第2話 懇願と承諾
あれから地下室からアナリーゼの私室に場所を移して、情報共有を行った。
アナリーゼの立場からすると、なにがなんでも三成には味方になってもらって、死亡フラグ回避のためのアドバイスを貰わなくてはならない。
だがとてもじゃないが自分のお願いを三成に聞いてもらうどころではなくなってしまった。というのも、
「ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ! 秀頼様ッ! 申し訳ござらん! 申し訳ござらん太閤殿下……託された豊臣家の天下も秀頼様も俺は何一つとして……ぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
このようにアナリーゼから関ヶ原の後の豊臣家の末路について聞いた三成が、自責の念だとか諸々で使い物にならなくなってしまったからだ。
流石にこんな三成にはとても話しかけられない。
「おのれ家康! 不義不徳の輩! 義を知らぬ畜生! 太閤殿下の御恩を忘れ、天下を掠め取り、秀頼様を死においやり、なにが征夷大将軍! なにが天下人か! 死ね! 死んでしまえ!」
(私の時代だと四百年前に死んでるわ、過去形!)
「正則……お前は、太閤殿下の秀頼様が窮地にある時、何をして……いや、違う。人のせいではない…………俺が……俺が、不甲斐ないばかりに……」
そう言ったきり三成は俯いて、なにも喋らなくなってしまった。
けれど夜中にこんな大声で叫べば当然廊下にも聞こえるわけで、
「お嬢様、さっきから妙な奇声が響いてきているのですが、大丈夫ですか?」
執事のヘンリーがドアをノックしてきた。
こんな状態の三成を見たらあらぬ勘違いを引き起こしてしまう。アナリーゼはヘンリーにお引き取り願うためにも声を張り上げた。
「だ、大丈夫よ! ちょ、ちょっと一人でドラゴンボールごっこしてたのよ! 気にしないで! 公爵令嬢命令!!」
「ど、どらごんぼーる? はぁ、分かりました」
命令と言われたヘンリーは大人しく引き下がっていった。
だが三成がこの様子では今日話し合うのは無理だとアナリーゼが諦めた時だった。
「すまんな、余計な時間をとらせた」
三成はさっきまで涙を流して絶叫していたとは思えない、理知的な表情で言った。
「い、いいの? あんなことを聞いた後だし、別に一晩たってからでも」
「泣いて秀頼様の死がなくなるなら、干乾びるまで泣こう。が、そうはならん。なのに泣き続けるのは阿呆だ。一介の武士なら阿呆でいいが、俺は奉行。阿呆ではいられん」
この切り替えの早さは流石と言うべきなのだろうか。
けれど石田三成が忠義の人という前提を知らない人間が、さっきの絶叫を見ずに、この切り替えを見れば人情のない男という印象を抱くかもしれない。
「えーと、それじゃあどこまで話したかしら?」
「この世界が『おとめげー』とかいう恋愛模擬戦小話の世界で、お前が俺より四百年以上の未来の人間であること。それとお前はこのままでは確実に死ぬこと、大抵は聞いた」
「恋愛模擬戦って。まあ間違っては、いないかな?」
戦国時代の人間らしい、独特な表現である。
「話した通り私が転生(憑依?)したこのアナリーゼは、どんなルートを辿っても確実に最後は死ぬわ! 全部の糞レビュー見てないから、全てのバッドエンドでどういう死に方するかまでは分からないけど、通常END、トゥルーEND、逆ハーEND全てで死ぬわ!」
「死ぬわ死ぬわと何度も言うな。分かっている」
「嫌味なセリフにいつもならプッツンするところだけど、自分の命がかかっていたら気にならないわ! 神様仏様三成様、お知恵を拝借! お願いします!」
「お願いされる前に、断っておく。俺が忠を尽くすのは太閤殿下ただ御一人だ。だが……」
「わ、分かってるわ!」
石田三成といえば部下にしたい戦国武将ランキングなんてものがあったら、確実にTOP10入りしてくるような人物である。その理由は三成がとんでもなく仕事ができる官僚であることに加えて、彼が秀吉死後も忠義を貫いた義の人であるからだ。
そんな三成に自分を救うために味方になって欲しいとお願いする以上、アナリーゼは自分で差し出せるものは全て差し出す覚悟があった。
「もちろん私に仕えなさいとか言う気はないし、貴方が異世界の元の時代に帰れる魔法も探してみるし、衣食住は私がもつし、私に出せるものは命と一生をそこそこ暮らせるだけの財産以外は全部出すわ!」
「おい」
「ほ、他に私があげられるものがあるとしたら……爵位? でも爵位って私の一存じゃあげられないし……」
「待て」
「ま、まだ足りないの? でも私もまだこの世界にきたばかりで、自分の名前くらいしか把握してないのよ」
そこで三成は鉄面皮を崩して、困惑した顔で深い深い溜息を吐いた。そしてアナリーゼには聞こえないよう小さくぼそりと呟いた。
「勘兵衛や左近が困惑した気持ちが、やっと分かったかもしれん」
深い溜息に三成の不興を買ったかもしれないと勘違いしたアナリーゼは、土下座寸前の勢いで懇願する。
「お願い三成さん! このとおり! 誰が私を殺すのか分からなくて、頼れるのはゲームに絶対に出てきてない貴方しかいないの!」
「……無用だ。一々頭を下げるな。頭というのはここぞという時に下げるから価値があるのであって、何度も下げれば価値を失うぞ」
「差し出せるもの差し出しても駄目、頭を下げるのも駄目なら……ど、どうすればいいの私!?」
ここで石田三成から拒絶されれば、自分は死ぬ。それくらい切羽詰まっていたからこそアナリーゼは命懸けだった。
そんなアナリーゼを見かねてか三成は微かに一瞬だけ微笑んだ、ような気がした。
「どうもするな。石田三成の力が欲しいのだろう。くれてやる」
「え! いいの!?」
「ああ」
そして三成はあっさりとアナリーゼが死ぬほど欲しかった言葉を言ってくれた。
「さて、まずはお前が絶対に死ぬという件についてだが……」
「わー! 勝手に話し始めないで! でもありがとう!」
「人が死ぬのは、そう大したことではない。足軽や農民の一人や二人、大名がちょっと癇に障れば斬られる。その程度では誰も何も言わないだろう」
「むっ。私の命の恩人になってもらう予定の三成さんでも、そういう言動は良くないと思う」
「事実を事実のままに語っているだけだ。俺の言動云々の話ではない」
ぱしゃりと三成は切って捨てる。
だが冷静に考えれば三成の言う通りだ。
石田三成は戦国時代の人間。基本的人権だとか人類平等の考え方が当たり前のものとして存在する現代日本とはまったく違う。戦国時代の日本では人間の命は現代より遥かに軽いものだったのだろう。そして恐らくこの異世界の考え方も現代日本より、戦国時代の方が近いのだろうという予感がアナリーゼにはあった。
「三成さんの言いたいことは分かったけど、それと私の死亡フラグとどう関係があるの?」
「分からんのか? 足軽や農民とお前は違うということだ」
そう言って三成は部屋を見渡し、飾られている絵画や調度品の見事さを確認するように凝視する。
「お前と話して俺は公爵という爵位がこの世界でどれほど重いものなのか、それなりに理解できた。確かお前にもこの国の王の血が流れてるのだろう?」
「ええ、私……というかアナリーゼ・アガレスの亡くなった母親は現在の王様の妹よ。だから今の王様は私の伯父ということになるわね」
更に言えば王子や王女たちとはいとこ関係にあたる。バエル王国における二大公爵家は伊達ではないのだ。
「つまり王位継承権すらあるわけだ。俺の世界でいうところの五大老に匹敵する存在。そう考えていいだろう。そんなお前が死ぬというのは、農民や足軽の死とは比べようのない重大事。歴史に残る事件だ。死に方によっては事件の前に大とつけてもいいだろう。なんでもいい……お前がどういう風に死ぬのか、一つだけでも知らないのか? 知っているなら大雑把でいいから話せ」
「ちょ、ちょっと待って! 今思い出すから!」
パンパンと両手でほっぺを叩いて、前世の記憶へ思考をダイブする。
ネタバレ糞レビューアーの使っていたイラつくアイコンが先ず思い浮かぶ。これではない、更に深く思考を潜らせた。
『どのルートでも平等に価値のない人生を終えるアナリーゼですが、このルートじゃアナリーゼは革命が起きて断頭台で処刑されるマリー・アントワネットみたいな末路を迎えます。おっと、アナリーゼなんかと同じ扱いされたらマリー・アントワネットに失礼でしたねw』
かっと眼を見開くアナリーゼ。
「革命よ! 革命が起きてギロチンにかけられるマリー・アントワネットな末路を辿るってネタバレ糞レビューアーが言ってた!」
「『ぎろちん』? 『まりーあんとわねっと』? 固有名詞に補足をつけろ。意味が分からん」
「マリー・アントワネットはフランスっていう国の王妃で、ギロチンは首を切って処刑する処刑道具! つまり私は革命が起きて処刑されるの!」
言ってて首筋が冷たくなってきた。自分がこれから迎えるかもしれない死に方について話すのは心に毒だ。ギロチンは苦痛を感じない慈悲のある処刑方だったらしいが、現代人からすれば恐怖でしかない。
三成はといえば顎に手をやって深く考えているようだった。
「陳勝・呉広の乱然り黄巾の乱然り。革命というものは何もない平穏な時に、脈絡なく起きるものではない。悪政なり飢饉なり外敵なりな。なにか心当たりはあるか?」
「ご、ごめんなさい。心当たりもなにも私もこの世界に転生したばっかで、右も左も分からないって有様なのよ。礼儀作法はお婆ちゃんが厳しい人だったからなんとかなってるけど」
「分かった。お前がなにも分からないことが、分かった」
「ご、ごめんなさいね! 無知で!」
「……革命……それも王位継承権を持つ公爵の娘が死ぬほどの規模………。それほどのものが起きるなら、兆候は既にあるはず……金か、飯か、それとも……」
考え込んでぶつぶつと呟いている三成。
不謹慎だがアナリーゼは今という時間が少し楽しかった。ついこの間までは誰が敵で、命を狙っているのかと思って夜も眠れなかった。けれどこうして味方だと信じられる他人と話していると、渇いていた心に一気に瑞々しさが戻ってくるようだった。話している内容が物騒なのが少しあれだが、
アナリーゼはポンと手をたたく。
「あ、読めたわ! 三成さんが五奉行としてぶいぶい辣腕を振るった内政力を発揮するのね! それで死亡フラグを粉砕する! でしょ?」
「戯けたことを。俺は無知なお前伝手でしか、この国を知らん。その俺がいきなり辣腕を振るえるはずがないだろう。この国の文化、風俗、風習を知らずに政に手を出せば、知らずのうちに道理を捻じ曲げ、事態を悪くするだけだ」
「じゃ、じゃあどうするの?」
「分からないことは罪ではない。分からないことが分かっているのに、分かろうとしないことが罪なのだ」
「つ、つまり……」
「知ることから始める」
三成がアナリーゼにした最初の提案は、奇想天外な奇策でも、状況を一気に打開する神の一手でもなく、極々普通で凡庸なものだった。
翌日。アナリーゼは執事のヘンリーを呼び出した。
ヘンリーはいつも通り礼儀正しく入室するが、アナリーゼの隣にいる三成を見て目を丸くした。
「お嬢様、そちらの方はどなたです?」
「石田治部少輔三成。アナリーゼに乞われ、今日より彼女に仕えることになった」
「え!?」
三成の発言に驚いたのはヘンリーではなくアナリーゼだった。
石田三成といえば豊臣秀吉の忠臣であるという認識のアナリーゼからしたら、例え口だけでも自分に仕えているとはっきり言ってくれたことが嬉しい驚きだったのだ。
「はぁ……仕える、ですか……。失礼ながらどこから来たので?」
「お前に説明する必要があるのか?」
ヘンリーから「イラっ」という擬音がしたのをアナリーゼは感じた。慌ててアナリーゼは二人の間に割って入る。
「み、三成さんはこの大陸の外の国から来たのよ! それで海の外で得た知見を色々私の役に立てて欲しいと思って雇ったの!」
嘘は言っていない。
「分かりました。お嬢様の望むことでしたら、なにも言いません」
ヘンリーはまだ三成を怪しんでいるようだが、主の意向に逆らわず受け入れることにしたようだった。
「それでヘンリー! ものは相談なんだけど私ってば凄い勉強したい気分なの! アカデミック! というわけでどこかに本がとんでもなく沢山あって、勉強に最適な場所とかないかしら!?」
三成が昨日した提案とはずばりこの世界の本を読んで勉強しよう、であった。
転生したばかりのアナリーゼも、召喚されたばかりの三成もこの世界についてろくに知らない。それ故にまずは徹底的にこの世界を知ろう、という極平凡な進言である。
もっともそんな平凡なアイディアすら以前のアナリーゼは思いつけなかったのだが。
「本が沢山あるといえば王都シリウスの王立図書館でしょう。爵位もちの貴族と、選ばれた学者か特別な許可を貰った者しか入れない知識の蔵として、国内外で有名ですし」
ヘンリーはアナリーゼが欲しい情報を教えてくれた。首都の図書館なら自分たちが必要な情報を、あらかた入手できるだろう。
「俺達はそこへ行く。連れていけ」
三成からそう言われたヘンリーは微かに目の端をピクリとさせたが、それ以外は不愉快さを表に出さず一礼した。
「…………分かりました。なるべく速い馬車を用意いたしますので、ゆるりとお待ちください」
そう言って退室していくヘンリー。
アナリーゼは石田三成という戦国武将が、同僚の多くから嫌われていた理由が分かった気がした。




