1 メーガンの茶会での、婚約破棄。
「やはり君とは、破棄を、したいんだ」
大事にするつもりは無かった。
ただ、どうしても耐えられなくなった。
『酷い、何も今』
「本当にすまない、だがもう、耐えられないんだ」
不意に一際大きくなる声。
隠しきれない表情、感情。
到底、男爵家とは思えない所作の数々に。
もう、僕は耐えられなくなっていた。
「お嬢様、もう参りましょう」
侍女が優秀だからこそ、余計に粗が目立つ。
なのに彼女は、省みる事をしない。
「本当にすまなかった」
多少は不出来であれ、共に育てば良い。
そう思っていたけれど。
こんなにも、自身に堪え性が無いとは思わなかった。
《あら、どうなさったの》
『酷いんです、彼、こんな所で婚約破棄を申し出るだなんて』
《そう、さ、コチラへいらっしゃい》
今はアイリス様の選定隊員となったメーガン嬢。
彼女は今、仮初めの婚約者候補と共に、茶会の席での主催者となっている。
コレも運、なのでしょうか。
「申し訳御座いません」
《良いのよ、さ、いっそ全て吐露してしまわれたら如何?》
本来であれば、吐露するべきでは無い。
ですが。
『急に、先程、破棄の申し入れをされてしまって』
庶民なら、誰彼構わず吐露しても構わないでしょう。
けれど令嬢とは、貴族の端くれ。
ましてや利害関係が不明な者に弱みを見せるなどとは、貴族失格でしか無い。
《そう、では暫く落ち着かれるまで、ココにいらして。馬車の手配をさせましょう》
『はい、ありがとうございます』
《では、侍女の方》
「はい、失礼致します」
この程度、澄まし顔でこなせなければならないと言うのに。
隣国に近い場所で育ったからと言って、必ずしも立派に育つとは限らない事が、何より残念でなりません。
《大変ね》
「いえ」
ご長男様も、ご長女様も特には問題無かった。
ですが彼女は、あまり上手く育たなかったのか。
若しくは、気質か。
奥様は社交界に殆ど現れず、旦那様の方はお仕事をしっかりなさってらした方。
特に問題の無いご家庭だと、私も確認させて頂いたのですが。
彼女の侍女となって以降、その気配は僅かに有ったのだと、気付かされました。
《では、破棄の申し入れは妥当だったのね》
「はい、ですが、若さ故に耐えられなかったのかと」
愚か者になら、確かに可愛げが有る様に見えるかも知れませが。
もう、成人を過ぎた女性。
そして幼さ、未熟さには限度が有る。
《ではコチラでは、それなりに治めておきますわね、向こう方からも誠実で真面目なお答えを頂いておりますから》
「ありがとうございます、では、失礼致します」
彼女の茶会で無ければ、どうなっていたか。
『君とはもう、婚約の破棄以外は、有り得ない』
今まで難を示される事は無かった筈。
だと言うのに何故、急に。
《何も、こんな所で》
『本当にすまない、けれどどうしても君では、無理なんだ』
彼の目線の先には、全く私とは違う毛色のご令嬢がいらっしゃった。
真っ直ぐな髪質を持ち、栗毛色の髪と目を持つご令嬢。
こうした茶会の席で、きっと一目惚れしてしまったのだろう。
婚約者候補が其々に居ながらも、相手がコチラを知ろうが知るまいが。
少なくとも私では、ダメだ、と。
《分かりました》
どんな事が有ろうとも、平常心を保たねば成らない。
他者を慮り、家を思い、決して表には。
『ふふふ、合格、だよ』
《は?》
『すまない、君を試しただけだ。どうかコレからも、宜しく頼むよ』
東の国の言葉に、堪忍袋の緒が切れる、と言う言葉が有ると聞く。
私は、その糸の切れる音が聞こえた。
そう、ぷっつりと、切れる音が確かに聞こえた。
《あぁ、いえいえ、やはり私では不適格かと。可及的速やかに、破棄への署名や準備をさせて頂きますわね》
『いや、本当に』
《本当に、今までありがとうございました。では、そろそろ戻らねば私では怪しまれてしまうかも知れませんので、失礼致します》
何処かに、淡い恋心の様な何かが有った筈なのに。
今は、何も無い。
無心。
いえ、コレが無関心、なのでしょう。
「お嬢様、破棄の準備をさせて頂いても」
《えぇ、お願いね》
『こんな筈では』
当時の再編の波は、場所によりけりでした。
ですが幾つもの家が荒波に呑まれ、そこに共通する幾つかの共通点を、誰もが理解しているだろう。
そう、私は侮っていました。
「私、ご忠告申し上げた筈、ですが」
《本当に、だと言うのに》
『いや、彼女に貴族としての気概が、矜持が足りなかっただけだ』
この子爵家の次期当主候補とは、長年のお付き合いでしたが。
私には、彼が再編の波を超えられるとは、もう思えなくなっていました。
「そうですか、ですが私には理解しかねますので、ご辞退させて頂きます」
『一体、何を』
「沈む泥舟と共に、私は沈む気にはなれません、では失礼致します」
私の家は男爵家据え置き。
ですので私は男爵令嬢でありつつも、行儀見習いの為にもと、この家の侍女として働いていた。
再編は全てを急激に変えたワケでは無い。
昔ながらの風習には手を付けず、コチラの動きに任せて下さっていた。
良好な関係を保ちつつ、新しい体制へと変わる為の期間。
見極める期間を与えて下さった。
『あら、お嬢様、何処かへ』
「私、実家へ帰らせて頂きます。もう、ココは、少なくとも私には再編の波を超えられるとは思えない」
『あぁ、やっぱり』
「ごめんなさい、直ぐには、そう言えなくて」
『良いんですよ、お嬢様とてお立場の有る方。コチラの事はお任せ下さい、いずれはと、私達も話しておりましたから』
「あぁ、ごめんなさい」
次期当主候補とは、幼馴染でした。
だからこそ、出来るだけ控え目にご忠告申し上げていたのですが。
『いえいえ、あっ、ご主人様』
『待ってくれ、頼む、行かないでくれ』
以降、私には記憶が幾ばくか抜け落ちているのですが。
多分、私は襲われたのだと思います。
暫くしてからの記憶では、皆が、とても心配しておりましたから。
《あら、酷い顔》
「すみません、昔の夢を、見まして」
《そう》
滅多に夢を見ない子、そして嘘が下手な子。
あのお茶会が、やはり影響してしまったのね。
「あ、大丈夫です、相変わらず肝心な部分は分からないままですから」
私が失礼な相手に正式な婚約破棄を申し込んだ後、標的は彼女へと移ってしまった。
幸いにも陪臣が急ぎ扉を壊した為、未遂で終わった事件であれど。
彼女は心に深い傷を負い、記憶が幾ばくか抜け落ちている。
そして同時に、抜けにも直ぐに気付いてしまった。
《出掛けるか、仕事か》
「今日は、お出掛けを、出来ればと」
《そうしましょう》
「ありがとうございます」
《良いのよ、だって私の侍女なのだもの》
彼女は暫くの間、薬酒により夢現にされたまま、治療が施された。
そして傷が回復した後、彼女は副作用からか記憶を失っており。
私の侍女になりたい、と。
彼女は、私が原因で有る事すらも、記憶から抜け落ちていた。
幾ばくかの自責の念、責任感から彼女を雇い入れたけれど。
彼女は、とても優秀だった。
「私、記憶を取り戻したくは無いのですが、ダメでしょうかね」
《何故?》
「だって、嫌な事には」
《理不尽で不条理な事に立ち向かったからと言って、必ず成果が出るとは限らない。お医者様も仰っていたでしょう、受け入れられる様になれば、自然と思い出す時が来る筈だと》
「そう、受け入れられる様に」
《私、もし人を殺めてしまった記憶が有ったなら、やはりそれは忘れたままが良いと思うの。全てを知っている必要は無い、何故なら》
「神でも精霊でも悪魔でも無いのだから。すみません、何度も何度も同じ事を」
《良いのよ、だって私も、アナタに何度も夢物語を強請っているでしょう?同じ事よ、良いの、大丈夫》
そして、危うい橋だとも忠告されている。
私と居る限り、いつ思い出してしまうかも分からない、その瀬戸際に居ると。
けれど彼女は、私を必要とした。
私の下で働きたいと願った。
例え思い出す切っ掛けを作る事になるかも知れないとしても、私の下で、どうしても働きたいと。
「すみません」
《さ、何処にお出掛けしましょうか、アレには少しは言い訳をしてやらないと》
「もう、そんな言い方を」
《だって、気が有るかどうか試す為なのか。他のご令嬢とだけ、打ち解けている様な態度をお取りになるんですもの、私で無ければ傷付いていますわ》
「あ、メーガン様、新しい刺繍糸を探しに参りましょう。期待させて落としてやるのですよ」
《あら素敵、目には目を歯には歯を、ね》
「それ、どうやって同じ分だけだ、と誰が認めるのでしょう?」
《それは勿論、精霊や悪魔よ》
「成程」
《さ、結って、とても素敵に可愛く》
「はい、丹精込めて結い上げさせて頂きます」
彼女は思いもよらない相手から、歪んだ想いをぶつけられ、一部の記憶が抜け落ちてしまった。
けれど相手は、どうとも思ってはいない、まさか彼女を想ってなんていない。
逃げ出そうとしたから、頭に血が登り暴力を奮ってしまったに過ぎない、と。
彼は、今もそう主張し続けている。
専門家の下で、今も。
《ふふふ、次からは髪を結わせれば良いのね》
「あ、ですね、メーガン様の髪はとても楽しいですから」
幸せになるべき存在。
早く、彼女に合う方をと、嘆願を出しているのだけれど。
中々、そう簡単にはいかないモノ、よね。




