3 拗れた男と悪魔。
私は真実を知り、謗ってしまった事を心の底から後悔した。
そして彼に記憶が無いと分かり、偽りを教えた。
「どうしてですか」
《友人だったけれど、アナタはとても居心地が良かったから》
腹の探り合いも無い。
口説き口説かれる事も無い。
素直に食事の好みを話し合え、媚び諂う事をしなくて済む。
「だけで」
《私なりに、社交界で奔放な者を探していたの。楽しかったけれど、とても苦痛だった》
一生、こんな事を続ける位なら。
やはり庶民になる方が良い、侍女すら諦めたっていいと思っていた。
けれど、目の前で失うとなると、その大切さに気付いた。
「そして僕は頭を打って、溺れた」
《鳥が落とした石でね、ふふふ》
コレは悪魔貴族の方が教えて下さった、方便。
けれど実際に、彼の頭にはコブが出来ており、風邪も相まって暫く寝込んでいた。
そのウチに金を持ち逃げした筈の侍女が屋敷を訪れ、両親を殺害し、自害。
そして家に来た憲兵に、私は偽医者の事を告げた。
それからは大事になった。
先ずは見せしめにと、元婚約者が吊し上げられ、胸には事のあらましが書かれた看板を釘で打たれ磔に。
その隣には偽医者達が磔になり。
気付けば、泉の噂は消えていた。
文字通り、何も無かった事になっていた。
念の為、私の様な令嬢を探し出し調べたけれど。
泉に行った事は消え、既に新しい婚約者も居た。
彼の復讐は跡形も無く消え去り、善行だけが残った。
「だとしても、僕は、どうやって生計を」
《私と知り合った時と同じく、アナタは情報を売っていたの》
その情報のお陰で助かった者は多かった。
そして奔放な者の病は、そのまま残っており。
彼ら彼女達は病が治るまで、と、既に僻地で隔離されている。
「まぁ、確かに、僕がしそうな事ですが」
《ほら、あまり無理をしては熱が出ますよ。それとも、そんなに私に看病されたいのでしょうか?》
手を額に当てると、彼は急いで手を振り払った。
「いや、別に」
《ほら、熱が上がりそうなのは確かですよ、ね?》
けれど、自身の体温は自覚してくれたでしょう。
「今日の所は、この位にしておきます」
《ですね、お着替えをして下さい、冷やすモノを用意させますから》
「はい」
彼の中身は、私よりも遥かに大人。
けれど、素直で真っ直ぐ。
だからこそ、怒りに任せ復讐を行った。
アレだけ傷付けられたのだから、本当なら殺人鬼になっていたとしても、私は仕方が無いと思う。
私だって、本当は殺してやりたかった。
憎くて憎くて、周りなんてどうでも良かった。
けれど縛られる家が有った、家族が有った。
そして今は、優秀な優しい姉だけ。
《知恵熱が出そうなの、冷やすモノを良いかしら》
《はい、直ぐに》
『すみません、息子に何か』
《あ、いえ、熱が出そうになってしまっただけですから、ご心配なさらないで》
『すみません、宜しく、お願い致します』
彼には、家族は枷にはならなかった。
けれど、そこには幾ばくかの誤解が有る。
そう悪魔貴族の方は教えて下さった。
少なくともご両親は、彼を大切に思っている。
そして、ご兄弟も。
《全く、この年まで熱を出さなかったと思ったら、今度はこんなに何度も。母さんも心配しているんだから、無理をしない、良いね》
「はい」
父は甘過ぎる。
そして母は、優し過ぎる。
元から、貴族としては不適格だとは俺も気付いていた。
けれど、賢く大人しい弟は、寧ろ向いているとすら思っていた。
因みに俺は、貴族には向いていないが。
祖父の教えが有ったからこそ、何とか婿入りし、生活が出来ている。
祖父は有能だった。
そして自分の息子が貴族にも商売人にも不向きだと、早々に理解しており。
取り敢えずは、もし俺の代まで保てば継がせるつもりだった。
だが見事に廃業寸前まで追い込まれ、俺の援助で生活していた。
そして直ぐに弟からも援助され、親の面目は丸潰れだろう。
けれど仕方が無い、どう育てても向き不向きが有る。
あの晒された貴族や偽医者が、その証拠だ。
「どうだった、弟君は」
《バルバトス様、珍しくしょんぼりしていて、とても可愛かったですね》
「それで、婚約者の方はどうだ」
《献身的で驚きました、高位にも珍しい者が居るんですね》
「あぁ、内密だが、アレも偽医者の被害者だ」
《もう少し、ぶん殴っておけば良かったかと》
「殺しては元も子もない、アレ位で寧ろ丁度良いだろう」
《そうですね、悪しき見本には長持ちして貰わないと》
俺は頭より腕っぷし。
なのでバルバトス騎士爵の傍で憲兵をしている。
けれど弟は頭で稼いだ、醜聞を集め、良き貴族を守った。
あの家は潰れても良いけれど、せめて弟には、貴族のままで居て貰いたい。
《少し見ない間に、大きくなられましたね》
以前の僕がどう思っていたのか、未だに分からない。
けれども、少なくとも、関わる事は嫌では無かったのだと思う。
いや、寧ろ最初は、大人になった妹を庇う様な気持ちが有ったのかも知れない。
けれど、僕にその記憶は無い。
だからなのか、彼女の言う通りにしてみようかとも思っている。
「僕は、醜聞を多く仕入れたせいか、非常に女性不信です」
《と言うか、人間不振では?》
「まぁ、そうですが。なのでコレから先も、そこらに良く居る女性が喜ぶ様な事は、出来ないと思います」
《はい》
「幾ら好意を示されても、靡かないかも知れません」
《はい、であれば同志として、切磋琢磨致しましょう》
「期限は、僕が成人するまでです」
《であれば、もう1年は猶予が有りますね》
来年で、僕は16才になる。
彼女はもう、とっくに行き遅れだ。
「幾ら何でも、責任は取れません、時間が掛かっても他も探すべきだと思います」
《はい》
いつも言っているのに、聞いているんだかいないんだか。
他の男を進めても、全く興味を持ってくれない。
若いは若いけれど、もう良い年なのだから、そろそろ好意と友情を分けて考えて欲しい。
もう、僕には恋に浮き立つ気力は無いのだから。
「はぁ、どうしたら分かってくれるんだろうか」
《恋は勝手にするもの、愛はお互いに与え合うもの、私はアナタの家族になりたいだけですから》
僕は初めて、本当に殴られた様な感覚に陥った。
僕は、妻に恋していただけ。
与える事で満足していた、だから気付けなかった。
僅かにしか与えられていない事に満足していた。
ずっと、好きなだけだった。
「悪夢を、見た事が有るんです、真剣に聞いてくれますか」
《はい》
大好きだった。
何でも可愛らしく思えて、守りたいと思っていた。
僕は、愛しているのだと思っていた。
愛しているから、傷付いたのだと。
「行ってきます」
《はい、行ってらっしゃいませ》
彼は悪夢として、過去の出来事を語ってくれた。
そして、だからこそ、愛や恋が怖いのだと。
私は知っていた。
だからこそ待てた、許せた、そして好きになってしまった。
私以上の傷を持っていたのに、彼は優しかった。
善人を守ろうとして傷付けてしまい、後悔した。
私が正しいと思える正義が彼の中に有る。
謙虚な強さも、優しさも。
彼を知り、他に目が行くワケが無い。
彼の様に優しく強く、真っ直ぐな貴族は、そうは居ないのだから。
『マンマ』
《あら、初めてのお喋りね》
『マンマ』
《はいはい、お父さんが帰って来たら、聞かせてあげましょうね》