいられない。そう思って毎晩ベッドで寝ても、望んだ夢オチENDには辿り着けなかったが。
「このソロモン大陸には三つの国があり、アガレス公爵家が属するバエル王国は三国の中で最も広大な国土と国力をもつ国、か」
三成が大陸の地図を見ながら呟く。
ソロモン大陸の南半分を支配するバエル王国に対して、北を支配するアスモデウス王国、そしてバエル王国の北西にちょこんとあるベリアル王国。
国力比はだいたいバエル王国が50、アスモデウス王国が40、ベリアル王国が10という割合らしい。
「どうやら基本的にはバエル王国とアスモデウス王国が争い合い、小国のベリアル王国はその両国の間で上手く立ち回って来たらしいな」
「あ、三成さん。この本によればバエル王国だけがソロモン王家の盟主として”大王”を名乗ってきたんですって。あ、それで今はこの国ってベリアル王国とは仲が良いんだけど、アスモデウス王国とは仲が悪いらしいわ!」
「だとすれば両国の首脳部は準備をしている頃かもしれないな」
「なんの準備? 仲良くなるためのお祭りとか? オリンピック?」
「戦だ」
「ぶふーっ!」
さらりと出てきた戦の一文字にアナリーゼはむせ込んでしまう。
アナリーゼが生きていた2021年当時、まだ戦争は遠い世界のことだったのだ。
「そ、そんな簡単に戦争なんてよくないんじゃないかな!?」
「この歴史書によればつい六年前までバエル王国とアスモデウス王国は戦争をしていたらしい。一応の和平は結ばれたそうだが、たった六年では、まだ戦の熱も消えてはいないだろう」
「じゃ、じゃあ私が死ぬのもこの戦争が関わってたりするのかしら!? 戦争を回避すれば私の未来も変わる……?」
「戦争のための大重税で民衆の不満がたまり、爆発。反乱が起きて国家転覆……そして革命。まぁ、ありがちだな」
確かに現実世界の歴史でも、何度も起きたことである。そこそこ歴史好きの高校生なら図書室にある数少ない漫画の三国志を読んで、黄巾の乱くらいは知っているだろう。
アナリーゼは王都に来るときに路地裏で見た物乞いや浮浪者を思い出す。彼ら一人一人の力は吹けば飛ぶようなものに過ぎないが、それが一万人十万人と集まれば、国家を揺るがす台風になるのは歴史が証明していた。
「……それよりアナリーゼ。世界のことばかりではなく、お前自身のことも調べたのだろうな?」
「もちろんよ!」
転生した拍子に、転生先の知識を全て継承するなんていうご都合主義に恵まれなかったアナリーゼは、自分で自分のことをあの手この手を使って調べまくった。
「私はアナリーゼ・アガレス! 王位継承権は第五位!」
「五位か。一位とか二位ではなく五位で一先ず良かったな」
「まあ今のロイヤルファミリーがいるからね。でも貴族の中じゃ一番高いのよ」
「もう一つ重要なことを。この『おとめげー』には主人公がいるのだろう? 源氏物語における光源氏だ。それはどういう人物なのだ?」
「公式サイトの紹介文と一言台詞でしか知らないけど、まず爵位は私と同じ公爵家のウァレフォル家出身よ。アガレス家と一緒に二大公爵家って呼ばれてるみたい。あ、それとアナリーゼの紹介文に 『同じ公爵令嬢ながら主人公とは真逆に、民もなにも顧みない我儘お嬢様』って書いてあったから、逆説的に民を顧みる心を持ってるんじゃないかしら?」
「五大老でいうとお前は家康で、主人公が上杉殿か」
やはり三成の中では悪玉は徳川家康のほうらしい。
複雑な事情があったとはいえ、三成からしたら主君の息子を死に追いやり滅亡させたのだから当然だろう。
その後の徳川家康が開いた江戸幕府の功績なんて、三成からしたらなんの価値もないことなのだ。
だがアナリーゼとしては家康に思うところは特にないので、一応心の中で「ごめんなさい」と謝っておいた。
「あ、そうそう。主人公だから魔法とか色んなスペックがトップクラスなんだけど、それ以上に重要なのが主人公の性格よ! 公式サイトの紹介文によれば乙女ゲーのテンプレートに真っ向から逆らう女版曹操みたいな覇王タイプの主人公っぽかったわ!」
「どういう女だ」
「えーと、確か公式サイトにあった一言台詞は……」
アナリーゼはゲームの登場人物覧で、一緒にのっているキャラの印象的な台詞を記憶から掘り起こす。
イラストからでも分かるエネルギッシュさを漲らせてこの世界の主人公、ヴェロニカ・ウァレフォルはこう言っていたのだ。
『でっかい足跡を残すの! 百年千年先まで残るでっかい足跡を!』
余りにも衝撃的でサンプルボイスも聞いたから印象に残っている。
「こんな女だったわ」
「曹操ほどの大器の持ち主なら、多少腐敗した公爵令嬢など歯牙にもかけんのではないか?」
「多少じゃないんでしょうね」
どんよりとした空気になる。
自分で犯した罪を自分で責任をとるのは当たり前のことだ。だが自分が転生する前のアナリーゼ・アガレスのやらかしの責任も、自分がとらないといけないかもしれないというのは酷く憂鬱だった。
「ね、ねえ。いっそこのまま大人しく暮らして、主人公が台頭してきたらおべっか使いまくれば生き残れたりしないかしら?」
「己の生死を、その主人公とやらに握らせていいならば好きにしろ」
「うっ」
そう言われたらなにも反論できなかった。
「……最近の時事を見る限り、ヴェロニカ・ウァレフォルは相当の有名人らしいな。市井の歌唱大会に飛び入り参加して優勝した翌日には、貴族の子弟も参加する”ぴあの”とやらの大会で見事な演奏をして優勝。他にも”みすこん”だとか女性剣術大会とやらでも悉く優勝。正に多芸多才、才気煥発。今曹操というお前の評もあながち嘘ではないのかもしれない」
三国志の英雄である曹操は文武両道で優れた覇者であると同時に、優れた芸術家でもあったという。
ヴェロニカ・ウァレフォルの万能っぷりはそれに近いものがあった。
「あと王位継承権もあるらしいわよ。私より低い八位みたいだけど」
「王位継承権八位の公爵令嬢……だがお前の死は『革命』による処刑。このヴェロニカが主人公ということは、王位継承権があるのに革命に参加したのか。まったく枠に囚われん女だ」
「でも革命でギロチンにされるルートは複数あるうちの一つに過ぎないから、中には王位継承権争いとか、クーデターとかで死んだりすることもあるんじゃないかしら」
「何をどうしたって死という末路を迎えるなど、お前はどれだけ酷い横暴を働くのだ? 俺だって我が身の安寧のみを図っていたら、家康の支配する世でも命を繋いでいた自信があるぞ。死んでもやらんが」
「知ってたら苦労しないわよ、ファック! せめてゲームを完クリしてから転生させなさいよチクショーめ!!」
「意味は分からんが下品に聞こえた。今は近くに俺しかいないからいいが、他人に聞かれてはお前の品位が下がる。やめておけ」
「わ、分かっているわよ。あ、そうだ三成さん。私のほうで色々魔法についても調べてみたんだけど、異世界から召喚された人を元の世界へ送り返す魔法なんてなかったわ」
「だろうと思った。俺をこの世界に呼び寄せたのがお前の家に伝わる『超魔法』とやらなら、送り返すことができるのも『超魔法』くらいだろう」
「そうね」
もしかしたら異世界召喚と反対の、異世界送喚なんて魔法を受け継いでいる家がどこかにあるかもしれない。
異世界召喚以上に何に使うのか分からない魔法だが。
「超魔法もそうだが、俺は通常の魔法というものも大いに気になる」
「あ、やっぱり!」
待ってましたと言わんばかりにアナリーゼは身を乗り出した。目はキラキラと輝かせてニコニコと笑うアナリーゼに、若干三成は気圧されていた。
「分かる! 分かるわよ三成さん! 私がこの世界にきて初めてしたのは魔法チャレンジからの魔法ぶっぱだったもの! お陰で木が一本吹き飛んでしまったわ!」
「……この世界のことを調べるのを、後回しにしてか?」
目を半月にした三成が言う。
「しょ、しょうがないじゃない! 夢にまで見た魔法よ魔法! ファンタスティック! 使えるかもってなったら使いたいじゃない! そして使えたわ、サイコー!」
アナリーゼもハリーポッターを見て育った人間である。叶わぬと知って魔法使いになりたいと思ったことはあった。エクスペクトパトローナムと叫んだことも、アバダケダブラと唱えたこともある。
その夢が叶ったことは、今のところ三成と出会えたことを除けばたった一つだけ、異世界転生して良かったと思えたことである。
三成の呆れ顔から逃れるように、アナリーゼは魔法の本をテーブルに広げた。
「この世界の魔法は火、水、土、風の基本四属性に回復とバフ特化の白魔法と、デバフ特化の黒魔法にわけられてるオーソドックスな設定よ」
「おおそどくす?」
「一般的ってこと! ちなみに私は土属性だったわ!」
ゲームの世界だけあって魔法の設定もゲームっぽいものだった。
火は火力に秀でていて、風はスピード、水はバランスが良く属性魔法で唯一回復魔法が使える。そしてアナリーゼの土属性は防御や質量攻撃に優れているという特徴があった。
「折角だし三成さんの魔法適正も見てあげるわ。この測定の魔導書を持つだけだから簡単よ」
「むっ」
三成が魔導書を受け取ると属性は『土』で魔法適正は『52』と出た。適正値は100点満点なので52というのはそこそこの数値である。
「あら。土同士でお揃いね。なんなら私が教えてさしあげても宜しくってよ? オーホホホホホホホホホッ!」
「なんだその品のない笑い方は。五月蠅いからやめろ」
「お、お嬢様っていったらこうかな~って」
ちなみにアナリーゼは99だった。
この世界が素質が飛びぬけていれば軍隊相手に単騎無双できるような世界観なら、世界情勢や政治の勉強するより魔法の実力を伸ばすことに専念していたであろう素質である。
だが残念なことにこの世界では素質が100だろうと数の暴力には敵わない世界観。歴史上の大魔法使いが、魔法の使えない兵士に殺された事例をつい昨日歴史書を読んでいて見つけたものだ。
「それじゃあ一段落したし、そろそろ戻りましょうか」
「……俺は一人で寄りたいところがある。先に戻っていろ」
「三成さん、この世界じゃ身元不明だし、一人じゃ戻ってこれないでしょう? いつもの場所で待ってるわよ」
そうか、とだけ素っ気なく言うと三成は王立図書館からさっさと出て行ってしまった。
アナリーゼは後をつけようかという欲望にかかれたが、やめることにした。三成が一人で寄りたいと言ったということは、一人がいいのだろう。邪魔するものではない。アナリーゼはそう思った。




