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吸血鬼&人狼の本棚

魔法使いの娘は綺麗な顔の首を欲しがった

作者: 黒本聖南

 首が欲しいの、と娘は言った。


「胴体なんていらないわ、お人形のように抱き締めて、一緒に仲良く暮らすのよ。ねえ、お母様。わたし、首が欲しい。綺麗な首が欲しいの」


 夕食後に毎度行われる、母と娘のティータイム。紅茶を蒸らしている間に、弾んだ声で娘は母にねだった。


「首?」

「首よ。首。綺麗な顔の首よ。綺麗じゃないならいらないわ」


 大きく黒目がちな瞳を潤ませ、薔薇色に染まっていく頬に手を添えながら、うっとりとした声音で語る娘。

 そんな娘の様子を微笑ましそうに眺めながら、母は訊ねた。


夜桜よざくら。どうして急に、そんなものが欲しくなったんだい?」

「今日読んだ本にね、綺麗な首を手に入れた女の子の話があったの。胴体が繋がっている時は振り向いてくれなかったのに、離れた途端に自分のものになるのよ? 素敵じゃない! わたしも欲しい!」

「なんだ、本の影響か」

「なんだとは何よ! もう! ……わたし、将来は頭空っぽの男と結婚するわけじゃない?」


 首の話をしていた時とは一転して、俯きがちに自身の長い黒髪を弄びながら、暗い声で未来を語る娘──植園うえその夜桜。

 娘に瓜二つの容姿をした、年齢を感じさせない若々しさを誇る、母こと植園桜桃(おうとう)は、溜め息混じりに返事をする。


「夜桜……何度も言っているだろう? 頭が空っぽの方が都合が良いと。君の可愛さで夢中にさせて、骨抜きにして、何かを考える隙も与えず、思考すら奪って、君が婚家を掌握できるように動くんだ。それが植園家本家の繁栄に繋がる。君は何度も言われないと分からないような、理解力のない猿だったか?」

「違うのお母様。それはいいの。そういうことじゃなくて……そんな相手と暮らしていくわけだから、ストレスが溜まるじゃない? ストレスは美容の敵ですもの、何か解消できるものを、今から身近に置いておきたいのよ」

「それが、首だと?」

「そう」


 桜桃は片手を頬に添え、少しの間考え込む。


「……君は、どんな首が欲しいんだい?」

「お母様!」

「首はそのままにしておいたら腐ってしまうからね。毎日きちんと防腐処理をするんだよ」

「もちろんですわ! わたし、ちゃんとやります!」


 興奮した娘の様子が可愛くて堪らないのか、桜桃は愛おしげに目を細めた。

 そんな話をしている内に、紅茶の蒸らし時間が終わる。まずは一口、揃って紅茶に手を付けた。

 仄かなジャスミンの香りが、母娘の心を和ませる。表情は和らぎ、身体の力は抜け、ほとんど同時に母娘は、恍惚とした吐息を溢した。


「美味しい……」

「そうだな。ところで、夜桜。首の話に戻るが、欲しい首のあてはあるのかい?」

「ありますわ!」


 あまりにも元気良く言ってしまった為、夜桜は恥ずかしそうに控えめな咳払いをし──望みを口にした。


「アルデバランの首が欲しいの」


 その瞬間、桜桃は目にも止まらぬ速さで、娘の顔に紅茶を掛けた。


「──っ!」


 まだ熱さの残る紅茶を顔に浴び、夜桜は悲鳴を上げながら、片手で顔を押さえ、もう片方の手をポケットに突っ込む。そして、中から小瓶を取り出すと、急いで蓋をこじ開けて、テーブルの上に中身をぶちまけた。

 涙の形をした、赤い結晶。

 無数に散らばるそれらから、夜桜は手探りで数粒掴み取り、気品など感じられない獣じみた動きで口の中に運んだ。

 すると──紅茶で濡れた夜桜の髪は急速に乾き、衣類も乾き、テーブルの上に掛かった紅茶も消え、赤い結晶も小瓶の中に戻っていく。

 夜桜が顔を上げた時には、紅茶がぶちまけられた痕跡はなくなっており、怯えを宿した彼女の瞳は──鮮血に染まっていた。


「……お母様」

「夜桜。母の聞き間違いかね? 君が、アルデバランの首を欲しいと言ったような気がするが、そんなことはないだろうね?」

「……はい、言ってません。申し訳ありません」

「そうか。もしも聞き間違いでなかったら、君の首と胴をお別れさせて、母が可愛がったものを」


 静かに微笑む母の顔には、しっかりと書いてあった。

 ──命拾いしたな、と。

 娘は身体を震わせながら、そっと母から視線を逸らす。


「首のあては、ありませんでした。わたしは……美しい吸血鬼が欲しいです。吸血鬼なんて、涙を流せばそれでいいでしょう? 胴体なんてあったら、逃げてしまいます。それなら、首だけ欲しいの。美しい吸血鬼の首と、生活したいものです」


 吸血鬼の涙。

 それは、涙の形をした赤い結晶のことを指し、その中には魔力が込められ、人間が口に含めると魔法を行使することができる。

 植園桜桃と娘の夜桜は魔法使い。吸血鬼を囲い込み、魔法使いとして名を上げてきた一族。その本家に属する者達。

 植園家本家当主はかなりの高齢だが、矍鑠とした人物で、その娘であり後継者の桜桃に、まだまだ代替わりの予定はない。当主の采配に従い、任務を遂行していく日々。

 当主の孫娘の一人でしかない、将来は分家に嫁ぐ予定の夜桜に、本家吸血鬼をどうにかする権利など端からない。冗談でも口にしてはいけない言葉だった。

 夜桜が発言を訂正したことに満足した様子の桜桃だが、改めて口にした娘の望みに、少し考え込んだ。


「夜桜。君は……運が良い」

「……え?」

「最近、秘密裏に分家の内情を探らせたんだ。そうしたらある分家で、シェフィールドの吸血鬼を捕縛したにも関わらず、本家に未報告の家があった」

「まあ!」

「元々囲っていた吸血鬼も含めて没収し、その家は取り潰しを考えている。夜桜、君が望むなら、吸血鬼を一体、君にあげようか?」


 怯えは瞳から消え去った。夜桜は目を輝かせ、はしたなくも何度も頷いた。


「お母様、ありがとうございます!」

「それはいいが……どうするつもりだい?」

「どうするって、もちろん生首にしますわ!」

「吸血鬼は身体の部位が欠損すると、その失った部位は灰になり、新たに再生されると聞く。首も、切り落とした瞬間に灰となり、胴体から再生していくだろう」

「あ……」


 そこまで考えていなかったのか、悲しげに俯く娘。そんな娘に慈悲に満ちた笑みを向け、母は口を開いた。


紅葉こうようを覚えているか?」

「わたしの叔父様、ですよね? 叔父様の息子がわたしの婚約者ですもの、忘れませんわ」

「そうだ。何か知らんが、初恋を引きずっているあの情けない男だ。別の女と結婚して子供まで作っているくせに、ずっと没落した家の女の尻を追い回している奴」

「わたしの義父になる方とは思いたくありませんわ」

「母もアレが弟だという事実が恥ずかしい。でな、その没落した女の母というのが、吸血鬼を生首にする魔法を編み出した家の出なんだ」

「ええっ!」


 夜桜の目に輝きが増していく。身を乗り出す娘を咎めず、桜桃は続きを口にした。


「尻を追い回しているんだ、きっと吸血鬼の生首化に関する情報を知っているはず。知らなければ探らせよう。あいつが役に立つこともあるんだな」

「本当ですね! ありがとうございますお母様! 大好き!」

「母も愛しているよ。──君が我が家に利益をもたらしてくれる限りは」


◆◆◆


 植園家本家に囲われた吸血鬼、アルデバラン・シェフィールドは、当主の寝室の隣室で、足に鎖を繋がれて、日々を過ごしている。

 彼の部屋の天井は、一面ガラス張りとなっており、日夜空を眺めながら、怠惰を貪っていた。

 掃除が行き届き、埃一つないカーペットの上に、アルデバランは何も敷かずに仰向けになっている。見事な長い白髪は、無惨にもカーペットの上で乱れていた。梳かせば絹のような触り心地と美しさで人を魅せるというのに。

 彼は、誰が来ようと動かない。自分を囲う本家の当主が来ようと、次期後継者が来ようと──当主の孫娘が来ようとも。


「アルデバラン」


 部屋に入り込んできた、数いる孫の一人、植園夜桜が話し掛けても、アルデバランは微動だにしない。夜桜は彼の顔の傍にしゃがみこみ、彼の頬に手を添える。


「美しい。本当に美しい顔。わたしはお前の首が欲しかった。わたしが、お母様の一番最初の子供だったら、お前をもらえたのかしら」

「……」

「お兄様が憎らしい。一番最初に生まれただけで、お前を好き勝手できるんですもの。憎らしい。……殺してしまおうかしら。お兄様を殺して、他の兄や姉も殺して、頭の悪い婚約者も殺す。そうしたら、お前が手に入るかしら」

「……」


 アルデバランは一言も声をもらさず、静かに顔をしかめた。

 そんな顔も堪らないのか、形の良い彼の薔薇色の唇に、自身の唇を重ね、たっぷり時間を掛けた後で夜桜は離れる。


「無理なことは分かっているの。わたしの下にもお母様の子供はいる。わたしを殺して、その中から自分の跡継ぎを探すのでしょうね。冷酷なお母様。それでもわたしは、貴方のような女性になりたい」

「……」

「アルデバラン、何か言って。お前の声が聞きたいの。ねえ、お願い」


 甘みを含んだ声で、夜桜は吸血鬼に乞う。思わず願いを叶えたくなるような、魅力的な声だが、アルデバランはしかめ面を崩さなかった。


「アルデバラン」

「──煩わしい」


 不機嫌極まりない、男の低い声。

 夜桜は素早く、吸血鬼の頬を叩いた。


「煩わしい? このわたしが? お前は何を言っているの?」

「煩わしいから煩わしいと言った。失せろ。おれは空を見るのに忙しい」

「お兄様とは喜んで遊ぶくせに」

「薬を盛ってくるような奴と、おれが本心から遊んでいると思っているのか?」


 アルデバランの言葉に、夜桜は人差し指を顎に当て、考え込んだ。


「……わたしも薬を盛ろうかしら」

「煩わしい」

「語彙力がないのかしら。安心して。わたしが好きなのはお前の綺麗な顔だけ。お兄様を含め、色んな方に汚された身体なんていらないわ」

「……」


 アルデバランは口を閉ざした。

 夜桜は勝ち誇ったような顔をして、好き勝手吸血鬼の綺麗な顔で楽しみ、満足すると、機嫌良く部屋を出ていく。

 アルデバランが見送ることはない。誰も彼も、その身体を弄び、通り過ぎていく。彼が生まれてから変わらぬ日常。

 それでも、空を見ている内は自由だ。空を飛ぶ鳥を見て、自分も鳥になったような妄想をし、その中でだけ、誰にも邪魔をされずに空を飛ぶ。


 そんな自由が訪れる日などありはしない。


 他家で捕らえた吸血鬼が逃げたことも。

 初恋に囚われる魔法使いが何を考えているかも。

 どこかで新たな命が生まれることも、全て、鎖に繋がれたアルデバラン・シェフィールドには関係のないことなのだ。


 彼は空を眺める。

 その自由だけは、誰にも、奪わせない。

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