第09話 出発
僕は村に戻ったが、特に別れを告げる相手はいなかった。孤児院の長はつまり教会の神父だが、僕の顔なんて覚えていなかっただろうし、サリャーマやギンチにも特に会いたいわけではない。
特にエリオットには絶対に会いたくないが、彼はとっくに出発しただろう。
僕は作り溜めていた燻製肉を村の質屋に卸して500ゴールド程を手にし、旅人の必需品がだいたい何でも揃う大商人ギンガムの支店――徒然屋――で旅に必要なリュックサックや簡易テント、少量の雑穀米、調理器具、簡易救急キット、地図を買った。
竜帝にもらった高価そうな宝石は村で売ると騒ぎになるのが目に見えているのでやめておいた。
門の前に立ち、一歩外へと踏み出してから、15年間育った村を眺めた。
親の顔は記憶にすらなく、特にここに良い思い出は何もない。
「行くか、サツキ、世界に平和を取り戻ために!」
「魔王とは戦わないってば。……でも僕は、たくさん外の世界を見てたい」
「そうか。――まぁそれでもいいさ。しかしお前、山での2ヶ月程の修行で、随分と逞しくなったもんだな」
言われて、僕は自分の腕や足を見下ろした。
確かに、骨が浮き出ていたのが見る影もないくらい、そこには細身ながらしなやかな筋肉のついた手足があった。
僕は小道を歩きながら落ちていた小石を拾ってアームユニットを装着し、思い切り握りしめた。
グキキ
手のひらを広げると、石は粉々になっていた。
「うん、そうみたいだ。――ガボ、これからもよろしくね」
「あぁ相棒。よろしく頼むな」
僕達は笑顔で握手を交わした。
旅が、始まった。
道すがら魔物に襲われないためには、コツがあると古くから言い伝えられている。
ひとつは歩道を歩くこと。魔物には高い知性があり、孤立した人間を襲う習性がある。
ひとつは夜に活動しないこと。魔物は夜行性だ。獣と違い魔物は火を苦手としないが、剥き出しの個体は狙われやすい。
最後は、雨。なぜか魔物は雨の降る日を極端に嫌う。特に雷の鳴る日は顕著にその活動が低下するという。だから雨は旅人の味方であり、傘は旅の必須アイテムだ。
だが僕は傘を買う余裕はなかった。
そして2日目、空からは早速雨が降り始めた。
安かった麻テントは雨にめっぽう弱いので、夜になっても僕達は野宿を余儀なくされた。
「ねぇガボ、君って傘ユニットとかないの?」
「俺を傘扱いするとはいい度胸だな、素振り増やすか、ん?」
「冗談だって。そういえばさ、頭と手足のユニットがあるから、胴体ユニットもあるの?」
「勿論あるぞ。最大の耐久性、バリア展開機能、魔力補助、持久力・全身筋力強化補助、毒耐性、脳内麻薬分泌による疼痛耐性、と機能目白押しだ」
「ふーん。よく分からなかったけどなんか凄いや。それ、試しにつけてみたい」
「残念だが、金属片――分かりにくいから今後は『チップ』と呼ぶが――チップ三枚分が構成に必要だから無理だ。用語はおいおい解説してやる」
「えぇ、三枚も。そりゃ実戦で使える日来るのかな……」
「来るさ。チップは大半の人間には価値がなく、かつ頑丈でちょっとやそっとじゃ破壊できない。案外市場に出回ってるかもしれない」
「なるほど、それは楽しみだね!」
「あぁ、だからなるべく人の多い町を目指そう」
「賛成!」
ガサ
その時、得体の知れない悪寒を覚えて振り向くと、異形の生物が、そこにいた。
初めて見る。
どこか人の姿に似た、手足の異様に長い獣。背中の筋肉が異様に盛り上がっており、眼球は窪み眼光は暗く澱んでいる。
「あ……ぼ……」
その大きな口がにやりと開かれた時、ガボが自ら双脚ユニットを展開したことで、僕の金縛りは解かれた。
(走れ!)
(――ッ!)
装着と同時に僕は異形の生物から大きく距離を空けた。生物が追いかけてくる様子はない。
僕はすぐに踵を返し、全力疾走でその場を離脱した。
雨降る砂利だらけの歩道をどれだけ走っただろうか。旅人が祈りを捧げるための祠を見つけて、僕はその中に逃げ込むように入った。
中には、額に稲妻みたいな模様の刻まれた小さな地蔵さんが座しており、他には誰もいなかった。
そこで僕はようやく呼吸をゆるめた。
「フー、怖かったな。ガボ、あれが魔物か」
「そうだ。……最初に遭遇したのが雨の日で助かった。奴の活動が落ちてなければ、多分死んでいた。……クソ!魔物の気配は覚えたから、今後はあそこまで接近を許すことは二度とない!」
珍しくガボが苛立っている。
それだけ危険だったということなのだろう。
「そうか、なら安心だよ……」
僕はリュックサックを卸して、お地蔵さんに手を合わせた。僕はまったく熱心な冥天教徒ではないが、今日だけは神様に感謝したい気分だった。
疲れ切っていた僕はすぐ体を横たえた。
――そういえば、このお地蔵さんの稲妻ってどういう意味だっけ……。確か神父が孤児向けの授業で言ってたような……。
眠りについたのは、すぐ後だった。