2 拗れた男と悪魔。
私は更に情報を売る為、社交場へと出向いた。
全ては、お金を得る為。
意外な事に、私は大金を目の前にし心変わりをした。
死ぬ位なら、逃げ出せば良い。
遠くへ逃げ侍女として働けば良い。
そうして好きな事をしながら、正体がバレたなら逃げれば良い、死ぬ必要は無いと悟った。
だからなのか、情報収集の為の社交界の居心地は、悪くは無い。
『あら、婚約破棄された方が、もう社交場に?』
《はい、少なくとも私に落ち度は有りませんし、くよくよしていても始まりませんから》
「そうね」
『ですけれどアナタ、処女検査で落ちたのでは、なんて噂も有りましてよ』
《それは身に覚えが有れば困る事でしょうけれど、噂は噂、それともアナタは身に覚えが有りまして?》
あぁ、この女もか。
この世に真の医者は僅か。
それに、少なくとも処女検査だけ、をする医者なんて。
その殆どが偽医者。
『いいえ、ですが、そろそろ失礼致しますわね。用事を思い出したので』
《あら、そうなの、ご機嫌よう》
私の口から、この女に聖なる泉の事を出せれば良いのだけれど。
繋がりがバレては困る。
結局、婚約については成立しなかったけれど。
良き友人として、今でもお付き合いは続いている。
だって彼はまだ14才。
親は悔しがっていたけれど、援助を遠慮された時点で気付くべきだったのよ。
「やぁ、婚約破棄は本当らしいね」
《そうなんですの、お互いの趣味趣向が、あまりに違い過ぎましたの》
私は、誰でも良かった。
善人であるなら、裏切らぬなら。
なのにあの男は目移りをした。
自身を戒める事が出来ぬ者を、誰が愛せようか。
「どうやら未練は無いらしいね」
《はい、お陰様で》
「そう、意外と君は可愛げが有るらしい」
《気付かせて頂きましたもの、ありがたい限りですわ》
愚かな男は、媚び諂われる事に弱い。
気品有る淑女が良いと言いながらも、結局は下世話な愛想笑いを好む。
まだ、正直な庶民の方がマシだわ。
「そう、僕は君を見誤っていたらしい」
《あら、喜ぶべきかしら》
処女では無いかも知れないなら、遊ぶ位は良いだろう。
だなんて、病を恐れていない愚か者の証。
コイツも、あの子に報告しないといけないわね。
「ありがとう」
《いえいえ、コチラこそ》
彼女は貴族なのに、庶民として家から逃げ出すつもりだ。
マトモな家に育っていそうなのに、どうやら家族とは不仲らしい。
このまま金を貯め遠くに逃げ出し、侍女か何かをしながら自由気ままに生活がしたい、と。
「その、行く当ては有るんだろうか」
《いえ、特には》
本当に、大丈夫だろうか。
僕は以前の知恵も有るけれど、彼女はココの事しか知らない。
「何処かで1度、下働きの練習をした方が良いんじゃないだろうか」
《確かに、そうですわね》
コレだ。
コレだから心配になる。
「でも、家が許すんだろうか」
《では、内緒で、何とかしてみます》
「バレ無い様に、きっと面倒な事になる筈ですから」
《はい、ありがとうございます》
そして杞憂は、全く違う問題として現れた。
「どうして、君が」
お金を貯め、聖なる泉に入る直前、良く知る声が耳に入った。
そして目の前には。
《アガット》
彼が関わっている事は知っていた。
けれど、あくまでも仲介役だと思っていた。
まさか。
まさか彼が根幹に携わっていたなんて。
「君も」
《違うわ、でも、もうコレしか無かったの》
とうとう、処女検査の事をバラすと元婚約者に脅された。
結局、向こうとは上手くいかず、八つ当たりも同然の脅迫。
しかも私は家の侍女に金を持ち逃げされ、もう、ココに来るしか無かった。
迷信であれ何であれ、もう、コレしか無かった。
『もうそろそろ、良いでしょう』
声が聞こえた方向を向くと、見慣れない鳥が居た。
そして金の懐中時計を首に下げ。
《アナタは》
『悪魔貴族です、もう終わりにしましょう、△△』
初めて、前世の僕の名が呼ばれた。
本当に、目の前に居るのは悪魔だ。
《一体》
『この泉の全ては、彼が仕組んだ事、ですよね』
「はい」
奔放な者だけを、標的にしていたつもりだった。
偽医者の存在を知っていた。
分かっていたのに。
僕は、彼女に着せられた汚名に気付かなかった。
どんなに貞淑そうに見えても、どうせこの女も。
そう思い、病を広げさせた。
まさか、汚名を晴らす為だけに。
《アナタ、最低だわ》
手足が冷える感覚がした。
彼女に軽蔑された事に、全身が凍える様な感覚だった。
「ごめんなさい」
本当に、善人を巻き込むつもりは無かったんだ。
本当に。
《そんな》
アガットは短剣でいとも容易く首を切り、倒れ込んだ。
『言葉は凶器にもなりますからね』
《でも、だからって》
『彼にも理由が有ったのですよ、ね、バルバトス』
「あぁ」
『後は任せるわ、じゃあね』
「はぁ」
濃い灰色のマントに、深緑色の服を着た狩人は。
私が謗り、死に至らしめてしまったアガットの傍に、しゃがみ込んだ。
《あの、アナタ様も》
「あぁ、コレか」
彼が差し出したのは、金色の懐中時計。
《彼は》
「コレは宿星だ、前世の記憶を持つ者、だった」
そして何故、彼がこの様な事をしたのか。
バルバトスの名を持つ悪魔が語り始めたのは、とても悲惨な出来事の数々だった。
「あの、ココは一体」
今世でアガットとなった男の人生は、とても悲惨なモノだった。
惚れた女と結婚し、子に恵まれた。
だが子と血は繋がらず、妻は結婚後も浮気三昧。
何も知らなかった男は病に罹り、そこで初めて浮気を疑う事となった。
そして、その直後、妻は自死。
不治の病となってしまった男は、子を施設へ。
そして何も知らぬ友人達に謗られ、更に絶望し。
治療もせず、食事も断ち、何重にも重ねられた大きなビニールが敷かれた浴槽の中で毎晩眠り。
餓死を選んだ。
裏切られ、謗る事さえ叶わなかった復讐者。
庇護すべき宿星の子。
《私が分かる?》
「いえ、どなたでしょうか」
記憶を僅かに奪わせて貰った。
コレで、少しは良き復讐へ目覚める事だろう。
《私は、アナタの婚約者、アナタの事は私が守るわ》
僕は怪我のせいで、10才の頃からの記憶が断片的に欠落している。
そして彼女の事は、全く記憶にない。
「どうしても、腑に落ちないんですが」
《ふふふ、アナタがそう大人の様だからよ》
親に相談もした。
けれど、僕らは仲が良かったらしい。
そして実際に、彼女は僕の好みを知っていた。
「僕は、復讐以外に興味が無かった筈なんですが」
《そうね、そう言っていたけれど、何とか口説いたの》
家は援助を断っていたけれど。
代わりに、彼女が僕に支援したい、そう口説いている最中だったらしく。
僕は帝国領に行き、学園に通う事になってしまった。
「僕は、何か言っていましたか」
《奔放な者は大嫌いだって、そして私の事を話したら、一緒に復讐しようって言ってくれたのよ》
実際にも、僕は彼女の婚約破棄の内容を聞き、確かにそう言った。
けれど、彼女が僕を好く理由が分からない。
確かに大人びているかも知れないけれど。
それは前世では大人だったからだ。
子供ぶるなんて僕には出来ない芸当。
しかも、同年代と婚約や結婚なんて、絶対に無理だ。
だからこそ、貴族位は早々に諦めていた。
なのに、貴族で居続けるべきだ、と彼女が。
「僕は、アナタの何処が好きか分かりません」
《私もよ、だって何も言われはしなかったもの》
例え好意が有っても、僕なら言わなかったのは分かる。
もう情愛も何も信じてはいないし、付き合う事すら諦めていた。
なのに、その僕が、彼女との婚約を受け入れていたんだろうか。
「すみませんが、やっぱり分かりません」
《そうよね、だって少し嘘を混ぜたもの》