2 解呪と悪魔。
「あら、素敵な心持ちね」
虚ろな目で、愛する妻と社交の場で楽しそうにしている子が居たの。
もう直ぐ沈む泥船の中に、綺麗な真珠。
《お初にお目に掛かるかと》
「そうね、私はゼパル子爵、宜しくね」
この懐中時計で、あ、分かる子なのね。
《すまないけれど、少し良いかな》
あら、厄介な子ね。
「大丈夫よ、直ぐにお返しするわ。私、寧ろ女の子が好きなの」
「あ、いえ、はい」
さ、場所を移動して。
どうして虚ろなのか、教えて貰おうかしら。
「で、どうしてアナタは虚ろなのかしら?」
《もう全て、ご存知かと》
「嫌ねもう、私は悪魔。神では無いのだから、最初から何でも全て知っているワケでは無いわ」
《失礼致しました》
「良いのよ、で、どうしてなのかしら?」
《ココはもう、泥船も同然です》
「そうね」
《諸共に、沈むだけですから》
あら、良く分かっている良い子なのに。
どうして誰も。
あぁ、そうなの、アナタはバルバトスの子なのね。
「そうね、沈む日を楽しみにしているわ」
私の子だと思っていたけれど、少し違ったわ。
だって、名誉に感心が無いんだもの。
《今日も無事に過ごせましたね》
『あぁ、そうだな』
衛生観念を正すには一朝一夕にはいかない。
ココまで来るのには、散々苦労した。
根拠の無い噂、民間療法が信じられている世界。
中でも酷かったのが、処女膜が復活すると信じられている泉。
そして揉め事が起き、悪魔が現れた。
と言っても、実質は天使だ。
バルバトス騎士爵が駆け付け、その男の命と記憶を戻した。
《元気かしら》
『まぁ、大丈夫だろう』
彼は1人の女性に深く愛されている。
全てを知って尚、傍に居る事を選んだ女性。
《嫉妬されてたね、ふふふ》
婚約者に女が近付けば、大概の女は警戒する。
だが彼女は違った、一切の警戒心を見せず、あの男にバレ無い様に監視を続け。
警戒すべきでは無いと分かると、最初と同じ素振りで相対していた。
『もう、他人のモノに興味は無いんだがな』
道理も衛生観念も同じだ。
自分さえ良ければ、そんな事を続けていれば、いつしか被害が拡大する。
それらを体験し、実感した俺が言うんだ。
道理を間違えてはならない。
いつか、自身に却って来る。
《大丈夫、寂しかっただけだものね。大丈夫、私が傍に居るから大丈夫》
『あぁ、ありがとう』
あの女の言葉が、今でも頭にこびり付いて離れない。
『救われたら惚れるなら、次にまた救われたら他の方も娶るのでは』
あの女が私の事を知っていたかは分からない。
けれど、その通りだった。
その通りになってしまった。
彼は私の目の前で、他の女に求婚した。
そして、側妃が嫌なら正妃にと。
私が居るのに。
《やぁ、体調は》
「出て行って!」
《そう、また来るね》
不安で堪らない、本当は離れたく無いのに。
あの人は直ぐに引き下がった。
だから私は追い掛け、怒鳴り散らした。
「そうやって!直ぐに引き下がって、結局は愛していなかったのね!!」
《なら、君はどうなんだい、僕の何に惚れたんだろうか》
「私は」
《僕は王子としてしか、君と相対して無かった、君は僕が王子様だから受け入れただけじゃないのかい》
「違う!」
《けれど、庶民からも求愛を受けていた、なのに関わる事もせずに袖にしていた》
「何で、そんな」
《王太子妃になるんだから、候補が下調べを受けるのは当然じゃないか。しかも、僕を救ってくれた相手を呪うなんて、情愛にしたって限度が有るんじゃないかい》
「そんな事で」
《君には、呪いはその程度の扱いなんだね》
「違っ」
《そんな事で、そう言ったよね》
「違う!!」
《はぁ、言い訳を聞くから、そろそろ怒鳴らないでくれるかな》
最初から、どうでも良かったんだ。
私の事なんて、どうでも良かったんだ。
「やっぱり、愛して無かったのね、最初から」
《じゃあ、君は僕を本当に愛しているのかい》
「勿論よ!」
《じゃあ、僕が王子様じゃなくなっても、付いて来てくれるよね》
この人は、こんな人だったろうか。
こんなに目が笑っていなかっただろうか。
「一体、どうしたの」
《何がだい?》
「ごめんなさい」
《大丈夫だよ、やっと落ち着いてくれたんだね》
違う、最初からだった。
最初から、この人は空虚だったんだ。
「ごめんなさい」
《構わないよ、で、僕の何処が好きなのか教えてくれるよね?》
私は、本当に好きだった筈なのに。
違う、私はちゃんと愛してた。
「アナタは、優しくて」
《優しさって何?》
「えっ?」
《当たり前の事以外、僕が君に特別に優しくした事って、何か有る?》
当たり前の事、以外。
「それ以外、当たり前以外をしないでくれたし」
《そんなに酷い環境に居たんだね、可哀想に》
違う、私はちゃんと彼の事を。
「違うの、アナタを本当に」
《大丈夫、君が僕を捨てないなら、僕も君を捨てないよ。例え王子様じゃなくなったとしても、ね》
結局、彼女は僕を捨てようとした。
沈みかけた泥船だと知った後、金品を売り払い、逃げようとした。
「ごめんなさい、アナタの事をちゃんと見ていなかったの」
《だから愛は嘘だった?》
「違うの、でも、ごめんなさい」
《どう足掻いても離れたいんだね》
「アナタにはきっと、もっと相応しい相手が現れると思うの」
《やっぱり、王子様じゃない僕はダメなんだね》
「違うの、寧ろ私なんか、王太子妃の器じゃないし。だから、身を引くのが、1番だと思って」
《なら、愛してはいたんだね》
「勿論よ、でも、だからこそなの。目が覚めたの、大役を担うには、私には」
《なら相応しくなろうとしなくても良いよ、王子様じゃなくなるんだから》
「そんな、大丈夫よ、アナタならきっと帝国でも」
《貴族としてなら、受け入れて貰えるかも知れないけれど、精々男爵かも知れないね》
「それでも、アナタは王族だもの」
《男爵の僕は、支えてはくれないんだね》
「それは、違うの、私には」
《どうにかして支えようとは思ってはいない》
「出来る事が有れば良いけれど、私は、貴族の作法で精一杯だし」
《そうだね》
「そこもよ、気付いたの。嫉妬から呪うだなんて」
《向こうは歓迎していたんだし、寧ろ祝福だよ》
「でも」
《僕を愛してくれているかどうか、だけだよ》
彼女は逃げられないと悟ったのか、真っ青になり黙り込んだ。
愛してくれたからこそ、見返りを求められなかったからこそ、僕は君を愛そうとした。
けれど、幾ら思われていたとしても、無理だった。
結局は、王子様を愛していただけ。
僕じゃない。
だって、今の僕は王子様じゃない、僕として相対していたんだから。
《大丈夫かな、王子様》
1つの国が、帝国に飲み込まれたって。
それが例の、呪われた王子様の国。
どうなったかは後になって分かるみたいなんだけど、今、凄く気になる。
『行ってみても良いが、また騒動が起こるかも知れないぞ?』
《あの印章の指輪が有っても?》
『まぁ、使えば無事に帰れるとは思うが』
《お願い、王子様の様子だけで良いから、ね?》
『どうしてそこまで心配するんだ』
《だって、凄く寂しそうだったじゃない?》
『まぁ、そうだが。上に立つ立場ともなると、そうなるんじゃないか』
《分かんない、だって皆で協力するのが国でしょ?王族でしょ?なのに寂しそうだったんだよ?》
私は、凄く悲しそうな顔に見えた。
寂しそうで、悲しそうで。
助けてって。
『だが、アレだぞ?』
《それこそ、何か。あ、もしかして巻き込まれない様にって、敢えて言ってくれたのかもよ?》
『相当しつこかったが』
《だからだよ、遠ざけたかったんだよ、多分》
『もし、それが本当だとして、どうするつもりなんだ?』
《勿論、理由を聞いてみる》
『その後は』
その後。
《その後は、話し相手になってあげる、とか》
『好きになったのか?』
《分かんない、好きって何?どんな感じ?》
『分かった、様子を見に行こう』
《うん、ありがとう》
大人って、こうやって誤魔化すのが得意だと思う。
瞼を開けて貰わないと見えなかったけど、ちゃんと耳は聞こえてた。
お医者さんの声も家族の声も。
全部。
誤魔化す時に、良くこうやって話題を逸らしてた。
ココじゃ話せないとか、そう言うのも聞いた。
私も、ちゃんと聞きたかったんだけど。
お兄さんは、私の為だって。
多分、だから、誤魔化したのは私の為だと思う。
多分。