第1話 異世界転生と三成召喚
その日、自分は過去最高にご機嫌だった。
理由は極めて単純。お年玉の残りに日々の家事手伝いのお駄賃をプラスして、欲しい新作ゲームを買う資金が漸く溜まったからである。
新作のタイトルは『ホロスコープ・クロニクル』。尖ったストーリーと異例の一万円越えの価格で話題の乙女ゲーだ。
心弾む思いでゲームショップに向かう途中、気分が乗りに乗って歩きが走りへ変わった。
幸いにして今は夏休み。ゲームを買ったら、勢いのままぶっ続けてプレイしようと心に決めていた。『ホロスコープ・クロニクル』の評判について調べる過程で、不本意にもネタバレ糞レビューアーのネタバレレビューを見てしまったので、もう二度とそんな悲劇が起こらないようゲームをクリアするまではSNSも断つ覚悟である。
だが予約していたゲームショップの看板を視界に捉え、目を輝かせたその瞬間、事態は一変した。突如、歩道に乗り上げたトラックが、猛然と彼女に向かって突進してきたのだ。
「あ、」
走馬灯だろうか。スローモーションになった視界の先には、居眠りしているトラックの運転手が見えた。
「い、いやあああああああああああああ!」
全身に奔る強烈な激痛。声を発する機能が潰されたのか、もう叫び声すらあげられない。
もっと生きたかっただとか、やりたいことが沢山あっただとか、そういう感情でぐちゃぐちゃになりながら意識が急速に薄れていく。
この日、自分は短い一生を終えた。
と、思っていたのだが、どうやら自分は奇跡的に助かったらしい。
目を覚ますとなにやらお姫様が使っていそうな天蓋付きベッドで眠らされていた。
「な、何事!? なんで私こんなところに寝かされてるの!? 普通、交通事故にあったら病院なんじゃ…………って、服もお姫様みたいなドレスだし!」
肩で息をしながら絶叫する。するとそんな叫びを聞いたのか、家の総面積より広い部屋の扉が開いた。
「お嬢様! 目が覚まされましたか! いきなり地下室で倒れられたと聞いて心配いたしましたよ!」
「わお」
思わず感嘆の声を漏らす。部屋に入ってきたのは眉目秀麗という表現が、ピッタリと当てはまる黒髪紫目の少年執事だったのだ。
しかも顔立ちが明らかに東洋人のそれではない。
「地下で倒れた? 私はトラックに轢かれたはずなんだけど……それより貴方は誰なの?」
少年執事は「とらっく?」とまるで初めて聞いた言葉のようにキョトンとする。
「私はお嬢様の専属としてお仕えさせて頂いているヘンリー・バトラーでございます。どうされたのですか、アナリーゼお嬢様」
「あな、りーぜ。いやいや私の名前はそんな横文字じゃなくて――――――」
そこでふとした拍子に鏡へ映る自分の姿が視界に入る。そこに立っていたのは、極平凡な女子高生ではなく、
「な、なんじゃこりゃああああああああああああ!」
青白磁のロングヘアにアイスブルーの目をした、白い肌のお姫様が立っていた。
そしてそのお姫様が自分だった。
あれから一週間がたって漸く自分の現状が理解できてきた。
今の自分はアナリーゼ・アガレス。バエル王国の二大公爵家、アガレス公爵家の一人娘のご令嬢で次期当主らしい。
歴史はそこそこ詳しいが現実世界にそんな名前の国家は存在しない。そもそもこの世界には魔法が当たり前に存在するらしいので、どう考えても自分のいた世界ではないだろう。
恐らくトラックに轢かれて死んだ後、自分はこの異世界にアナリーゼ・アガレスとして転生してしまったのだ。
「それはいいわ。いや、全然よくないけど……楽しみにしてたゲームもプレイできずに死んじゃったし」
だがそれよりもまず目下最大の問題、それは、
「この異世界が乙女ゲーの世界で、アナリーゼ・アガレスが主人公を徹底的に苦しめた挙句、最期は破滅して死亡する悪役令嬢ってことよぉぉ!!」
思い返すと少年執事がヘンリー・バトラーと名乗った時にデジャブを感じたのだ。なんかどっかで聞いたことあるな、と。
そしてアナリーゼ・アガレスという自分のフルネームを聞いて確信した。ヘンリ・バトラーもアナリーゼ・アガレスも自分が最後に購入して死んだ『ホロスコープ・クロニクル』の登場人物の名前であると。
「しかも最悪に輪をかけて最悪なのが、私がこのゲームを買っただけでプレイしてなくて、公式サイトのあらすじや登場人物一覧での説明とネタバレレビューだけなのよね……」
アナリーゼは前世の記憶を思い出す。
『悪役令嬢のアナリーゼはどのルートでも、最後にゃ死ぬのが、この作品の評価ポイントだよなwww』
これが最も印象に残っているネタバレ糞レビューアーのレビューである。他にもネタバレ糞レビューアーは幾つかシナリオの大事なことをネタバレしていった。
あのネタバレを見てしまったことで自分はこれ以上のネタバレは踏むまいと、ネット断ちをしてあらゆる情報を遮断していたのだった。ネタバレを恐れるファン心理が今になって憎い。
「ああもう糞っ! こんなことなら開き直ってゲームプレイ前にネタバレ糞レビューアーのレビュー全部読んどくんだった!! ガッデム!」
その時、コンコンと扉がノックされる。どうぞ、と言うと少年執事――――ヘンリー・バトラーが入ってきた。
「部屋の外まで聞こえていましたよ、お嬢様。アガレス公爵家の姫たる者が”糞”などと、そのような品のない発言はどうかおやめください」
「わ、分かってるわ! でもでも人は時に下品な言葉を使いたくなる時があるのよ」
「はぁ、そういうものですかね」
納得したような納得していないような曖昧な表情のヘンリー。一見すると主人がやらかしたら、ちゃんと諫言もしてくれる人間のできた忠誠心ある執事にしか見えない。
だがアナリーゼは知っている。ヘンリー・バトラーというこの執事は公式サイトの登場人物覧に『攻略キャラ』としてのっていたことを。
(今は甲斐甲斐しく私に仕えてくれてるけど、実は心の中では鬱積した感情を抱えているのかしら? それとも今はそんなでもないけど、悪役令嬢のアナリーゼに虐げられて、それをこの世界の主人公に癒されて云々ってパターンなの? むむむ……)
「ど、どうされたんです? ”俺”の顔をまじまじと見つめて」
顔面は文句なしの美少女のアナリーゼにじっと見つめられ、ヘンリーの頬が朱に染まる。
だがヘンリーを見ていても彼の素の一人称が”俺”だったらしいということしか分からなかった。
こうなれば後は直接聞いてみるしかない。そう思い立ったアナリーゼが口を開く。
「ねえヘンリー! 私に恨みとか不満をもってたりとかない!?」
「え!?」
いきなりそんなことを言われ仰天したヘンリーは、慌てた様子で、
「庶民出身の私を、アガレス家の使用人に雇っていただき、お嬢様を恨むなど、そんなことがあるはずないじゃないですか。もしかしてなにか私が無作法なことをしてしまいましたか?」
「そんなことないわ。貴方はよくやってくれてると思うわよ」
中身は一般家庭出身の現代JKに、執事の無作法を見極める眼なんてないだろうけど――――とアナリーゼは心の中でつけ加えた。
ヘンリーの言葉を素直に受け取れば、彼は”アナリーゼ・アガレス”に好意的な感情を持っているらしい。けれどそれが本心なのか、それを隠すための嘘なのかは分からない。
アナリーゼがこの世界のことで唯一つ疑うことなく信用できるのは、前世で見た公式サイトの知識と、不本意だがネタバレ糞レビューアーのレビューだけだ。
(アナリーゼはどのルートでも死ぬっていうことは、ヘンリーのルートでも私は死ぬのよね。具体的にどういう風に死ぬかはともかく、ネタバレ糞レビューアーによれば……)
『悪役令嬢のアナリーゼはどのルートでも、最後にゃ死ぬのが、この作品の評価ポイントだよなwww』
またネタバレ糞レビューアーのレビューが脳裏に蘇った。
そして『最後にゃ死ぬ』という部分が何度も何度もリピートされる。
(実際にゲームをプレイしたプレイヤーが満場一致で死んで拍手喝采するようなキャラなのよね)
美少女無罪なんて言葉が生まれるくらい、外見が美少女であれば悪行を擁護されたり、逆張りで庇うファンも出てくるのが世の常である。そしてアナリーゼ・アガレスは鏡で見る限り文句なしの美少女だ。だというのに満場一致で死が喜ばれるというのだから、アナリーゼというキャラはヘイト役としてある意味相当完成度の高いキャラだったのだろう。
ゲームのプレイヤーだったら高評価をつけたいが、自分がそのキャラクターになってしまっている現状では、よくもそんな完成度の高い憎まれ役を作ったなと文句を言いたいくらいだった。
「あ、あのお嬢様? もしかして具合でも悪いんじゃ……」
心配そうに顔を覗き込んでくるヘンリー。けれど今のアナリーゼにはそれが信用できない。
そういう顔をして実は煮えたぎるような殺意を秘めているのではないかという邪推が浮かぶ。疑心暗鬼に囚われているのが客観的に理解できた。
「大丈夫よヘンリー、ちょっと一人で考え事したいことがあるから下がっていてくれる?」
「え、ええ。では」
一礼して退室していくヘンリー。その後ろ姿を見送りアナリーゼは覚悟を決めた。
「やっぱりあの魔法を使うしかないわね」
そう言ったアナリーゼはテーブルに置かれている魔導書を見た。
転生する前のアナリーゼ・アガレスが倒れていたという地下室、そこには一冊の魔導書が一緒に落ちていた。
その魔導書に記されていた魔法こそ、アガレス家が代々受け継いできたとされる通常の魔法を超える超魔法である。
超魔法というのは王家と開国以来の貴族家が代々継承してきたもので、その家によって継承する超魔法は千差万別だ。まったく同じ超魔法は一つとして存在せず、その家がどういう超魔法を継承しているかは王家に対してすら秘密とされている。
だが超魔法には二つだけ共通することがある。
一つは通常の魔法では再現不可能な奇跡を引き起こすこと。
そしてもう一つが超魔法の発動には例外なく魔力以外に術者の”寿命”を消費するということだ。その消費寿命は術者の魔力量と、超魔法の規模によって異なる。ちなみにアガレスの魔導書には、この超魔法には最大十年寿命を消費すると記されていた。
「この魔導書によればアガレス家に受け継がれてきた超魔法は、異界から救いの英雄を呼び出すというもの。この世界の人間は誰が私を殺すのか分からないけど、異世界の人間なら少なくとも最初から殺意MAXってことはないわ!」
寿命を消費するのはちょっとどころではなく恐いが、誰一人として信用できない世界で、ずっと疑心暗鬼に囚われ続けるよりはマシだ。
それに公式サイトによればアナリーゼは『魔法の才能に溢れてる』と書いてあったので、恐らく消費寿命は五年以内で済むだろう。
とはいえ消費するものがものだけに連発はできない。
地下室に降りたアナリーゼは、細心の注意を払いながら魔法陣を描いていく。
そして縁起を担いで深夜2時、アナリーゼは召喚魔法を行使した。
「カモン! 強くて優しくて、更に二割増しくらい優しい救いのヒーロー!」
詠唱なんてものは記されていなかったので、適当に叫ぶ。すると魔法陣は正しく効果を発揮したのか爆発的に発光し始めた。
余りの眩しさに思わず目を瞑る。時間にして十秒ほどだろうか。光が収まったので恐る恐る眼を開いた。
するとそこには、
「―――――――――――――」
ボサボサの黒髪に黒い眼。整ってはいるが涼やかというよりは冷たい印象を与える顔立ち。なによりも目を引くのは、この世界ではまず見ないエキゾチックな民族衣装に身を包んでいることだった。ぶっちゃけ言うと着物だった。
「え、うそ和服ゥ! ……異世界の救いの英雄って、も、もしかして……天界とか魔界的な感じの異世界じゃなくて私の同郷的意味の異世界なの!?」
「……………………」
召喚された男は何のリアクションも起こさず、じっとアナリーゼのことを見ている。
このままだと話が進まないのでアナリーゼが口を開く。
「あ、あのぅ」
「……………………」
「もしもーし!」
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」
「ふぇ」
「辞世の句だ」
「はぁ、結構なお点前で?」
アナリーゼは俳句とか短歌とか分からない系女子だった。
「……………………」
そして辞世の句を詠んだ男はまた黙り込んでしまう。
「あ、あのぉ」
「……………………」
「なにか発言してプリーズ!」
「さっさと首を刎ねろ」
「刎ねないわよ!? 何言ってるの!?」
突然の爆弾発言にアナリーゼは叫んだ。だが男のほうはどこ吹く風だ。
「俺は命を惜しむが、乞いはしない。斬るがいい。ただ情けがあるのならば、太閤殿下のご恩を忘れず、秀頼様に忠節を尽くしてくれることを、祈る。さらばだ」
瞬間、あらゆる全てのピースがパチッと当てはまってアナリーゼの脳裏に一つの名前を浮かび上がらせる。
まさかの人物にアナリーゼはやや興奮気味に言った。
「たいこう……大公じゃなくて、もしかして太閤のこと!? それに秀頼様って……も、もしかして貴方って戦国時代の人なの!? 名前は!?」
「これから斬首する男の名前も知らないのか? 不勉強極まるな。ただ首を斬るだけの役割だとしても、命を扱うのだ。もしも処刑する相手が間違っていたらどうする? 命は取り返しがつかんのだぞ」
もっともな説教であったが、アナリーゼにはそれより言ってやりたいことがあった。両手を大きく広げて叫ぶ。
「貴方こそ周囲を見てって! これが処刑するところに見える!?」
ただの鈍感だったのか、それともそんな余裕すらなかったのか。アナリーゼの叫びに漸く男は周囲を見渡して、目を見開いた。
「異国の女子、地下室、斬る気はない意思表示……………分からん。誰だお前は? ここはどこだ? 名を名乗れ」
「さっきから名前を聞いていたの私ぃ! まぁいいわ。私はアナリーゼ・アガレス。この国の公爵令嬢よ。王様とも親戚だから結構偉いのよ? まあ私じゃなくて『アナリーゼが』なんだけど」
「流れる血の貴さと、己とを分けるとは、物の道理をよく分かっている。女にしておくのが惜しい」
そういうつもりで言ったのではなかったのだが、都合が良い風に勘違いしてくれているようなのでアナリーゼは訂正しないことにした。
「えーとそれで貴方の名前は?」
「石田治部少三成」
果たしてそれはアナリーゼが思い浮かべた名前と同じだった。
多くの秀吉恩顧の大名たちが徳川家康に阿る中、断固として徳川家康に抗い、関ヶ原の合戦を起こした忠義の人。それが石田三成だ。
自然とアナリーゼの顔が喜びで綻ぶ。
「石田三成って関ヶ原の戦いで徳川家康と戦ったあの石田三成よね! 同姓同名の別人とかじゃなくて!」
「他に治部少輔を務めた石田三成がいたとは聞いたことがないが。だが俺が石田三成と知らずに攫ったのか? 何を考えているんだ?」
「攫ったというか異世界召喚というか、なんで三成? 寧ろよくぞ三成なんだけども」
三成は頭の上に大量のクエスチョンマークを浮かべていた。
サブカル界隈で異世界転生というものが知られていた現代JKのアナリーゼだって、異世界転生した直後は大混乱だったのだ。戦国時代の人間である三成の混乱はどれほどのものか。
「いせかいしょうかん? どの田舎の方言だ? 聞いたことがないが?」
「ま、まぁそのあたりのことも踏まえて、私の部屋で話しましょう」
「こちらとしても会談の場を設けることに否はない。だがその前に一つ頼みがある。頼みというよりは話し合う前提だが」
「な、なにかしら?」
アナリーゼにとって石田三成は、初めて疑わずに信じられる人間だった。
ここで機嫌を損ねてはいけない、と冷や汗が流れる。
「縄を切ってくれ」
「あ」
思わずずっこけた。そう、斬首直前で召喚された三成は、縄で縛られたままだったのだ。
もし宜しければブックマークと、下の☆☆☆☆☆から評価を入れて頂けると大変励みになります!