表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

第五話 天正十年 三月十九日 上諏訪法華寺 其の壱

 戦況は甲府に近づく程に、迅速かつ詳細に上がってきている。


(この戦況下であれば、上様もご満足に違いない)


 三月十一日には岩村城に入城して、さらに詳細な戦況が届けられた。

 武田諏訪四郎父子は、僅かな供回りだけで天目山に落ち延びたと知らせが入った。


 そして翌々三月十三日には岩村城を出立し、十五日には飯田城に入城した。

 そこには、織田三位中将(さんみちゅうじょう)の指示で武田諏訪四郎父子の首級が届けられていた。


 上様は首実検もそこそこに、武田諏訪四郎、諏訪太郎、武田典厩、仁科五郎薩摩守の首級を京都に送り、獄門に掛けるように指示した。

 更に彼らの遺品も献上されたが、取る物も取らずに更に軍を進めた。


 三月十八日に高遠城を検分すると、直ぐに先へと軍を進める。


 三月十九日に上諏訪の法華寺に達すると、ようやく本陣を整えた。

 日向守は陣を転々とする度に、上様の在所を整えて回っていたので、さすがに法華寺で進軍を留めるに至り、心からホッとしていた。


 織田三位中将(さんみちゅうじょう)も上諏訪へ向けて、凱旋に向かっているとの知らせが入ったからだ。

 信濃・甲斐に散らばっていた諸将や、安土城を後発した後詰めの諸将も続々と、上諏訪に集結していた。


 日向守は織田前右府(さきのうふ)に対して、恭しく戦勝のお祝いの言葉を奏上した。

「此度の()()成敗の儀、目出たき事と存じます。上様に於かれましては()()()()の大願も目前にして、日向守も骨折りの甲斐が有ったと言うものでございます」


 上様の御前で、平伏して深々と頭を下げた。


 すると上様の顔色が見る見る内に変わったかと思うと、いきなり立ち上がり日向守の頭を何度も蹴りつけたのだ。

「日向守の働きが、何の役に立ったというのだ!」


 惟任日向守は普段は付け髪…ウィッグを付けていたが、今は遥か彼方に蹴り飛ばされている。

 諸将の前で恥をかかされた。

 日向守の顔は、恥ずかしさに紅潮している。


 上様は更に、小姓の森何某に鉄扇を手渡すと、禿げた頭……キンカ頭を打ち据えるように命じた。


 森何某は上様のお気に入りである。

 手加減を加えるのを嫌う気性も、良く存じている。

 容赦なく、上様の命じるままに打ち据え続けた。

 額が割れ、紅潮した顔にその血が幾筋か滴った。


 私(日向守)は冷静に考えていた。


(ひょっとして、武田諏訪四郎との密約が漏れたのではないか?)


 そこに思いが至ると、ジッと制裁に耐え忍ぶしかなかった。



◆    ◇    ◆    ◇    ◆



 織田前右府(さきのうふ)はジッと耐え忍ぶ、日向守の姿を目にして冷静さを取り戻していた。


(思わず、儂の働きが足らないとの嫌味に聞こえて、逆ギレしてしまった……)


 そんな思いに耽っていると、日向守は流血惨事となっていることに気が付いた。

 森蘭丸に静止するよう命ずると、直ぐに席を立った。


(何かしら、日向守に華を持たせてやらねばのう)



 急拵えの在所に戻ると、そんな考えに思いを巡らしていた。

※1 『信長公記』巻十五には“信長公御乱入之事”と題して、記されている。

   尋常ならざる行軍の様が見て取れる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ