番外編2 白嶺愛香は怒っている
番外編増えました。
あの前園サナが結婚した。
俳優仲間からの連絡で知ったけれど、本人の公式SNSにはーー本人ではなくスタッフが更新していることは知っていたーーそんな発表はなく、事務所からの発表もなかった。
すぐにマネージャーに確認すると、どうやら本当のようだった。
どうやってマネージャーが確認したのかって?
前園サナの事務所に直接問い合わせたに決まってるじゃない。国民的俳優であるアタシ、白嶺愛香の名前で。
前園サナは俳優としての頭角を表してから、ずっと気に食わなかった。
俳優歴はアタシの方が長いからなんてことでふんぞりかえるつもりはない。
アタシがコンテストで優勝したから芸能界に入ったことも偉ぶるつもりはない。
同い年で、これから一緒に俳優界を盛り立てていこうとアタシは意気込んで飲みに誘った。
俳優としての熱や夢を語り合うつもりでいたのに、将来の夢を、あの女、「お嫁さん」って言い放った。
この芸能界で生きていくつもりがあるのか?
こんな甘ちゃんがなぜこんなに売れているのか?
アタシは呆れ果てた。
聞くと、前園サナには恋人もセフレもいないらしい。
セフレって何? と聞かれた時にはシャンパンをぶっかけてやりたくなったのは一生忘れないだろう。
あれはアタシたちが22歳の夏だった。
芸能界で揉まれてきたアタシたちは仲良くなれると思っていたのに。
前園サナは全く擦れずにここまで来たとでもいうのかと、落胆と嫉妬で心がぐちゃぐちゃになった。
そんな甘ったれた前園サナが結婚した。
アタシの方が絶対に先に結婚してやる! って思っていたのに、アタシは結婚まで辿り着けない恋愛ばかりだった。
国民的俳優のアタシを放っておく男はいない。
半同棲状態の彼氏ーーもちろん同業者だーーは途切れたことはなかったし、癒してくれる相手もそれなりにいる。バレないようにという事と、後腐れない様にという事はちゃんとしてるけど。
前園サナだって同じだろうと思っていた。
なのに、なぜか前園サナにはいつまでも浮いた噂がないままだった。
恋人役同士でプライベートでも付き合うようになる事はよくあることだし。アタシ自身、歴代彼氏はその延長だった。
けれど前園サナは一向に彼氏がいることを打ち明けないと思っていたら、本当にいないようだった。
お嫁さんが夢なのに大丈夫か?
違う、アタシは心配しているんじゃなくて、悪意をもって言ってるの。
それって俳優としてもどうなの? と。
演じるのは想像だけでは足りない部分ももちろんあって、経験も必要だとアタシは考えているから。
だから、心配じゃないの。
甘ったれをバカにしてるの。
イライラしながらマンションへ帰る。
今日は彼氏のいない自宅だ。映画の撮影で遠方へ行っている。
アタシはいつ結婚できる?
将来の話はきちんとしてきた。
けれど、結婚についてはいつもはぐらかされてしまう。
アタシとは結婚生活が想像できないのだろうか?
ほぼ一緒に暮らしているのに?
夕飯はマネージャーが買ってきた。
ショートパスタにソースがよく絡まって美味しい。
これはワインが進んでしまうではないか。
ボトルが一本空いた頃。
『愛香ちゃん、遅くにごめんなさい。突然なんだけど、今日入籍しました。お相手は一般の方で、可愛くて優しいひとです。明日事務所から発表する予定なんだけど、その前に愛香ちゃんには伝えておきたくて。結婚してもお仕事は続けるよ! またご一緒できるように頑張るね!』
前園サナからメッセージが入った。
アタシはもう知ってんだよ!
アタシより先に連絡してる人がいるってこともな!!!
アタシはすぐに『おめでとう』とだけ打ち込んで、送信ボタンを押さずにスマホの画面を消した。
メイクを落として湯船に浸かる。
今日の汚れをさっぱりと落としてスッキリさせる。
明日もドラマの撮影が入っている。ついついボトル一本開けてしまったから、顔が浮腫まないように気をつけなければ。
前園サナよりも先に結婚してやるつもりだったのに。
結婚にはアタシの方が近かったはずなのに。
それに、お相手は一般の方ってなんなの?
一般の方って、この業界のことわかってるの?
多忙な前園サナとすれ違い生活するに決まってるじゃない!
息を止め、お湯に顔を突っ込んで涙を堪えた。
お風呂から上がると、彼氏から「今日の晩飯」と、地方グルメの写真が送られて来ていた。
そんな些細なことでも、今のアタシには愛おしくて仕方がなかった。
前園サナに負けたくない。アタシも早く結婚しなければ。
気がつくと彼に電話をかけていた。
「愛香? フロ入った?」
「お疲れのところごめんね。たーくんの声が聴きたくなっちゃって。今お風呂出たとこ」
電話の向こうはガヤガヤとしている。まだ飲んでいるのだろうか。
「俺も早くフロ入りてぇ。もうしばらく監督の話に付き合わなきゃならなそう」
たーくんは電話口でため息をついた。
「ねぇたーくん。結婚しよ」
そういう話の流れではなかったけれど、アタシは待てなかった。一刻も早く言質を取らねば。
「あー、その話はまた帰ったらしよう。悪いけど切るよ。愛香も明日撮影だろ。早く寝ろよ」
ブツンと通話が切れて、アタシはソファにスマホを放る。
なんですぐにいいよって言わないのよ。
それとも俺が言わなきゃいけないことだったから仕切り直しってこと!?
どちらにしても今返事が欲しいのに。
前園サナへの怒りとお酒の力があいまって、アタシは相当面倒な女になっている自覚はあった。こんなこと普段だったら絶対にしない。けれどやってしまうことって、あるでしょ?
もう一度スマホを取り上げ、たーくんに電話する。
しばらく呼び出し音が鳴った後に「はい」とたーくんが呆れたような声で出た。
「たーくん、返事はすぐに欲しいの。結婚しよ。そしたらたーくんが帰ってくるまでに婚姻届、用意しておくから」
たーくんはまたため息をついた。
「悪いけど、愛香とは結婚できないかな。今だって俺以外にも体の関係持ってるヤツいんだろ。俺がそうだったようにさ」
ウソでしょ!?
なんでそんなこと言うの!?
だってそんなの、この業界では当たり前じゃない。
たーくんだってアタシ以外と寝てるんでしょ!?
でもアタシは俳優だからそんなことは言わない。殊勝に結婚を勝ち取ってみせる。
「そんなのいないよ。今もこの先もたーくんだけだよ」
クスンと悲しげな声で縋り付く。
「なんで? アタシはこんなにたーくんのことが好きなのに、ずっと一緒にいたいのに結婚してくれないの?」
「俳優として愛香のこと尊敬してるよ。でも結婚のパートナーとしては考えられない。帰ったら荷物まとめるから」
またもやブツンと通話が切れる。
なんて一方的なの!?
アタシ、本当に心から今付き合ってる人と結婚するって思っていたのに……
アタシの一方通行だったのかと悲しくなった。
ダメだ、今泣いたら明日の撮影に影響が出る。
気を紛らわせるために誰か呼んで慰めてもらおうかな。
たーくん以外に直近で連絡をとっていたモデルの男の子に「今から来れる?」とメッセージを打って、アタシはまた送信せずに画面を消した。
こういうところなんだよね。
誰かに慰めてもらわないと自分の気持ちも切り替えられない。こんな状態じゃ、そりゃぁ結婚相手には選んでもらえないでしょうよ。
アタシはこれも役者の糧になると、そのまま寝てしまうことにした。
たーくんが帰ってきたら、本当にたーくんだけなんだと話そう。お互いに納得できる話し合いをきちんとしよう。
そこでお別れになっても悔いのないように。
それまでに他の男の子の連絡先は全部消さなければ。
まずそれが、結婚への第一歩のような気がした。
明日の朝、あの甘ちゃんにきちんとおめでとうと返信しよう。
翌週、『白嶺愛香、半同棲彼氏と破局!!』と週刊誌に記事が載ることをこの時の白嶺愛香はまだ知らない。