第26話 ザリガニ令嬢とプロメテウスの火
近くの田んぼへやって来たアナリーゼは首尾よく土魔法で、ザリガニ釣り用の釣り竿を作り上げた。
魔法の便利さをしみじみと感じながらアナリーゼは高らかに宣言する。
「それじゃ第一回! ザリガニ釣り大会の始まりよ! ザリガニは食べれるところが少ないから、とにかく何十匹も釣らないと食べ応えがないわ! じゃんじゃん釣りましょう! フィッシュフィッシュ!」
「そうなのか。勉強になるな」
「勉強しないでください」
目を輝かせるヴィクトリス王子に、相変わらずテレーゼは困った様子だ。
そしてザリガニ釣り用の釣り竿とアナリーゼを見比べながらおどおどしていたマルグリットにヴィクトリス王子が気付く。
「マルグリット嬢、君もやってみないか? 楽しそうだし、泥だらけになっても心配無用。テレーゼは水魔法の達人だ。特に洗浄魔法にかけてはなかなかのものだぞ」
「私もここまで洗浄魔法を極めるつもりなんてありませんでしたよ。お仕えしているのが貴方様でなければ」
きっとヴィクトリス王子が城を抜け出しては泥だらけになる度に、テレーゼが魔法で洗浄していたのだろう。
マルグリットは「それじゃあ」とはにかんだ。
「ちょ、ちょこっとだけやってみますね?」
「ああ!」
ヴィクトリス王子とマルグリットは隣り合って初めて体験するザリガニ釣りに悪戦苦闘している。そんな二人をやれやれと眺めるテレーゼは、口元がほんの少し緩んでいた。主に苦労させられてはいるが、同時に主のことを敬愛もしているのだろう。
自分もまたザリガニ釣りに勤しみながらアナリーゼは、作戦成功を確信してガッツポーズした。
「(見て見て三成さん! 殿下とマルグリットったら、二人でザリガニ釣りの悪戦苦闘してるわ! グッドムード! ザリガニ釣り作戦大成功ね!)」
「(王族と貴族の逢い引きが、あれでいいのか)」
確かに華はないかもしれないが、本人同士がエンジョイしているからいいのだ。
それから日が暮れるまでザリガニ釣りを続け、いよいよ結果発表である。
全員分のバケツには其々大量のザリガニ、取り敢えず誰一人としてぼうずはいなかったようでなによりであった。
気になる結果は以下の通りであった。
アナリーゼ:91匹
三成:85匹
ヴィクトリス:57匹
マルグリット:77匹
テレーゼ:56匹
この結果にアナリーゼは勝鬨を上げた。
「ダントツ優勝は91匹の私! アイアムナンバーワン! そして三成さんがナンバーツー! ワンツーフィニッシュ!」
「ザリガニ釣りはともかく、釣りの経験はある。そう、あれは思い起こせば十五年前……」
「わ、私がブービー賞でテレーゼがビリでワーストワンツーフィニッシュだと……?」
アナリーゼと反対に膝を屈して敗北感に打ちひしがれたのはヴィクトリスであった。
ザリガニ釣りは初体験とはいえ、きっと釣りの経験はあったのだろう。それだけに経験者であるアナリーゼは兎も角、他の者にも負けたのがショックだったに違いない。
「殿下のことはどうでもいいんです。それよりマルグリット様、初めてで77匹は凄いですよ!」
「う、運が良かったんですよ。それにアナリーゼ様に比べたら全然」
「私は経験者だもの。有利なのは当たり前よ。でもマルグリットは初陣にしてこの戦果。もしかしたら達人の素養があるのかもしれないわ」
ザリガニ釣りの才能があることが、なんの役に立つかは分からないが才能は才能だ。
「まぁ待て。マルグリットは私の婚約者予定なのだから、マルグリットの分は私のチームに加えるということで、私たちの勝利でいいのではないか?」
「それだと3対2になるじゃないですか! 駄目ですよ!」
「勝ち負けなんていいじゃありませんか、沢山釣れたですから。はい、纏めて魔法で洗浄するのでバケツを渡してください」
「何を言う! 大事な問題だぞこれは!」
「そうよ!」
アナリーゼとヴィクトリスが大人げない言い争いをしていると、マルグリットが笑い始めた。
「ふふ、あははははははははははは! あははははははははははは!」
それも貴族の淑女らしい上品なものではなく、子供っぽい心底可笑しいという笑い声だった。
全員の視線がマルグリットに向くと、笑いを堪えようとして失敗しながら言った。
「ご、ごめんなさい! 泥だらけになって、ザリガニが釣った数であーだーこうだと言い争う……それだけなのに、なにか可笑しくて楽しくて、あはははははは!」
なんだか場がほんわかした空気に包まれる。
「えーと、それじゃあ皆さま大漁ということで全員優勝ということにしておきましょうか」
そしてそんな空気を察したテレーゼが場を纏めようとした。だが残念ながら今のアナリーゼとヴィクトリスは体がデカいだけの小僧に成り果てていた。
「いいえ、私は不正勝利には断固抗うわ! 裁判よ!」
「望むところだ!」
それからアナリーゼとヴィクトリスの子供っぽい言い争いは暫く続いた。
その間、ずっとマルグリットは笑っていて、三成は無言で、テレーゼは額を抑えていた。
その後、帰りが遅くなったのは言うまでもない。
ハルファス家に戻った一行は、ハルファス夫人より説教を受けた。
それから大量のザリガニ料理つきの夕食に舌鼓をうち、その日はヴィクトリスもアナリーゼもハルファス家に泊まることとなった。
夜、スケッチブックに熱心になにかを描くマルグリットをヴィクトリスが見つける。
「おや、マルグリット。何を描いているのだ?」
「今日あったことを絵に残しているんです。私の日課なんですよ」
「絵か。私も絵は描くが……こういう形のものは見たことがないな」
「あ、マルグリット! 私にも見せて!」
絵に詳しいはずのヴィクトリスが見たことがない、と言ったことに興味を覚えてアナリーゼも絵を覗き込んでみた。
「――――っ!」
そして絶句する。
絵というのは画用紙一枚に一つの絵を描くものだが、マルグリットのそれは画用紙を複数のコマで割って、そこに連続する情景の変化を描いていたのだ。
「ごめんなさい。殿下にお見せできるようなものではなくて」
「何を言う。私は絵というのは一枚で完成されたものと思っていたが、こういう表現の仕方もあるなどとは考えもしなかった」
「戦で目の当たりにしたことを、この形で絵にすれば、より詳細な報告をすることができるやもしれん。いや……舞台役者の芸を映し出せば、舞台に通わず、何度も繰り返して芸を見ることだってできる」
「だが絵だけでは伝わりにくいところもあるな。そうだ! 絵に加えて、喋った言葉を文章にして一緒に書いておくというのはどうだ? これならより詳細に伝わるはずだ」
「なるほど……文章……じゃあここの殿下のところには、『はははははは! 四十匹目ゲットォォォオオ!!』と」
「……ところでどうしたアナリーゼ? さっきから顔が綻びっぱなしだ」
「ううん、ちょっと人類が初めて火をつけるところを目の当たりにした気分なの」
大袈裟ではない。それはこの世界の人類の歴史上では細やかかもしれないが、確かにこれまでには存在しなかったものが生み出されたのだ。
マルグリットが新たに生み出して、ヴィクトリスの助言で完成した、小説とも絵とも異なる新たな媒体の名をアナリーゼの世界では”漫画”と呼んだ。
翌日。アナリーゼたちは公爵家へ、ヴィクトリスたちは王都へ戻る日がきた。
最初に来た時と同じようにハルファス家からは当主であるハルファス夫人を始めとした全員が見送りに外へ出ていた。
「この度は当家に足を運んでいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ有意義な時間を過ごせた。今度はお忍びではなく『正式』に訪問したい」
「そ、それはつまり!?」
「マルグリット、また君に会いに来たい。いいかね?」
ヴィクトリスのそれは実質的にプロポーズのようなものだった。
アナリーゼと三成どころか、その場にいる全ての人間の視線がマルグリットへ注がれる。
「喜んで、殿下」
果たしてマルグリットの答えはOKだった。
ハルファス夫人は小躍りして、ハルファス家の家臣には感動で咽び泣く者もいた。
(二人の恋のキューピットはザリガニでした……なんてね♪)
田んぼのほうを見ながらアナリーゼは微笑む。
それから暫くして第三王子ヴィクトリスと、ハルファス家次女のマルグリット・ハルファスの婚約が発表された。
更にそれより遥かに細やかなニュースであるが、マルグリット・ハルファス嬢が漫画なる新しい形態の本を発表したらしいという噂も同時に流れることとなった。
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