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君の声がする

作者: 呉服町

春の訪れを予感させる三月の朝。冬の名残を残す冷たい風が、千尋の髪をそっと揺らす。高校最後の春を迎えようとしているのに、彼女の心はずっと秋の終わりに置き去りにされたままだった。


通学路の途中にある大きな桜の木の下で、千尋は立ち止まる。かつて、この場所で何度も笑い合った人がいた。彼の温もりも、声も、すべてが昨日のことのように蘇る。けれど、その姿はどこにもない。


悠真が逝って、半年が経とうとしていた。病魔は静かに彼の命を蝕み、千尋がどう願おうと、祈ろうと、悠真は手の届かない場所へと行ってしまった。


最後まで彼は笑顔だった。震える手で千尋の手を握り、「ちゃんと生きろよ」と呟いた。その声は今も耳にこびりついて離れない。なのに、世界は何もなかったかのように進んでいく。


学校でも、家でも、千尋の時間だけが止まったままだった。周囲の気遣いに曖昧な笑みを返すのが精一杯だった。目を閉じれば、悠真の声が聞こえる。でも目を開ければ、どこにも彼はいない。


そんなある朝、千尋の誕生日。ポストに一通の手紙が届いていた。


『悠真』


その名前を見た瞬間、息が詰まる。震える指で封を切ると、懐かしい筆跡が目に飛び込んできた。


『千尋、誕生日おめでとう。


プレゼントは用意できなかったけど、その代わりにこの手紙を書いておくよ。俺、もうそっちにはいないんだよな。ごめんな。でも、これを読んでるってことは、お前はちゃんと生きてくれてるってことだろ? それが何より嬉しい。


お前、ちゃんと飯食ってるか? ちゃんと笑ってるか? 俺がいないからって、泣いてばかりだったら怒るぞ。


俺はずっと、お前が幸せでいてくれることを願ってる。だからさ、そろそろ前を向いてくれよ。俺がいなくても、お前は大丈夫だ。だって、俺が好きになったやつだから。


春になったら、桜を見に行ってくれよ。俺がいた場所に行って、笑ってくれたら、それでいい。


最後にひとつ。


お前の声、俺にはちゃんと聞こえてるから。』


千尋の視界が滲む。震えながら、手紙を胸に抱きしめる。


悠真はもういない。それは変わらない事実だった。だけど、彼の言葉は確かにここにある。


その日の夕方、千尋は桜の木の下に立った。芽吹き始めた小さな蕾が、淡い夕陽に照らされている。


「……悠真」


呟くと、そっと風が吹いた。


まるで彼が微笑えみ、千尋に話しかけているような、優しい風だった。


千尋は涙を拭い、顔を上げる。


そして、静かに微笑みながらつぶやく。

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