第14話 恋愛事情と家臣事情
ある日のこと。
勉強の合間のおやつ休憩中にケーキに舌鼓をうっていたアナリーゼは、ヘンリーの顔を見ておもむろに気になったことを尋ねてみた。
「ねえヘンリー。あれからユメリアちゃんとはなんか進展あったの?」
「な!?」
常日頃から年齢に見合わぬ完璧執事っぷりを発揮しているヘンリーが、肩をピクッと震わせ目に見えて動揺を露わにした。
どうやらヘンリーは恋に恥ずかしがってしまう年頃らしい。アナリーゼの中の悪戯心がふつふつと湧き上がってきた。
「な、何を仰いますかお嬢様! 俺とユメリアはただの幼馴染なんですよ! し、進展なんて……そんなことがあるはずないじゃないですか! はしたない!」
訂正。恋愛の先にあることが気になって恥ずかしいお年頃であったらしい。
「ヘンリーさん。進展と聞いてはしたない想像までいく時点で、ただの幼馴染主張するのは無理がありますよ」
呆れたようにアナリーゼのコーヒーカップにおかわりを注ぎながらアスールが言った。
「そうそう。YOU白状しちゃいなさいYO!」
なんの因果か公爵令嬢として一揆の鎮圧に頭を悩ませたり、反乱の対処に四苦八苦したり、将来公爵家を継ぐための猛勉強に勤しんだりしているが、アナリーゼの中身は女子高生である。他人のコイバナほど興味津々なものはない。
ワクワクしながらヘンリーを問い詰めるアナリーゼの表情は、前世でクラスメイトと他愛のない会話をしていた頃に戻っていた。
「……今度の休みの日に、一緒に街をぶらぶら歩こうって約束を取り付けましたよ」
観念したようにヘンリーが白状した。
「いいじゃないデート! もうそのデートでロマンチックな雰囲気になったら、決めちゃいなさいよ!」
「き、決める!? 俺にはまだ早いですよそれは!! こういうのは段階を置いて……将来設計をたててから……」
「言っておくけど決めるって告白のことよ? 恋のABCとかそういうことじゃないからね?」
「…………も、もちろん分かってましたよ」
(嘘だわ)
(嘘ですね)
アナリーゼとアスールの心が図らずも完全に一致する。
そしてアナリーゼのヘンリーの人物評価に『むっつりスケベ』という言葉が追加された。
「そういうアスールはどうなの? 好きな人とかいるのかしら?」
「私はヘンリーさんとか、ちょっと良いなって思ってたんですけどね。面倒な恋愛とかやって職場の空気が悪くなるほうが嫌なんで今はないです」
確かに幼馴染に夢中なことが明白なヘンリーに、アスールがアプローチをかけた場合、昼ドラみたいな展開になってしまうだろう。
二人の雇用主であるアナリーゼとしては、アスールの賢明な判断に頭が下がる思いであった。
「えーと、それじゃあお嬢様は?」
「私?」
恐る恐るといった様子でヘンリーがアナリーゼを見て、次いでヘンリーの作ったおやつを口に運びながら、黙々と仕事をこなしている三成を見た。
アナリーゼがいきなり奉行に抜擢したことと、見目が整っていることから愛人説の囁かれていた三成。だが最近の働きぶりで三成が有能さを発揮するにつれて、愛人説は下火になっていた。
しかし一方でアナリーゼが最も信頼している人間が三成であることも疑いようのないことである。
「お嬢様は軽々しく誰かと付き合うとかができるお立場でないことは重々承知ですが、気になる殿方はおられないのですか? た、例えば三成様とか?」
アナリーゼと同じ年頃で、やはり恋愛に対する興味も同程度にあったアスールが、ヘンリーには聞きにくかった疑問をぶつけた。
「三成さんかぁ、うーん。顔は綺麗で整ってるなって思うし、好きか嫌いかって聞かれたら圧倒的に好きだけど。私にとって三成さんは異性っていう以前に、世界で一番信頼できる『人間』で、無条件で信じられる唯一の人で……。でもでも恋愛感情とは違ってて……あれ、違うのかしら?」
石田三成という人間が、アナリーゼにとって一番大事な人間であることは間違いない。だがアナリーゼの中で三成に対する親愛の情が強すぎて、そこに恋愛感情が混ざっているのかが良く分からないでいた。
ヘンリーとアスールは顔を見合わせる。主君アナリーゼにとっての石田三成への感情は途轍もない超重力を発生させる類のものであり、迂闊に触れていいものではなかったと無言で認識を刷り合わせた。
なおそんなグラビティな事を言われている当の本人はといえば、
(ぷりんと言ったか、この菓子は。美味美味)
などと、この世界の甘味を味わっていた。
そこでアスールは思った。アナリーゼから三成へ向けている感情が途轍もなく重いことは分かったが、三成の方はアナリーゼのことを異性として意識しているのかどうなのかと。
「三成様、少し宜しいですか?」
「なんだ?」
「三成様は気になる方とかはおられるんですか?」
例えばお嬢様とか、とアスールが続けようとしたところ、
「いる」
それよりも早く三成が爆弾を投下した。
これには聞いたアスールばかりではなくヘンリーも、そしてアナリーゼが驚愕する。アナリーゼなどは余りにも勢いよく立ち上がったものだから、座っていた椅子が倒れてしまったほどだった。
「い、いるの!? 誰なのそれは! 初耳! 教えて!!」
「生まれは平民だが、このアガレス公爵領にも評判が届く人物だ。年齢は36」
「36ですか。悪くはありませんが、けっこうお年を召されてますね」
ヘンリーの言う通り36歳といえば、この世界での結婚適齢期を大分超えていた。
この世界では未成年の結婚は禁じられているため、11歳の幼女と結婚して13歳で出産させた前田利家みたいな事例はないが、貴族も平民も18歳から20代前半には結婚する者が殆どである。36歳で未婚となると、もう結婚は無理だと諦められるような年齢だ。
だが三成の更なる爆弾発言に比べれば、そんなことは些細な問題であった。
「何を言う。36歳でこれほどの名声を得ているのだぞ、彼は」
今度こそその場にいた全員が絶句した。
「彼!? まさか三成様の気になる方とは男性なのですか!?」
「何か問題があるのか?」
何故か鼻息を荒くしたアスールの問い詰めにも、三成は涼しい顔である。
(はわわ……そういえば戦国時代は、男の人同士が盛んだったって聞いたような覚えが!)
アナリーゼの方も前田利家は織田信長とそういう関係にあったとかいう前知識を思い出し、顔を真っ赤にしていた。
三成の”彼”への語りはなおも続く。
「彼は元はアスモデウス王国の男爵家に仕える武人だったが、六年前の戦争のおり、仕えていた男爵家がバエル王国に寝返ったことを恥に感じ、戦後は騎士爵の授爵を断り、王都の私塾の講師をしているという。能力だけではなく義のなんたるかを知る人物だ。敬意に値する。例えるならば小早川秀秋の卑劣な裏切りに応じず、戦線を離脱した松野重元の如しだ」
「コバヤカワヒデアキとかマツノシゲモトというのは知りませんが、その人物なら俺も聞いたことがあります。確かハインリヒ・クロムウェル、でしたっけ? 義を知ると評判の一方、慇懃で無礼とも評判だとか」
探偵のノアほどではなかったが、ヘンリーも執事としてそれなりに情報通である。
六年前のアスモデウス王国との戦で名を上げた貴族や将の名前くらいは記憶していた。
「ああ。既に九人が口説き落としに行って失敗したそうだ」
「そ、そんなに凄い人なのね……。み、三成さん……私、あんまりそういう世界のことは分からないけど、応援はするから! 頑張ってね!」
そういうことの理解が進んだ現代からの転生者であるアナリーゼは、精一杯のエールを送った。ところが、
「そうか。お前も賛成か。なら善は急げだ。今からハインリヒ・クロムウェルの私塾まで一緒に行くぞ」
「待って! ウェイウェイウェイウェーイ! 私を連れてってどうする気!?」
「どうもなにも、お前がハインリヒ・クロムウェルを口説き落とすんだ。俺が口説いても意味がない。お前が口説き落として、お前がものにしろ」
「ええええ!? 人に自分の好きな人を口説かさせるって、三成さんそういう性癖だったの!? ベリーアブノーマル!?」
「性癖? 何を言っている? 有能な将をそんなもので選ぶはずがないだろう」
「え?」
「ん?」
「「……………………」」
お互いの間で気になる人物の認識に、大きな隔たりがあったことに気づくのに、それから暫くかかった。
誤解の解けたアナリーゼと三成が、ハインリヒ・クロムウェルを口説き落とすためアガレス領を出発したのと同じ頃。
この者もまた同じ人物に目をつけて、正に出発するところであった。
「おいおい、本当に行くのかよ? クロムウェルってやつは慇懃無礼って評判だし、今のままでも十分やれてるじゃねえか」
右目に眼帯をした見事な体格の男が言う。顔や腕に幾つもの戦疵があり、精悍な顔立ちをしていることから歴戦の傭兵という雰囲気を醸し出しているが、よくよく観察するとまだ顔が年若いそれであると気付くだろう。また気品ある所作が、幼いころから高貴な者の教育を受けていたことを感じさせた。
「それ今以上になったら問題が出てくるってことでしょ?」
にやりと笑い、眼帯の男に答えたのは勝ち気な目をした少女だった。
「まぁ……そうとも、言うのか?」
「いいバジル。天下を目指すなら、常に私が軍を率いて戦えばいいってものじゃないのよ。もし敵が二か所にいて同時に潰さないといけなくなったら? 私が例えば世界一の名将だとしても二人に分裂することはできないわ。優秀な人材は一人でも多く必要なの」
特に私に代わって軍を任せられる人材はね、と少女は締めくくった。
「一体どんな奴かしら、ハインリヒ・クロムウェル。本物か名前倒れか、忠義者か曲者か」
レッドブラウンのショートヘアにブルーの瞳。そしてなによりも全身から溢れ出るほどの生命力と覇気。
彼女こそこの世界における主人公、ヴェロニカ・ウァレフォルだった。
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