第一駆
『弘法も筆の誤り』という平安時代のことわざがある。
その道の名人であったとしても、その道で失敗することもあるという意味だ。
失敗しない人間なんていない。
その道を極めていても失敗するなら素人が失敗してもあたりまえ!
そう割りきれる心の強さを持つ人はどれだけいるのだろうか?
そもそも、極めたといわれる人も生まれつき極めていた訳ではなく何度も失敗を繰り返しながら成功を積み重ねて周りの人に認められていったのではないだろうか?
何度も諦めそうになりながら、挫折しそうになりながら何度も挑戦して人は『極めた人』になるのだろう。
人が何かに挑戦する時、夢みる時、覚悟を決めた時に『挫折』や『諦め』がその人の前に壁として立ちはだかる。
その壁を乗り越えた先に『成功』という新たな世界が待っているのではないだろうか。
「お願いします!」
少年は私の目の前で突然に土下座した。
私は何をお願いされているのかそれすらもわからない。
私は真言宗のお寺の住職で、色々頼まれる事はあるがその内容もわからなければすぐに『承る』事もできない。
「え~と少年、私はいったい何をお願いされているのだろうか?」
私は現状を把握するために尋ねた。少年は勢い良く下げていた頭を上げて、
「ビワイチトライアルで優勝したいんです。
僕にトレーニングをつけて頂きたいんです。」
彼のいうビワイチトライアルとは、正式名称を『琵琶湖一周タイムトライアルチャレンジ大会』というイベントで湖岸道路を封鎖して行われるイベントだ。
一周約200㎞の琵琶湖を自転車で駆け抜けてその時間の総合タイムで優勝者を決める。プロの部、ロードバイクの部、そして一般の部が行われる。
だいたい10~20㎞の間くらいの距離で区切られて、休憩を挟みながら一周を目指す。
当日は湖岸道路に隣接する町や市のお店が出店を出して観客を楽しませるイベントでもある。
優勝賞金はプロが300万、ロードバイクが150万、一般が100万円となっている。
彼の感じから一般の部での出場だろう。
檀家さん周りで自転車移動が多く、そのスピードが速いと一時期うわさされた事もある私はプロの指導者でもないから指導を求めてもお金がかからないとかそんな理由だろう。そんなことを思うと私では彼の望みを叶えるのに役不足感がすごくあったので、
「あー、少年。私は少しばかり自転車を速くこげるかもしれないがプロでもないし、指導経験もないんだ。
だから、もっと専門の人に教えてもらった方が良いと思うぞ?」
「それでも住職さんしか頼れる人がいないんです。」
少年のまっすぐな目からは何か強い覚悟のようなものを感じる。しかし、
「少年、だいたい自転車の平均速度は時速20~30㎞と言われてる。時速20㎞でずっと走っても10時間走らなければいけない。休憩を入れながらではあるが過酷な事に変わりはないんだよ。ちょっとトレーニングして優勝できるようなものでもない。
まずはお友達とかと参加して大会の規模感とかをつかんで練習して来年の目標にしたらどうかね。」
「友達と……。いや、それだとだめなんです。
今年しかチャンスがないんです。」
必死な様子にこれ以上断る事もできず、『優勝させてあげる事はできないかもしれないけど、それで良いなら』と引き受けた。