第07話 山の主
山を降りた僕は、剣術トレーニング以外は丸一日を休息に当てた。そしてこれから山の主、顔に傷のある巨大黒熊に挑む。
万が一負けたら、骨ごと生きたまま食われることになる。いや、最終的に勝ったとしても、一発生身にまともにもらったら大怪我は避けられない。
はぁ、思えばなんでこんなことになってるんだという気もするけど……。
今の僕たちはあまりに弱い。このまま外の世界に飛び出したとして、とうてい魔物には敵わず、どこかで命を落とすだろう。もしくはエリオットみたいな、悪意ある人間にいたずらに殺されるかもしれない。
それを、凶悪とはいえただの動物を討伐するだけで、魔物からしか得られない貴金属を手に入れられる、これは絶好の機会だ。
視界の悪い山中よりも、僕たちは沢での決戦を選んだ。大喰らいのあの大熊が好みそうなシカの生肉を、餌として以前遭遇した沢に置いておく。あそこが奴の縄張りなら、匂いにひかれて出てくるはずだった。
そして狙い通りに、数刻を待たずに、山の主は堂々とその姿を現した。
あの大熊が自分に向かって襲いかかってくる姿を夢想する。
あの太い腕から伸びる爪と、大きな口から生えた牙、僕の何十倍もの重さがありそうな体格――。
(サツキ、大丈夫)
「え?」
あぁ、ガボの声か。
(以前の弱いままのお前じゃない。俺を信じろ)
(うん、信じてる!)
大熊が餌に喰らいつく瞬間、僕は50メートルほど離れた岩陰から身を踊り出して、全力でその頭部目掛けて投石を放った。
バカッ!
ガボのアシストにより石は見事にその側頭部に命中し、石は粉々に砕けた。
(砕けた?)
「グオォォォォ!!」
こちらの居場所はすぐにバレた。熊はすぐにこちらに向けて駆け出して来た。
イノシシを一撃で昏倒させる一撃も、あの大熊には怯ませることもできないらしい。
僕は前足目掛けてもう一度だけ石を当てたが、その歩みは止まらない。
「転換!」
ガボが弾けて、再結合する。その無防備な時間はわずか1秒程度のはずだが、やけに長く感じる。
右脚にレッグユニット、左足にアブゾーバー、右手にナイフを構えた時には、もう大熊はすぐそばまで接近していた。
バックステップで小さく距離をとると、大熊は図体に見合わない素早さでそれ以上の距離を詰めて、今はもう目の前。僕は奴の射程圏内に入った。
三分しか保たない高周波ブレードを起動させる。
(左だ!)
ガボの助言通り、左側から腕が斜め横薙ぎに振るわれる。右へはサイドステップできない。僕は大きく跳躍し奴の背後に着地した。振り向くと、大熊は未だ僕を見失ったままだ。
急いで前進し、決定的な隙をつき、ブレードでその後頚部を切り付けた。
やったか!?これで致命傷になってもおかしくない。
――吹き出す鮮血とともに痛みと驚きの合わさったような声をあげながら、しかし大熊は両腕をぶんぶんと振り回した。なかなか近寄れない。少なくとも、致命傷を与えた様子はない。
――ダメだ、浅かったんだ。
岩をも斬れる刃が浅く入ったということは、ただの僕の踏み込み不足だ。
距離を取った僕を視界に入れた大熊は、仇でも見るかの様な眼で僕を見るや、吠えながら突進してきた。
ナイフの稼働限界まであと1分程。
ど、どうする。
ナイフが停止したら、僕はこの熊を倒せないだろう。
(――仕方ない、特別授業だ、サツキ)
そう言うなりガボはレッグユニットを解除し再びアームユニットへと転換した。
眼前に迫る大熊。もう逃げられない。
(足を地面にしっかりつけて、目を見開いてよく見ておけ)
そして大熊の樽のような大きな腕が右から僕の首をもぎとろうと振るわれた。
サン
それに対し、すくいあげるように右手に持ったナイフが振るわれる。
殆ど抵抗も感じず振るったその一閃は、しかし的確に熊の左腕を切り裂いていた。
「グワァァァ!!」
絶叫を上げる熊。それもそのはずで、ナイフは腕を両断しなかったが、中央を走る上腕骨をまっぷたつにし、腕はもはやただの揺れる肉片と化していた。
それでも熊の執念か、すぐに残る右腕で襲い掛かってくるが、ガボの操る右腕はそれをまた真正面から切り捨てた。一呼吸のうちに両腕を機能不全にされた熊はもはや血走った目で相打ち覚悟に僕の頭を直接かみ砕きに来たが、その喉を一突き。
それで大熊は地面に崩れ落ちて、動かなくなった。
「ハァ……ハァ……」
結局大したことはできていないのだが、僕は大きく息をついた。
死をこれほど近くに感じたのは正真正銘初めてだった。
(痛ッ)
右腕が肩から指先までずきりと痛んだ。痛みは次第に強くなっていく。
(これが強制操作の代償だ。しばらく激痛だが慣れるからガマンしろ。ただの熊が相手だったから1日で回復するだろう)
ただの……ね。
ガボはほんと、僕に何を相手にさせるつもりなんだろうな……。
僕は河原の上に倒れ込んだ。