第六話 天正十年 三月廿八日 上諏訪法華寺 其の弐
数日後、惟任日向守の怪我が治ったとの知らせを受けると、森蘭丸に日向守を呼び付けるように指示した。
この間外出した折に、見た景色で妙案を思い付いていた。
(あそこで在れば、憂さを晴らすには絶好であるな…うひょひょひょひょ)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
私(日向守)は織田前右府様の呼び出しに、戦々恐々としていた。
(よもや、新たな証拠でも見付けられたか?)
上様の在所に参上すると、意外な提案が待ち受けていた。
「日向守よ。この先に諏訪盆地が有る。せっかく集めた兵を遊ばせていても勿体ない。ここは諸将の前で模擬戦を一手行なおうぞ」
(???????????????????)
(上様は何を仰られているのか?模擬戦?諸将の前で?この上、まだ恥をかかせたいのか!)
いつもの私(日向守)であれば、こうした申し出を受けることは無かったであろう。
この日ばかりは、謀反の詮議か?と気を張っていただけに、つい承知してしまった。
諏訪盆地には双方千の軍勢、都合二千の兵が陣を張っていた。
織田前右府様の軍は赤い旗を、私(日向守)の軍は白い旗を掲げていた。
丁度、織田家は代々桓武平氏を名乗っており、明智家は清和源氏の土岐氏の傍流である。
正に当時の源平合戦であった。
通常ならば、上様に華を持たせる筋書きであるが、先日の森何某の様に手抜きがバレていては興覚めとばかりに仕返しが倍返しとなる。
しかしなのだ。
今回の上様の陣立ては、歴戦の私(日向守)からは手抜きに見えた。
(これに負ける陣立てでは、上様の不興を買うのは戦う前から必定…)
思い悩んだ挙句、無難な陣構えにして模擬戦に挑むことにした。
結果は…白い旗の陣の勝利に終わった。
上様が、わざわざ近くまで来て言った。
「此度は、惟任日向守の勝ちであるな。やはり古今無双の軍者じゃのう」
(これで儂も皆の前で、恥をかいて見せたのじゃから、あいこで有るな)
「勿体なきお言葉、日向守も必死の覚悟故、偶々で御座った」
(ここは上様に華を持たせるところ。これではまるで私が空気を読めないみたいではないか…。いや、待てよ。私が二心在りと、諸将に見られても致し方がない様に仕組まれたのか?)
諸将からこの模擬戦に対して、様々な声が聞こえてくる。
私(日向守)は更に面目を失って、法華寺の在所に引き上げたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
三月廿八日に織田三位中将が甲府から上諏訪法華寺に凱旋した。
織田前右府様は、諸将の働きを事細かに挙げて讃えた。
特に三位中将の働きは高遠城攻略に加えて、朝敵武田諏訪四郎の首級を上げたる功績を格別と讃えて仰せになった。
「三位中将の働き、古今例が無き程である。よってを梨地蒔の太刀を与え、これを以って、天下の儀も奪い取って見せよ」
その言葉を聞いた諸将は、次の三職推認には三位中将が天下を取るに相違ないと噂した。
そして論功行賞に伴う知行割りを行った。
甲斐國及び美濃國諏訪郡は河尻与兵衛尉に与えられた。
なお穴山玄蕃の知行は安堵のこと。
駿河國は徳川蔵人佐。
上野國は滝川左近尉。
信濃国四郡は森勝蔵。
その他の地域も事細かに知行を取らせた。
そうして上諏訪での滞在は、四月二日まで及んだ。