第17話 三顧の礼と節穴将軍
ヴェロニカと別れ、クロムウェルの私塾へ向かうアナリーゼは、
「えへへへへへへ……」
だらしなく顔を綻ばせていた。
見た目は見目麗しいご令嬢がこんな顔をしているものだから、道行く人々はアナリーゼの顔を見るたびにぎょっとしている。
「ヴェロニカ・ウァレフォルと別れてからずっとこの有様だ。薄気味悪い」
「表情筋が壊れてしまったのでしょうか? 私塾へ行く前に、腕利きの白魔法使いを探したほうがいいかもしれません」
「そんなことをしていてヴェロニカ・ウァレフォルのように、ハインリヒ・クロムウェルを勧誘しに来た者に先を越されたらどうする。アナリーゼ、いい加減に顔をもとに戻せ。そのだらけた顔面のまま賢者に会うつもりか?」
「だってぇ。この世界を敵に回してもお前の味方だ的なことを言われたの生まれて初めてだったしぃ。ねえねえ! もう一回言って! ワンモア!」
「本格的に意味不明なことを話し始めた。アスール、やむを得んが腕利きの白魔法の使い手を探さねばならんようだ」
「いやー。三成様には意味不明でも私には意味がよく分かったので、たぶん大丈夫かと思います。確かに女の子なら一度は言われてみたいセリフですよね。私も同じ女の子として共感しちゃいます」
「女の子……?」
三成からしたらアスールは若いが、十分に成人しているように見えたので疑問を口にした。
だがそこで三成は気付く。三成のいた戦国時代の日本では女性の成人年齢は初潮を迎える十二歳頃であり、男も十二歳から十六歳には元服を済ませていた。しかしこの世界の成人年齢が戦国時代の日本と同じとは限らないのだと。
「アスール。つかぬ事を聞くが、この世界の成人年齢とはいくつほどか決まっているのか?」
「世界? 変な言い方をしますね。ソロモン大陸において爵位持ちの貴族が成人と認められるには、基本的に王立学園の卒業を認められるか、三十歳になるかのどちらかじゃありませんか」
アスールの言ったことはこの世界では当たり前すぎて、本にも一々記されていない常識論だった。
だがこの世界の住人ではない三成には奇異に思える風習である。
「学校を卒業しない限り成人年齢が三十歳……? 恐ろしく遅いな」
「私は爵位持ちの貴族じゃないから詳しく知らないですけど、なんか色々あるらしいですよ。ちなみに騎士階級と平民の成人年齢は十五歳です。私は十六歳なので立派な大人ですね!」
「では女の子ではないではないか?」
そう言った途端、アスールから加藤清正を想起させる殺気が放たれたので三成は黙り込んだ。
一方アナリーゼは三十歳で成人という部分がなにか琴線に触れたのかブツブツと呟いていた。三成はまた頓珍漢なことを言い出そうとしているな、と察した。
「学園を卒業しなければ成人は30歳までお預けってことは、学園に入学しなければ、三十歳までぐーたら暮らせるのでは?」
察した通りアホみたいなアイディアが飛び出してきたために三成は嘆息した。
「学園に入学していないお前は現在ぐうたら過ごせているのか?」
「うっ」
政務こそ三成が取り仕切っているが、かわりにアナリーゼは将来のために毎日毎日猛勉強の最中だ。たまの休みと魔法の練習くらいが数少ない楽しみで、まったくぐうたら過ごせてはいなかった。
「ねぇアスール。どこかにあらゆる全てにおいて私を凌駕する生き別れの兄弟姉妹的存在っていない? 私はそこそこの財産だけ貰って、公爵家次期当主の地位諸々を引き渡して去るから」
「残念ながらアガレス公オルバート様は一途な愛妻家で有名な御人なので、そういう隠し子的な方はおられないと思います」
「へえ、あの人にもいいところがあったのね」
そう現代人であるアナリーゼは感心したのだが、
「怠惰だな。公爵であれば子は多く残すのは義務であろうに」
戦国武将である三成は酷評した。
そうこう話しているとハインリヒ・クロムウェルが開いている私塾に到着する。私塾といってもそのために建てられたわけではなく、普通の家に『私塾』という看板をつけただけという様子だった。
ただ評判通り賑わってはいるらしく、窓からは多くの生徒が授業を受けている光景が見えた。
そして教壇に立つ精悍な顔つきの男が、ハインリヒ・クロムウェルだろう。
坊主頭に整えられた顎鬚、眼光は鷹のように鋭い。流石に授業内容は聞こえてこないが、黒板に板書する姿からは知性が感じられた。
「どうされますかお嬢様? 取り敢えずお嬢様が来たことを知らせて……」
「いいえ。授業中なんだから授業が終わるのを待ちましょう」
「よ、宜しいのですか?」
「宜しいもなにもこっちの都合でアポなしできたんだから、あちらに合わせるのが当然じゃない。ね、三成さん」
「アナリーゼの考えが正しい。こういう礼儀を払えるかどうかを、賢者も賢者を気取るものも見ているものだ」
三成からの同意も得られたことで、アナリーゼは私塾の前で何をするまでもなくじっと待つ。
そして直ぐに後悔する。スマホや本のような暇潰しのアイテムを使うこともなく、ただじっと立って待つというのは、中々のかったるさであった。
内心のかったるさを押し殺して、じっと私塾の外で立つアナリーゼ。
そんなアナリーゼの様子を伺いながら、ハインリヒ・クロムウェルは薄く微笑んだ。
「クロムウェル先生。外でなにやら高貴そうな御人が待っていますが、授業を中断しなくていいのですか?」
「いいんですいいんです。これは試験ですから」
「?」
ハインリヒ・クロムウェルを勧誘しに来た貴族は多い。だがその貴族たちは好待遇を提示することはあっても、自ら足を運んで勧誘しにきた者は半分以下だった。自ら勧誘しにきた貴族にしても、当然の権利のように授業を中断させるよう求めてきた。
クロムウェルはまだまだ隠棲したつもりはない。わざわざ王都なんて目立つ場所で私塾を開いたのは注目されるためだ。
だがクロムウェルの嘗ての主君は、六年前の戦いで卑劣な寝返りをしたとはいえ、一時は忠誠を誓ったことには変わりない。
嘗ての主君を捨てて、新しい主君に仕えるという恥を甘んじて受け入れられるほどの人物。自分を最大限の礼節をもって迎え入れようとしていて、尚且つ圧倒されるほどの大望を持つ者。ハインリヒ・クロムウェルが求める主君とはそれだった。
贅沢な望みではあったが妥協して適当な主に仕えるくらいならば、このまま一生を私塾の講師で終わるほうがマシである。
(しかしヴェロニカ・ウァレフォルの外見的特徴とは違うな。そろそろ彼女が俺のところに勧誘に来る頃と思っていたが)
それからクロムウェルは予定通り授業を終わらせる。
ちらりと窓から外を見ると、名を知らぬ貴族令嬢はちゃんとまだ待っていた。取り敢えず最初の試験は合格である。
相手に礼儀を求めるのに自分が無礼では仕方がない。一度身嗜みを整えてから、私塾の外にいる令嬢のもとへ行く。
「あら? もう授業が終わったんですか?」
「ええ、お待たせしてすみません。私はハインリヒ・クロムウェル。今は……ただの私塾の講師をしております。貴女のお名前を伺っても?」
「私はアナリーゼで、こっちは三成さん! そしてこっちはメイド兼護衛のアスールです! よろしくお願いします!」
「アナリーゼ……それだけですか?」
「ええ、そうです!」
クロムウェルはいずれ再び飛翔する時のためにも、情報収集は欠かしていない。だからアナリーゼに三成という名前で、彼女が公爵令嬢のアナリーゼ・アガレスで、男が最近名奉行として名を馳せている石田三成であることが分かった。
けれどもしクロムウェルが事情通でなければアナリーゼという名前だけでは、何者かさっぱり分からなかっただろう。
(成程。敢えて家名を名乗らないことで、貴族令嬢としてではなく一個の人間として話をしたいというわけか)
クロムウェルは家名を名乗らないアナリーゼの行動をそう受け取った。
言うまでもなくこれはクロムウェルの完全なる勘違いである。アナリーゼが家名を名乗らなかったのは単に忘れただけだ。
「ところでクロムウェルさん。もしかして一回目から話を聞いてくれるんですか?」
「当然でしょう。礼を尽くしてくれた客人を追い返すほど無礼ではありませんよ」
「クロムウェルさんって優しいんですね。私、てっきり三回は通わないと駄目だと思いました!」
「三回? 優しい? どういうことですか?」
困惑するクロムウェルに助け舟を出すように三成が口を開いた。
「俺のいた国に伝わる逸話に『三顧の礼』というものがある。ある男が賢者と評判の人物を家臣として迎えるために、自ら足を三度運んだというものだ。その後、その男は天下を三分する王から皇帝となり、賢者のほうは宰相となった。アナリーゼはその賢者の面影をクロムウェル殿に見ているのだろう」
「なっ!?」
クロムウェルは顎が外れるほどに口を大きく開けて絶句した。
賢者の面影がクロムウェルだとするならば、皇帝はアナリーゼ自身だろう。だとすればこれは、
(間違いない! 自らがバエル王国にとって代わり、ソロモン大陸の三分の一を統べるという暗喩!)
もう一度まじまじとアナリーゼ・アガレスという少女を凝視する。
こんな大それた野心を口にしたというのにアナリーゼにはまったく気後れした様子がない。彼女にとって天下取りの野心は、もはや身に沁みついたものに過ぎないのだろう。
「本気ですか、貴女は。それがどういう道か分かっているので? 険しく血に濡れた道ですよ?」
「確かに(全ての死亡フラグ粉砕は)険しい道だけど血濡れた未来(私のデッドエンド)を回避するためにも戦わないといけないのよ」
「……確かに現王家は問題が多く、なにかの拍子に国が傾きかねない。それは、分かりますが」
「市民による革命か、国を割った内戦か、はたまた群雄割拠の戦国時代か。とにかく国が乱れたら(私の)血が流れるわ。それを回避するためにも貴方の力が必要なの!」
「俺の力?」
「お父様が放り出した責任を引き継いでから一揆は起きるわ、内乱が起きかけるわで、クロムウェルさんみたいな凄い軍人が必要なの! お願い! このままじゃ(私が)死ぬから力を貸して!」
天からの雷がハインリヒ・クロムウェルの頭上に落ちてきた。全身の血液が沸騰し、武者震いが止まらない。
クロムウェルは今、この世に新しく誕生し直したのだ。
「死……国の死か。考えたこともありませんでした。だが貴女の仰る通り。国も死ぬのですな。そして国が死んだ時に流れる人の血はどれほどのものか。私は自分を人をより多く殺すことにかけては、十指に入る天才と思っていました。ですが貴女はその才能を多くを殺すのではなく、多くを生かすために使えと仰るのですね」
「そうよ! そのとーり! ”私”の命を守って、クロムウェルさん!」
「ふふ”私”をですか」
民とは己の血であり肉。つまりは自分自身も同じということなのだろう。クロムウェルは段々とアナリーゼ・アガレスという人間が分かってきたような気がした。
なおそれが全てクロムウェルの勘違いが齎した錯覚であることは言うまでもない。
「俺に好待遇を約束してきた者は多くいましたが、貴女のような人は初めてですよ。アルクトゥールスの戦いで俺の旧主が恥知らずの寝返りをした時、もう誰にも仕えまいと思ったのですが、どうやら初志貫徹はできなさそうです」
「じゃ、じゃあ!?」
「私の方からお願いしたい。貴女に仕えさせていただきたい、アナリーゼ様」
「もっちろんオーケイ! ビッグオーケイ! ありがとうクロムウェルさん!」
「さんとつける必要はありません、我が君」
自分を最大限の礼節をもって迎え入れようとする、大望ある主君。
そんな不可能に近い贅沢過ぎる希望が成就したクロムウェルは、究極の高揚の中にいた。
ハインリヒ・クロムウェルがアガレス家に再仕官したという話は、ウァレフォル領にも直ぐに届いた。
アナリーゼや三成と別れた後、こっそりと密偵に後を追わせていたからである。
「ヴェロニカ。クロムウェルがアガレスに仕えることになったってよ」
密偵が送ってきた密書を読んだバジルが、のんびり絵などを描いているヴェロニカに言う。
描いているのは王都で会った石田三成の人物画だ。才気煥発なヴェロニカは、絵もやはり無駄に上手い。爵位を没収して平民に落とされても、芸術家として食べていけるだろう。
「そう、残念だわ」
「あんまり落ち込んでるようには見えねえな」
「もっと大きい魚を釣り損ねた後だからね」
大きい魚とはもしかしなくてもヴェロニカが描いている人物画の男のことだろう。
確かにヴェロニカが破格を通り越して頭のおかしい条件で引き抜こうとしたのを、考えるそぶりすらなく断った姿勢は敬意に値するだろう。バジル自身、不覚にも尊敬の念を抱いてしまったほどだ。だが、
「分からねぇな。あの三成ってのはそんな大物か? 俺にはクロムウェルのほうがずっと惜しくてデカい魚に思えるんだが」
人格ではなく能力的なものなら、ハインリヒ・クロムウェルの方が遥かに格上であっただろうとバジルは確信している。
するとヴェロニカは描いていた人物画に最後の仕上げを施した。
「クロムウェルは自分の脳のある手足よ。自分で考えて動くことはできても、体がなければ動けない。でも三成はそうじゃない。体がなかったら、体を一から作り上げて、それを自分の尽くす相手に差し出そうとする男。作った体を自分のものにすることもできるでしょうにねぇ」
完成した人物画を眺めながらヴェロニカがくつくつと笑う。
バジルが久しぶりに見る完敗を喫した時の表情であった。
「信じられない、あいつが羨ましいわ」
そう言うヴェロニカは、まるで年頃の少女のようだった。
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