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第十参話 天正十年 五月廿七日 愛宕神社

 惟任日向守は急ぎ坂本城に戻ると、予め出陣の準備を整えていた兵一万三千名を率いて出立した。


 そして五月廿六日には亀山城に入ると、重臣に加えて喜多村出羽守を加えて軍議を開いた。


「私(日向守)は、堺にいる逆賊徳川蔵人佐と穴山玄蕃を討伐する。しかし…徳川蔵人佐は喜多村出羽守が案内いたし、伊賀を抜けて浜松まで送り届けよ。穴山玄蕃は武田の残党により我が手で打ち取る。これを以って上様にはご納得頂く積りじゃ」

 他に異論はあるか?


 重臣一同は深く頷き、細かい陣立てを協議した。


 翌日、私(日向守)は愛宕神社に到着すると、拝殿して戦勝祈願を奉納した。

 更に上殿すると、御簾越しにお神籤を所望した。


(この奥に居られるのは、止ん事無き御方に相違ない)


 そして差し出されたお神籤を、恭しく開いた。

『凶 ・注すべし』


(こっこれは…。京にて、誅すべし。なのか…)


 額から一気に汗が噴き出してきた。

 謹んでお返しして、再考を願い出た。


 そして再度、御簾越しにお神籤を所望した。

 暫らくすると、改めて差し出されたお神籤を、恭しく開いた。

『凶 ・(ほど)けし布を治すべし』


(こっこれは…。京から離れ、恐らくは関東もしくは鎌倉にて幕府を開いて東国を治めよとの思し召しか…)


 こんな事を上様に奏上できるわけがない。


 そもそも、荒れ果てた京をここまで復興成されたのは上様に他ならない。

 公卿どもはどうして此処までも浅ましいのか。

 謹んでお返しして、直接御簾越しに再考を願い出た。


 暫らくすると、改めて差し出されたお神籤を、恭しく開いた。

『末吉 ・三色は望み薄く選ぶべし』

(こっこれは…。吉報を待つ。三職推認について、多くを望むな…という事なのか?)


 この条件で上様には承諾頂くばなるまい。


 お神籤を懐に収めて、この後予定されている、愛宕山西之坊威徳院で執り行われる連歌の会に出席した。

 本日は私(日向守)が発句を賜った。


「ときはいま あめがしたたる さつきかな」

(時は今の 帝が下知する 五月哉)


 間違いなく、近く帝からの宣旨を賜るに相違ない。

 私(日向守)はその覚悟の程を、発句に込めた。


 しかし…周りの公卿たちは別の読み方をしていた。


(土岐氏が今 天下を下知する 五月哉)


 惟任日向守は此度、ようやく謀反を決意したぞ。

 公卿たちは内心歓声を挙げている。



 周りの公卿たち全員が、大きな勘違いをしていた。

※1 お神籤は、凶・凶・大吉と三度引いたとされているが、凶が多く引くことは無いと思われる。

   恐らくは上記の様な、やり取りを行ったのであろう。

   末吉=吉報を待つとしたのはやりすぎかもしれません。


※2 「ときはいま あめがしたたる さつきかな」

   ここで気になるのは、あめ“を”では無くて、あめ“が”と呼んでいる点である。

   特に天下取りを意図した発句では無かったと思われます。

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