第11話 会合と勉強
バエル王国二大公爵家の一角ともなると、公爵領の中に一門の貴族を多く抱えている。そのうちの一つヴァンダール子爵家に一門の貴族が密かに集まっていた。
集まった貴族たちの話題は一つ、新しく奉行として公爵領を差配するようになった石田三成についてだ。
「まったくアナリーゼお嬢様にも困ったものですな。古くから公爵家をお支えしてきた我々を蔑ろにして、あのような身分も定かではない愛人を抜擢するなど」
「ええ、昔からアナリーゼお嬢様の我儘ぶりには頭を悩まされてきましたが、それでも以前は我々に対する配慮を忘れられることはなかった」
「噂では公爵閣下を屋敷に軟禁させ、酒や遊びに耽らせているとか」
「なんと! 領主を堕落させ、政を思うがままにするとは、まるで古の佞臣そのものではありませんか!」
貴族たちはアナリーゼと三成の悪口を愚痴り合う。彼等は三成の改革でこれまで好き勝手やれていたのが出来なくなったことを逆恨みしているだけなのだが、悪口の内容が的を射ているところが性質が悪かった。
身分も定かではない人間を寵愛して権力を委任させるというのは、古今東西の暗君がよくやる手段であるし、領主を堕落させて権力を欲しいままにするのも佞臣の手法そのものだ。
なので一応の正義を得た貴族たちの悪口はヒートアップしていき、それが公爵家に対する謀反の相談になるまでそう時間はかからなかった。
「三成、排するべ!」
「石田三成に死を!」
「佞臣によって目を曇らせておられるアナリーゼお嬢様に目を開いていただくっ!」
「幽閉されたオルバート様を御救いするのだ!」
そうして貴族たちの視線が一人の婦人に集まる。
彼女こそ今回の会合を主催した当人であり、この屋敷の主でもあるルクレツィア・ヴァンダール子爵だった。
「意見は固まったようね。なら私も公爵家のために立ち上がるとしましょう」
「おおっ!」
「だけど忘れないで。これは謀反ではない、君側の奸を排除し、公爵家に安寧を取り戻すための義挙なのよ!」
義挙、そのフレーズが貴族たちのロマンティズムを刺激する。中には感極まって陶酔するような者もいた。
そんな中、会合に参加していた男爵の従者が貴族たちの様子を眺めながら目で笑う。従者のトーマスというのは偽名で背格好は変装。そしてその本名をノアと言った。
アガレス家別邸。
オルバート・アガレスが隠居状態になってからは、ここがアガレス領の政の中心となっていた。その政治の中心で政治を取り仕切るのが、父である公爵から権力を委譲された娘のアナリーゼである。
当初領民のアナリーゼの評価はとんでもない我儘娘で欠片もない期待と反比例する不安を抱かれていたのだが、今やその評価は逆転している。
三成を抜擢して行った改革の数々に、エカテリンブルク一揆を血を流さずに収めた手腕は、アガレス領は勿論、領外にも声望が響き始めていた。
けれど当のアナリーゼはそんな自分の評価にまったく調子に――――いやほんの少しはのっていたが――――胡坐をかくことはなかった。何故ならこれが自分の力ではなく、殆ど三成におんぶにだっこの成果であると弁えていたからである。
そのためアナリーゼは虚名を現実に近づけるべく、勉強の毎日だった。
「カムバックゆとり教育。プリーズ土日祝日休み。一カ月と九日間だらだらすごして、残りの一日で宿題を丸写しにするあの日々よ、戻ってこーい」
「お嬢様、ゆとり教育とは一体?」
「なんでもないわ、こっちの話」
一日10時間以上の勉強を続ける日々に大分ナイーブになって、ヘンリーの前だというのに(どうでもいいこととはいえ)前世の話を滑らせるくらいナイーブになっていたが。
そんなアナリーゼを見てメイドのアスールが口を開く。
「お嬢様。政治のことを学ばれるのは当然として、なぜ子供でも知っているような初歩の地理や歴史の復習までなされるのですか? そこを省けばもっと時間に余裕が出ると思うのですが」
「お、おほほほほ。学問を学ぶ上で初歩を学ぶことは、奥義に通じるのでございますですわ~」
鋭い指摘を適当に誤魔化す。本当は復習でもなんでもなく、0から学んでいるだけなのだが、当然そんなことは口が裂けても言えない。
そんなアナリーゼを見かねてかヘンリーがフォローしてきた。
「アスール。お嬢様には深いお考えがあるのだ。口出しするものではない」
「は、はい」
この世界で三成の次にアナリーゼと接する時間の長いヘンリーは、アナリーゼがこの世界の基本的知識すら身に着けていないことを見抜いていた。
一揆の解決などで垣間見せた発想力は非凡だが、実態はわりとポンコツ。これまで初歩的なことすら学んでこなかった怠け者。それがヘンリーのアナリーゼ評であった。恐るべきことに中身が転生者であるというぶっ飛んだ事実以外は的中していた。
「お嬢様、勉強で頭を使った脳には甘味が良いらしいですよ。ケーキとお茶を用意しましたので、どうぞ」
「ありがとう」
そうして今日もヘンリーは一休みするには適切なタイミングで、お茶と甘味を差し出してくる。
美味しいショートケーキに舌鼓をうちながらヘンリーとアスールを見る。二人とも前に絶世とつく美少年と美少女だ。思い出すと別邸に仕えている使用人は全員が美男美女だった。
「うちの執事もメイドさんは美男美女揃いで目の保養になるわ。ハリウッドにきたみたい。エモーションだわ!」
「何を言っておられるのですかお嬢様」
「え?」
ヘンリーが「何言ってんだおめー」とばかりに目を半月にした。
「お嬢様が『家の中では若くて美しい者以外は見たくない』と仰って、ベテランの執事やメイドを全員追い出したのではないですか」
「ホワッツ!? マジでガチなの?」
「私も同じような話を聞いております」
アスールからもはっきりと言われる。だらだらとアナリーゼから嫌な汗が流れ始める。エカテリンブルク一揆の時と比べればマシだが、これはこれで死亡フラグに繋がる事件なのではないかという予感がふつふつと湧き上がってきた。
「そんなことがなければ俺のような若造が、俺のような若造が執事として屋敷の一切を取り仕切るなんて有り得ませんよ」
「ヘンリーは若いのにちゃんとお仕事を完璧にこなせてるから凄いですよ。私なんてまだ見習いだったのに、いきなりこのお屋敷に配置されて、まだ仕事がちゃんとできてるって自信がもてませんもの」
「まあお前はお嬢様の護衛役って仕事のほうがメインで……」
ヘンリーとアスールの話を聞いてアナリーゼは強く思った。
即ち、
「アナリーゼって馬鹿じゃないの!?」
いきなり自分で自分のことを馬鹿にした(ようにしか見えない)アナリーゼに、ヘンリーは今日の夕食はストレス対策になる食材を使ったメニューにするよう、コックに指示を出そうと決めた。
それからアナリーゼが勉強を中断して、追い出した使用人たちに平謝りしたのは言うまでもない。
幸いだったのはアナリーゼが追い出した使用人たちは別に解雇されたわけではなく、本邸のほうに異動になっていただけだったことだろう。
また今回のアナリーゼの平謝り巡業で、アナリーゼがこれまでの行いを強く反省しているらしいと噂が流れたのは、正に災い転じて福となすであった。