1 拗れた男と悪魔。
僕は気が付くと貴族に生まれ変わっていた。
そう気が付いたのは、初めて良く磨かれた鏡の前に立った時だった。
名を呼ばれても気付かない様な子供、そうした子には鏡を見せる。
そうした習慣が有る場所で、僕は鏡の前に立たされ、名を呼ばれた。
《アガット》
僕は、そんな名前じゃない。
こんな姿じゃない。
そこで初めて気付いた。
僕だけれど僕じゃない。
だからこそ、自分の名前がアガットだと知っていても、そう直ぐに反応が出来なかった。
そうした事にも気が付いたのは、その時だった。
以来、僕は徐々に前世を思い出した。
少しずつ。
僕は女に裏切られた。
性病を移された。
そして、何もかも失った。
だから僕は復讐する事にした。
奔放な男と女に。
『コレが、聖なる泉なんですのね』
「はい、さ、どうぞ」
この時代は迷信を良く信じる。
男には性病が治る泉であり、女は処女膜が治る泉だとし、奔放な者が苦しむ策を編み出した。
そして裏では利用者の追跡調査をし。
更に繋がりを見付け、勧誘する。
ウチは廃位寸前の男爵家。
領地は無く自力で稼ぐしか無い爵位、けれど親は継いだ商売を真っ当にこなす事が出来ず、廃業寸前。
だからこそ稼ぎ方も何もかも、親には伏せてある。
どうせ悪用しコチラに迷惑を掛ける事は決まっているのだから、僕が稼ぎ頭となり、親は頭が上がらない状態を維持させている。
家業は真っ当にこなせば、それなりに稼げる。
けれど親にその気は無い、当たり前だ、下がった信用は取り戻せない。
もう、貴族はどうでも良い。
僕は一生、こうして奔放な奴らに罰を与え続けられるなら、それで良い。
『縁談が、来たんだが』
「は?」
『いや、本当なんだ』
ウチの次男に、縁談が来た。
この廃位寸前、廃業寸前の家に。
「何でですか」
『姉妹しか居ないらしい』
貴族は貴族同士の婚姻のみが認められている。
そして貴族位を継ぐには、性別は問われない。
だが、結局は男が領地の管理、家の仕事を任される事になる。
女には産み育てる大きな仕事が有り、女手だけでは限界が有る。
「支援させる気ですか」
『いや、そこは断ったんだが、どちらでも構わないそうだ』
「訳アリですか」
『あぁ、ただ、その問題を尋ねない事が条件だ』
「では問題をアナタは知っているんですか」
『あぁ』
偽医者に処女膜が無いと診断され、それを鵜呑みにされての婚約破棄。
良く有る手口だ。
心移りした相手が偽医者を用意し、婚約破棄させ、新たに他の者と婚約を結ぶ。
そして後に偽医者の誤診だったとし、双方に問題は無かった、とさせる手口。
つまり、相手方には問題は無い。
ただ、自身の婚約が成立するまで、偽医者の誤診だった事が告げられる事は無い。
暫く待てば済む事だが、どうやら向こうの家は、こうした下世話な手口を知らないか。
若しくは、さっさと追い出したいか。
だが、そこまでは、この表面的な釣り書きには記されてはいない。
「で」
『まぁ、私は問題は無いと思うが、お会いしてお前がどう思うかだろう』
「そうですか」
私は、妻との関係を重視するあまり、仕事を疎かにしてしまった。
友人に仕事を丸投げし、最後だけ確認すれば良いと思っていた。
そうして帳簿だけ、最後だけを確認していたが。
単に利用されただけ、だった。
気付いた頃には信用は失墜し、友人は似た商売を始め。
もう、廃業する他に無かった。
だが、息子が10才の頃だった。
急に金を持って来ると、自分とは関わってくれるな、と。
息子とは、金だけで繋がっている。
私が呼び出した際も、怪訝な顔をされたのも無理は無い。
貴族位が廃されるのも、不自由をさせてしまったのも全て、私の至らなさ故なのだから。
『援助は要らない、お前に任せる』
「分かりました、取り敢えずは会います、用意をお願いします」
『あぁ、分かった』
《初めまして、宜しくお願い致します》
「はい、宜しくお願い致します」
私は、敢えて問題を伏せたまま、婚約を成立させられそうになっている。
可も無く不可も無い私には、優秀な姉が居る。
その姉が嫁ぎ先で不自由しない様にと、婚約破棄から時間を置かず、名誉を挽回させる為。
敢えて下位貴族であろうとも取り敢えずは婚約させ、早々に種明かしをさせようとした。
けれど婚約は息子次第だ、とし。
先ずは会う事を優先させられた。
貴族位に縋るならまだしも、廃位を受け入れる者に、家族は用は無い筈。
黙って婚約し、身の潔白を証明出来さえすれば、親はもう。
そう、だから私を捨てるつもりで。
そうなのね、爵位は甥に継がせる気なのね。
《問題が有る事はご承知でらっしゃるでしょうか》
「はい」
表向きは、単なる破談。
けれども裏では、既に偽医者の虚偽の証拠はコチラにも有る。
けれど問題は、いつ表沙汰になるか。
結局は向こうの都合次第、コチラが弱味を握られている状態。
1度広まってしまえば、真実などどうでも良いのが貴族。
利用方法さえ思い付けば、相手がどうなろうと構わない無慈悲な者の集い。
私を売女とし得をするならばそう広め、可哀想な問題に巻き込まれたとするのが良ければ、そうするだけ。
このままでは、私は一生不利益を被る事となる。
ならいっそ、死んでしまった方が楽よね。
どうせ生きていても利用されるだけなのだし。
《お断り頂いて結構ですよ、アナタに利益は齎せないでしょうから》
「それは僕が決める事だと思いますが」
《では、どう利益を齎せると、確か廃位で構わないそうですが》
「はい、ですが情報には対価を支払います。家では無く、アナタ個人へ支払いますが、どうしますか」
私に。
《何故、私に支払うのでしょう》
「何をするにしてもお金です、家の者に知られたくない事に使える筈です」
考えもしていなかった。
家の者に知られずに、自由に。
なら、あの泉に行けるかも知れない。
あの聖なる泉で、私は名誉を回復出来る。
《では、どの様な情報ですか》
「奔放な、周囲が困る様な者の名です、貴族だと尚良い」
なら、決まっているわ。
《私の元婚約者をお調べ頂ければ、直ぐに分かるかと、周囲の者も自由恋愛主義ですから》
失敗しても、どうせ私は死ねば良いだけ。
折角なら、大勢を巻き込んだ方が良いわよね。
「ありがとうございます、実に良い情報でした」
《まぁ、こんなに》
「はい、情報は1つだけでは有りませんでしたから」
そうして僕は、良い情報源を得た。
まだ泉に来ていない者でも、有効活用が出来る。
意外にも、聖なる泉の情報は殆ど拡散していない。
それは誰しもが隠したい事だからだ。
最初が、最も大変だった。
金に困った庶民、しかも病が治った庶民に限定し、聖なる泉の噂を流布させた。
けれど貴族と繋がりの有る庶民、しかも病を持つ者と接触さえ出来れば、簡単だった。
泉に浸からせ、予め汲んで置いた泉の水だと称し、薬を与えた。
この薬は、帝国領限定で売っている薬。
僕自身を抵当に入れた金で、購入し、幾つか密輸した。
まさか貴族の子供が、薬を密輸するとは思わないらしく、僕は難なく関所を越え持ち込めた。
そして泉で治ったと思わせ、泉に貴族を集めさせた。
だが、薬は継続的に飲まなければ治らない。
一時的に症状が軽くなった者、症状が勝手に収まった者は、また遊ぶ。
そして処女膜を再生したがった者には、偽医者の名を教え、僅かだが処女膜は有ると偽装させる。
男よりは、金は安くしてある。
いずれ女には、病を広めて貰うからだ。
あの汚れた泉に入った後は、病人が使用した服で念入りに拭かせる。
数は少ないが発症した者が居る。
泉のせいにする者も居たが、その殆どは偽医者に任せ、次に処女を喪失するまで誤魔化させれば済んだ。
そうして病が広まり、泉には人が何度でも来る様になった。
僕が殺されるまで。
この聖なる泉が奔放な者に罰を与え続ける。