第27話 漫画と旅行
あれから漫画を知るアナリーゼの提案もあって、マルグリットは本格的に漫画を書き始めた。
アナリーゼは前世を知る人間としてマルグリットが創造した新しい媒体に『漫画』という名前を提案したかったが、あくまでもこの世界の創造者はマルグリットである。なので命名もマルグリットに任せたのだが、歴史の修正力みたいなものが働いたのか、マルグリットは誰に言われるまでもなく『漫画』と名付けた。
そうして三か月後、遂にマルグリットが作り上げた漫画本の第一作がアガレス領に届いた。
この世界に転生してから初めて見る漫画に、アナリーゼは興奮を隠しきれず、生唾を飲み込みながら手にとる。
「三成さん三成さん! メアリから『漫画』が届いたわよ! ただの日記じゃなくて物語として執筆した初めての作品よ!」
「ふむ。どれどれ……」
「あ」
本当は自分が最初に読みたかったのに、三成に先に読み始められてしまった。
読んでる途中で奪うのは悪い。仕方ないのでアナリーゼは三成が読み終えるまで待つことにした。
「少なくとも読んでいて苦痛も退屈も覚えん。頁を早くめくりたいと思いながら、もっとじっくりと見ていたいと相反する感情が渦巻く。悪くない」
三成は熟読し終えてそうコメントした。
基本的に辛口評価の多い三成が「悪くない」と言うということは、面白いということだろう。
「じゃあ次は私のターンね!」
待ってましたと言わんばかりにアナリーゼが三成から漫画本を奪い取る。
気になる内容はといえば――――なんと武侠物だった。
マルグリットのことだからきっと恋愛物か、日常物か、意外枠でミステリーあたりだと予想していたら、斜め上どころか亜空間へ吹っ飛んでいった。
「五百年前のバエル王国を舞台に、伏魔殿から解き放たれた百八人の魔王の転生者が、やがて約束された地エデンへと集い、汚職役人や賊を討滅し、王国に静謐を取り戻す。こ、これって……」
明らかに三国志や西遊記と並んで中国四大奇書に名を連ねる古典文学、水滸伝だった。
登場人物の名前は全て異世界風になっているし、舞台も年代もバエル王国の年代を参照しているが、あらすじと内容からいって間違いない。
「どうしたアナリーゼ。この漫画になにか思うところがあるのか?」
三成は気付いた様子はない。
(そういえば水滸伝が日本に伝わったのって江戸時代初期のことだったわね)
ならば戦国時代末期に刑死した三成が知っているわけがない。
だが、とアナリーゼは漫画本を読み進めた。
異世界人であるマルグリットが水滸伝の内容を知っているはずがない。ということはマルグリットはゼロからこの物語を作り出したのだろう。
面白い漫画を描くには絵を描くための画力と、ストーリーを考える構成力が不可欠だ。作画の実力は前にマルグリットの絵を見て知っていたが、どうやら原作者としても一流であったらしい。
「しかしこれほど豪快で荒々しい物語を描くとはな。案外もしも生来の病弱さがなければ、あの王子と同じような腕白娘になったかもしれん」
「有り得るわね。ザリガニ釣りも結構ノリノリで楽しんでたし」
野山を豪快に駆け回るマルグリットを想像する。側には素手で仕留めた熊を担いで、誇らし気なヴィクトリス王子。
やけにしっくりときた。この世界が乙女ゲームであることを考慮すると、攻略キャラのヴィクトリスとサブキャラに過ぎないマルグリットが結ばれるルートが存在するとは思えないのだが、なんとなくこのカップリングは運命的なものに思えた。
その後、マルグリットが発表した『水のほとり物語』は王都の書店にも並ぶことになるのだが、
「売り上げが芳しくないってどういうこと!?」
「どのような時代でも新しく生まれたものは低俗だのなんだのと言われるものだ。ノアによれば、貴族や学者は『こんなものは馬鹿の読む本』だと罵っているらしいな」
「くっ! そりゃ日本でも漫画作品に対するいわれなき誹謗中傷はあったけど、まさか乙女ゲー世界でも同じことが!」
思わず「ファック!」と叫ぶアナリーゼであったが、一方で先入観に囚われずに良いものを素直に良いと思える人間には受けていた。
例えばヴェロニカ・ウァレフォルなどは、
「小説とも演劇とも違う……『漫画』っていうの? これ面白いわ! バジル! ファンレター書くわよ!」
「公爵令嬢が飯食いながらマンガ読むんじゃねーよ」
このように周囲を呆れさせるほど漫画に嵌まっていた。
こうしてマルグリットの漫画は、極一部の貴族と平民の間で、口コミで徐々に広がっていくことになる。
そしていよいよアナリーゼの王立学園入学の年が近づいてきた頃、アナリーゼは毎度の如く三成を自室に招いて、何回目かになるか分からない対策会議を開いた。
司会進行役はアナリーゼ、ツッコミとアドバイサーは三成のいつもの布陣である。
「マルグリットの漫画のことは……どうでもよくないけど、私たちになにかできるってことでもないし、今は置いておきましょう。それより私たちのシリウス王立学園への入学が迫ってきているから対策しましょう!」
「簡単に『私たち』と一括りにするな。公爵令嬢と違い、新参男爵の俺は政務と並行して受験勉強をしなければならん。落ちたらどうする」
乙女ゲームの舞台であるシリウス王立学園に試験なしの推薦で入学できるのは、伯爵家以上の貴族出身者に限られる。
それ以外は子爵だろうと騎士爵だろうと平民だろうと、平等に同じ試験を受験して合格しなければならない。貴族だけ履かしてもらえる下駄なんてものもない。
「み、三成さんならダイジョーブよ! だ、だってほら……関ヶ原の戦いを起こした教科書にものってる凄い人じゃない! 教科書にのることに比べたら、教科書の内容覚えるなんて簡単なことだわ! とってもイージー!」
「机上の学問の優秀さが実務の優秀さとは限らん。その逆も然りだ。数ある王立学園でも王都シリウスのそれは最難関。門は狭い」
「でもどんなに狭い門でも、三成さんは通ってきてくれるんでしょう?」
「無論だ」
「…………」
こういう風に欲しい言葉を言ってくれる三成はズルいと、アナリーゼはそう思った。
アナリーゼは五月蠅い心臓の音を誤魔化すように話題を変える。
「じゃ、じゃあ三成さんは合格したものとして、未来のこと話しましょ! ゲームでのシナリオだと来年入学するのは主人公のヴェロニカ、ヴィクトリス殿下、マルグリット、そして悪役令嬢である『アナリーゼ』。ヘンリーは私の従者として、バジルはヴェロニカの従者として同行するわ」
伯爵より下の貴族は受験でこそなんの特権もないが入学後は別だ。
爵位持ちの貴族の子弟は学校に一人だけ従者を同行させることができるのである。
「残る『攻略きゃら』は前に話した『平民出身の特待生』と『軍人貴族の息子』か」
「ええ。その二人の攻略キャラはどっちも(私の入学時には)二年生よ。同級生キャラにヴィクトリス殿下がいたから、ばらけさせたのね。私的には三年生攻略キャラと後輩キャラがいないのはポイントマイナスよ」
「どうでもいい」
「けど警戒するのはその二人だけじゃないわ! もう一人、攻略キャラじゃないけどメインキャラとして公式サイトのキャラ紹介にも名前があった子も一緒に入学してくるの!
公式サイトによれば彼女は、踏み台悪役令嬢アナリーゼと違う、主人公の正統派ライバルキャラって話! デンジャラスよ!」
「どういう人物なんだ?」
「バエル王国の友好国でもあるベリアル王国の王女で留学生よ! 名前はディアーヌ・ベリアル! 性格は自分の国の繁栄を第一に考える人物で、善良。なによりヴェロニカのことを気に入っていて、自分の家臣にしたいと内心思ってる――――って公式サイトに書いてあったわ!」
「バエル王国の王族とは大違いだ。人格か能力のどちらかを交換してはくれないものか」
それはアナリーゼも同感だが、ベリアル王国側が拒否するだろう。無償トレードでもクーリングオフされるに違いない。
「あ、そうそう。公式サイトには他にも長女にして次期女王でありながら、生まれつき魔法がまったく使えないせいで、周囲からは能無し扱いされてた……って書いてあったわ!」
「……? なぜ魔法が使えないだけで能無し扱いされるのだ?」
バエル王国では魔法の実力は、武力や学力など数多ある才能の一つという扱いである。魔法の才能がなくても、他に優れた才能があれば周囲からは尊敬の目を向けられる。
それは貴族だろうと平民だろうと、王族であっても同じことだ。だが三国の中でベリアル王国だけは違うのである。
「ベリアル王国は超魔法を伝承していた貴族が、他の国に寝返ったり殺されたりで全滅しちゃった後、王族の超魔法でぎりぎり生き残った背景があるのよ」
「だから過剰なまでに魔法を崇めるようになったと?」
「らしいわ。今じゃ魔法至上国家になってるとかなんとか」
「阿呆らしい。刑部殿などは殆ど目が見えないでも、将として偉大であり続けた。魔法が使えない程度がなんだというのだ」
「私もそう思う……けど私的にはそんな優秀な人が王になるより魔法こそぜったーいで他はむの~って人が、王様になってくれたほうがありがたいのよねぇ」
「それもそうだ」
敵が強ければ強いほど燃えるなんていう闘争心は、アナリーゼの中には欠片もない。
敵は弱ければ弱いほど、そして味方は強ければ強いほど良かった。
「ともかく要注意人物はこの三人よ! ……ヴィクトリス殿下はマルグリットと婚約していい感じだし、ヘンリーはユメリアって子といい感じらしいから、この二人は心配いらない、と思いたいけど」
「その三人はノアに調べさせよう。しかし魔法至上主義の国か。一度見に行ってみたいものだな」
「なら行ってみる? 険悪なアスモデウス王国と違って、ベリアル王国は友好国だから、入国は難しくなさそうだけど」
三成はアナリーゼが持ってきた資料に紛れ込んでいた観光ガイドを手にとる。
「ふむふむ。このベリアル王国の『観光がいど』によると、ベリアル王国には大陸一の魔法学校があり、有数の観光地でもあるらしい。公爵令嬢の学園入学前の旅行先としては、別に不自然でもないだろう」
「魔法学校! いいわね魔法学校! ホグワーツみたいなお城なのかしら! ファンタスティック!」
こうしてアナリーゼと三成は気分転換も兼ねてベリアル王国へ、旅行へ行くことになった。
まだ見ぬ魔法至上主義国家でどんなことが待ち受けているのか、アナリーゼはまだ知らない。