第十伍話 天正十年 六月一日 本能寺 其の壱
六月一日、この日は茶道具開きの日であったため、本能寺には安土から運び入れた大名物をはじめ、瀬戸ものから『信長好み』や『利休好み』合わせて三十八点の名器を持ち込んで、盛大な茶会を催した。
例年であれば京での在所は妙覚寺であったが、此度は三位中将を伴っての入洛で在ったため、妙覚寺は三位中将に譲り、本人は本能寺を在所として入った。
茶の湯の席には、近衛卿父子に二条右府、勧修寺准大臣、甘露寺権大納言など有力公卿を始めとして、高僧併せて四十人以上を招いた。
因みに近衛卿は直前の五月に辞任していた。
織田前右府が三職の内、どの官位を求めるのか?全く見当がつかなかったからだ。
その場で大名物を披露しながら、『信長好み』や『利休好み』といった瀬戸物の受注も受けた。
公卿たちは三職に対して、何らかの沙汰があるものと気色ばんで挑んだが特に何も起こらなかった。
近衛前太政大臣は堪らずに、別室に場所を移して端的に尋ねた。
「前右府は朝廷の官位は何がご所望でおじゃるか?よもや日本国王を所望ではあるまいな?」
織田前右府は、ゆっくりと首を振りながら答えた。
「前太政大臣なら、帝から聞かされておろう。腹芸は苦手の様であるな。儂の望みは一切変わらん。その手立ての順番も含めてな。先ずは何より帝の譲位じゃ。これが成らずば中国・四国入りの際には再び、御所にて馬揃えを執り行うより他無かろうの」
近衛前太政大臣は背筋に空寒い想いを覚えた。
(もはやあの御仁に与力して貰うより、他に策は無さそうでおじゃるな)
公卿一行は茶席が無事に終わると、それぞれ帰途に就いた。
織田前右府は本能寺を去る、公卿の背に向けて大声で言い放った。
「この現人神、第六天大魔王がこの世の日を切り取って見せようぞ!神の声を聞き入れぬ者には総じて天誅が加わると心得よ」
織田前右府は背後にそびえる南蛮寺に聞こえたか?確認すると、本能寺の宿所に歩みを進めた。
やがて雲一つない青天の下で、辺りが次第に暗くなっていった。
空を見上げると、日差しの強かった太陽は黒い影に切り取られていく。
帰途に付いていた公卿たちは輿の中で、一様に怯え腰を抜かしていた。
(前右府を討ち果たすのは、菅原大宰府以来の怨霊として厄災を招くやも知れぬ)
南蛮寺の宣教師たちも、その神の如き振舞いに信仰の危機感を募らせていた。
(6の字を冠する悪魔が、まさに黙示録を成そうとしている)
黙示録六章~八章に描かれた白い馬、赤い馬、黒い馬に青い馬の行進とその先の戦争、そして無慈悲な大虐殺。
京御馬揃えや比叡山延暦寺に於いて、何度となく目にさせられた。
そして本日の奇跡は、黙示録八章十二の通りに太陽の三分の一が切り取られた。
宣教師もまた、その預言に恐怖するのであった。
やがて太陽は元の通りに戻り、強い日差しが京の町を照らし付けるのであった。
※1 織田信長はこの直前に古い宣明暦から、三島暦への改定を求めていた。
三島暦には、六月一日の日食が記されていた。
※2 この中では予言(未来の予知)では無く、預言(神の啓示)としました。
耶蘇会(当時のイエズス会)からも反信長の企てが有ったものと考えられます。